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貞観法 和らぎ通信

和らぎ体操研究会のニュースなどを中心にして記して行きます。

御祓い 2

2011-02-09 12:20:51 | 廻るという事
氷川神社の「茅の輪」は相当に大きなものだが、ここ冠稲荷のものはそれに比べたら非常に小さく身を屈めなければ通り抜けられないようなものであった。

茅の輪の脇には正式な「輪越し」の仕方を記した案内板が立ててあった。

これを読んだはるおさんは、私とT・Kさんとは輪を潜らずに横から眺めていた中、一人この案内された様式通りに「輪越し」を行った。

氷川神社で「夏越の祓い」が行われる時には、茅の輪をくぐるに、そのくぐり方についての説明は特別されていたようには記憶されてはいないから、単に通り抜けただけで「輪越し」の仕方にキチンとしたものがあるなどと私は全く知らなかった。

「輪越し」の仕方について私が始めて知ったのは、7・8年前だったろうか?。

鷲宮町に在る鷲宮神社へと訪れた時のことであった。

この時にも丁度「夏越の祓い」が行われている最中であって、拝殿のすぐ前に「茅の輪」が用意されてあって、そこに「輪越しの仕方」について詳しく説明している掲示があるのを目にした。

「へぇ~、こんな風にしなけりゃ~いけなかったんだ」と正しい輪越しの仕方について私はこの時に新鮮な驚きを持ちながら初めて知ったのだった。

その頃は現在のようにアニメの聖地のように鷲宮神社もなってはいなかったから大勢の参拝者がいるような状況ではなかったので、ゆっくりとその掲示板に書き記された通りに頭の中に、しっかりと覚え込ませねばといった思いを持ちながら、止せばいいのに3度も4度もこの茅の輪を潜り抜けたことを思い出す。

それをここに書き出してみると以下のようなものだった。

先ず最初に輪をくぐり左回り(反時計回り・左遶)して元の位置に戻り、次には輪をくぐったら今度は右に回り(時計回り・右遶)して、また元の位置にと戻り、さらにもう一回、最初に廻ったのと同じように左回りして、またまた元の位置に戻るというもので、歩の軌跡からしたら無限大のマーク∞のように8の字を描くようにしてから後、あらためて輪をくぐって拝殿へと進むとあった。

輪越しを済ませてから暫くの間、ボケ~とする時間を過ごしてその場にいると、そこへ「お七夜」のお参りに来たのであろう和服を着たお母さんに抱っこされた赤ん坊と、親族の人たち5・6人が参拝に訪れた。

見ていると、この人たちは茅の輪をくぐることなく直に拝殿の中にと入って行き床几に腰掛けた。

「お祓い」を受けに来たのだなぁ・と思う間もなく神官が現れ儀式が始まった。

祝詞の言上が終わると、神官は傍らに立ててあった紙垂の下がった幣を手に取り、一同の頭上でこれを振るった。

サッ。サッ。サッ3回幣帛の振られる音がした

事の成り行きをズゥ~~と見つめていた私は、この時初めて気がついた。

アレッ。あの幣の振り方って、たった今、自分が茅の輪を輪越した行い方とスッカリと同じではないか!!!。

つづく

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御祓い

2011-02-08 19:33:22 | 廻るという事

何時しか今年も既に2月の一週目も過ぎ、今更ながら「日記」として初詣で訪れた場所に関わっての記事をアップするのも気が引けることであるが、今迄に書いてきた「廻るという事」・「右遶三匝」からの続きの記事としてご理解いただきたい。

七草の日に三人で出かけた初詣の旅は、大間々の貴船神社⇒太田のさざえ堂・曹源寺⇒太田細谷の高山彦九郎記念館と周り、記念館の前にある食堂で昼食をとり、その後に、冠稲荷神社へと訪れた。

群馬の東毛地区を車で走ると、道路脇に建つ「冠稲荷神社」の立看板があっちにもこっちにもといった具合にやたらと目に付くものだが、私は一度も参拝に来たことは無かったが、はるおさんのこの神社の天然記念物に指定されている日本一大きな木瓜の木を見てみたいと云う言葉から、お参りして行こうということになったのだが、