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貞観法 和らぎ通信

和らぎ体操研究会のニュースなどを中心にして記して行きます。

年の緒 むすびⅡ

2007-12-21 13:21:30 | 年の緒

「時間」を認知するために「太陽」がその指標となれば、当然のことに「空間」に対しての認識も生まれることになりましょう。「太陽」が昇る方角が「東」で、沈む方角が「西」。中天に太陽が昇った時にそれを望む方角が「南」、これの真反対が「北」といった具合にです。

「太陰暦」を用いて「月」を指標にしての「暦」を使っていたという時期よりも以前に生きた人たちにとって、「時間や空間」を意識化する上で「太陽」の果たしていた役割が、如何に大きく関わっていたかに改めて思い知らされるような気がしてきます。

そうした見方から、「太陽と身体」とを関連付けることの出来るのではないかと思える「体内磁石」・「北枕」・「東や西を感知する手立て」などの話を記してきました。

今日は暮れの21日。
明日は「冬至」です。

「一陽来復」の御札を授ける東京早稲田の「穴八幡神社」。この近場の私が知っている所では大宮の「黒塚山大黒院」。岩槻大戸の「第六天神社」など大勢の参拝人たちで混み合うことでしょう。

私達は自分の「年齢」を言う時に、あらためて考える間も無しに当たり前のようにして「○○歳」です、と答えていますが、考えてみればこれって「太陽の運行の一周期(科学的に言えば、地球が太陽の周りの軌道を一周回するために要す時間と言うことになるのでしょうが、ここではずっとこうした表現で過ぎてきてしまいました)」ですよね。

最近では余り聞かなくなった言葉に「寿命」という語が使われる表現がありますが、「もう寿命だから」・「寿命が長い」・「寿命が短い」・「寿命がある」・「寿命がない」・・・・等など。

ここでの「寿」も「とし」です。三角寛の「サンカ」を扱った著作の中であったかと記憶しますが、この文字に「いのちながし」といったルビが振られていたのを思い出します。

この「寿」については「息の緒」について述べる時にでも触れようかと考えていますが、「こと=琴=言=息」を「ほぎ=祝ぎ」といった意味の図式で成り立ったものと私は理解しています。

何回「とし=稔=寿=年」を経たかが、人間も含めその生物の「年齢」であり「寿命」の量(かさ)と言う事なのでしょう 。

その結び連なり続いていく様を「緒」に擬えて一つの言葉となされたのが、万葉の歌に詠み込まれている「年の緒」という語なのであろうと思います。

言い換えるなら、「長命」であることが「年の緒長く」ということにもなりましょうし、また、頭につく「あらたま」という枕詞も含めれば、年々歳々あらたま(更・改・革)って新しい命を授かって「再生」するといった意味合いをも合わせ持った言葉のようにも感じます。

私自身も来年には「齢60歳」の還暦です。

この「年の緒」にまつわる一連の記事を「太陽の運行上」のターニングポイントである、「冬至の日」を明日に控え一区切りとすることが出来たことを嬉しく思います。

読んでくださってありがとうございました。今後も宜しくお願いいたします。

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年の緒 むすび

2007-12-20 00:40:40 | 年の緒

ここまで長い期間に亘って、「年の緒」と言う語に関わりを持つのであろうと思った事柄を取り止めもなく書き連ねてきました。

「ここらで一区切りつけたいなぁ」と思うようになりましたので、そろそろ「結び」としようと思います。

そもそも「年の緒」という語についての関心は、「緒」の語が組み合わされて使われている万葉集に詠み込まれた歌に対してからでした。

「緒」が使われ組み合わされてものには、「玉の緒」・「年の緒」・「息の緒(生きの緒)」があり、既に「玉の緒」については小冊子で述べてみたところでしたから、今回はブログ上にて「年の緒」について触れられたらと思いはじめた訳です。

万葉集の歌の中での「年の緒」は、「あらたま」の語に続くものとして詠み込まれている例が多く、「あらたま」は「年」にかかる枕詞であります。
「年」が「あらたま」ると、新しい「たましい」や「いのち」が宿ると万葉人は理解していたのであったろうと察することが出来ます。

「年(とし)」の語源は、「稔」を「みのり」と読むのとあわせて「とし」と読むことがあるように、私達の主食である「稲」の「稔りから次の稔りまでの期間」として捉えたことにあって、「年」を「稲の一生」として看做すことが出来そうです。

そして、私達の感覚からしても一番馴染みやすい「年」は、おそらく「太陽」の運行の一周期を以って捉えるものでしょうが、そうした受け止め方や感じ方は「籠る」や「籠りから再生へ」で記したように、同じようにして縄文人も持っていたようで、太陽の運行周期を意識した上で営まれていたのではないかと考えられる、環状列石や環状盛土遺構などの発掘遺構の事例が沢山見つかるようになって来ていることを紹介してみました。ここでの「年」は「太陽の一生」として見ることが出来ます。

併せて、これらの施設に伴う土拡墓や配石墓への死者の埋葬のされ方からは、どうも縄文人には「太陽の一生」と「人間の一生」とが深い関わりを持って意識され、この二者を重ね合わせるといったような見方があったのではないかと想像させられる気がします。

私達を取り巻く時空間が時々刻々とその様相を変えて行く状況は、ここに取り上げた「稲」や「太陽」や「ヒト」だけに留まらず、山川草木や動物や虫けらに到るまでがその例外ではなく、あまねく森羅万象に共通することですが、「時間」の認識には当然のこと、何よりも先に「太陽」が注意されたのではないかと感じられます。

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年の緒 体内磁石 北枕Ⅳ

2007-12-14 00:23:01 | 年の緒

こうした縄文の時代の墓穴のあり方について、「東西」に長軸が取られているものについても、また、「南北」に取られているものについても、今までに述べてきた、身体が「癒され・安らぎ・楽になる」感覚を感じ取ることの出来る方角と関連させるといった見方からすれば、「南北」の場合には、墓穴に亡骸を埋葬する際には、頭の据えられる方角は「北」でなければならない訳ですが、縄文遺跡の発掘例ではどうでしょうか?

また、「東西」のものでは「南北」のように、私たちの心身が感じる「癒し・安心・安楽」とは直接には関わりがないように思われるのに、遺体をこの方向にと位置づくように埋葬したのには、背景にどのような考え方があったのでしょうか?

そして、この「東西」に長軸を取る墓穴の場合には「頭」の位置づく方向は決まっていたものだったのでしょうか?

実際には、ここに挙げた天神原遺跡や大湯環状列石遺跡の両遺跡とも、墓穴の存在は確認されていても縄文人の人骨は発見されてはいないのです。

それでも警察の科捜研ではありませんが、最近の調査では人骨そのものは発見されていなくても、これらの墓穴(学問的には土拡ないしは土拡墓と呼ばれます)の中からは、骨の成分であるリン酸カルシウムの検出されて、確かに亡骸を埋葬した墓穴であったことが認められているようです。

「頭」の位置づいていた方角を知る事例はそう多くはないかと思いますが、判定可能な限りでは天神原遺跡の例や隣接する中野松原遺跡の場合「北」や「西」に位置するものが多いいようですし、また大湯の場合は「西北」の方角のものが殆どのようです。

この事を「陰陽」の考え方に照らしたら、頭を「陰」の方位である「西」や「北」に、脚を「陽」である真反対の「東」や「南」の方位へと位置づかせているということになります。

「太陽」の運行を意識しているとも、身体の一番落ち着ける方位に位置づかせて埋葬している。とも言えると思いますが、きっと、そのどちらの理由でもあったのでしょう。

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年の緒 体内磁石 北枕Ⅲ

2007-10-31 11:24:27 | 年の緒

私たちの体内にも存在するとされる「体内磁石」を、我が身をもって感じ取るといった事からしたら、それが科学的な根拠に基づいているかどうかは別にして、少なくとも、身体が持ち合わせている感覚からしたら、「立位」の場合には「背中」を「北」に向けた時。そして、「仰臥位」の時には「頭」を「北」に向けた時に、一番「癒され」・「安らぐ」といった「身体感覚」を得ることが出来る。という結論にいたります。

現代を生きている私たちの多くは、日々の太陽の日の出・日の入りする方角に対して、それ程意識することなく暮らているように思います。
また、「北枕」が縁起が良いとか悪いとかを気にするよりも、住宅や部屋の間取りの関係から都合の良いようにして寝床を据えているのではないでしょうか。

仮に、これらの事を気にかける人がいたとしても、その人数はごく少ないと思います。

そして、この少数の人たち一人一人でさえ、この方角はこのような理由からこの様に良いのだとする深い認識を持った上であるのかどうかについては、どうも疑問に思えます。
殆どの人が、「古くからこう言われてきたから」・「暦や気学の本に記されていたから」・等に依っているのではないかと考えますが、如何なものでしょうか。

しかし、こうしたことが言われ始める様になったのには、それ相当の理由が当初の時点には在った筈です。

縄文の遺跡における、死者の埋葬遺構の例を統計的に全て承知している訳ではありませんから、軽々しい事は言えませんが、先に記したように群馬県安中市にある天神原遺跡の場合では、墓穴の長軸の方角が冬至から夏至までの期間に太陽が日の出・日の入りする方角と一致していることが確認されています。

天神原と同様な例は秋田県鹿角市の大湯環状列石でも確認されています。

このように死者を埋葬するのに際し、太陽の日の出から日の入りする運行方向と同じようにして墓穴の長軸をとり、亡骸を東西方向に据えるといった方法を取り入れる背景には、太陽の時々刻々と一日のうちに変移していくさまと「人間の一生」とが重ね合わされて観念していた、当時の人たちの捉え方があったのではないかと想像できます。

太陽が東から昇るのは、「人の誕生」でありましょう。日の入りして西の空へと沈んでしまうのは「人の死」として擬えたのではないでしょうか。

アイヌの人たちの世界観の中にも、東は神の訪れてくる神聖な方角であるとして住居の東側の壁面に大きな窓を設け、そこには仕切りや覆いなどせずに開け放してあると聞きます。神を祭る祭礼の時には、この窓の外側に祭壇を設けるのだということですし、また、埋葬に関しても縄文の人たちと同じようにして、亡骸は東西方向にと据えて埋葬するということです。

沖縄では「東」を「のぼる」・「あがる」と言うのだそうですし、「西」は「いり」と呼ぶのだそうです。

まさに「人の一生」は「太陽の一生」としてみる見方を上古の人たちが強く持っていたことを窺わせます。

実は、天神原遺跡でも大湯環状列石遺跡でも、上記したように「東西」に亡骸を埋葬したと考えられる墓穴の一群と、これと直交するようにして墓穴の長軸をほぼ「南北」にと取られた、もう一群の対照的な形態をした墓穴とが確認されていて、同一遺跡の中でも埋葬墓の長軸の向く方向が異なった2タイプがで確認されていて、こうした例はこれ以外でも知られているようです。

この様に、墓穴の長軸の示す方向に違いのある出土状況に対しての見解にはいろいろな捉え方が、きっと研究者のあいだでも成り立っているのかも知れませんが、今まで此処に述べてきたような見地からすれば、「南北」の方位に長軸が取られる場合のタイプのものについては、生者の感覚からして一番心身の落ち着けることの出来る「北枕」を「死者が一番安らいで休める状況」と判断して埋葬した。と理解できないかと私は考えています。

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年の緒 体内磁石 北枕Ⅱ

2007-10-14 23:47:06 | 年の緒

「北枕」については生きている者が、この方向に枕を位置づかせるのは死者と同じであるから縁起が悪いとか、否なに「北枕」の方が落ち着いて寝ることが出来て健康によいのだ。といった全く反対意見を耳にすることがあります。

どちらが本当なのでしょうか?

この「北枕」の件については、「風水」の考え方や「陰陽道」の見方、勿論「仏教」での捉え方など様々があって、それぞれがそれぞれの意見見解を述べているようです。

我が体操研究会においても、「北枕」については死者との関わりからもさることながら、むしろ「生きている者」とどのようにして関わりを持っているものなのかといった視点から、折があると実際に被験者を床につけて確認実験を行うことがあります。

結果、北枕に頭の位置づく方向を向けた時に、身体の不都合な痛みやツレが軽減されることを実感しております。

立位で背中を北に向けた時に「癒し」の効果のあることについては既に記した通りですが、仰臥位で寝た場合には頭の向く方向を北にした時に同様な結果が得られることが判ります。

地磁気との関連から「北枕」が身体にとって良いのだ。と言った事は巷間よく耳にすることであり、立位で背中を北に向けるといった事よりも、枕を北にと向けるといったことの方がよく知られていることかもしれません。

いずれにしても、「大宇宙」に対して「小宇宙」と言われる、私達の身体は「地球」のあり方と通じる「相似形」と言うのか「雛形」と言ったらいいのか、密接な関係を持って生きているということが出来るものと思えます。

ここでは何故に「北枕」が「癒し」に繋がる事になるのかについての詮索は止めておこうと思います。

代わりに、見つけた「北枕」について触れたサイトをリンク先として紹介しておきます。関心がおありでしたら一読してみてください。

http://www.yukan-fuji.com/archives/2005/01/post_1361.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9E%95
http://www.good-stone.com/hp/top/qa/qa-45.htm

これらのサイトを読んでみても、正確で詳しいことは分かりません。何故かと言えば先人達から言い伝えられてきた事柄を、そのまま踏襲するような形で記されているからではないかと思います。

一番いいのは家電製品などのない自然の中で「北枕」にして寝てみることだと思います。比較対照するために外の方角に頭を向けてみることは言うまでもありません。そしたら結果が体感できると思われます。

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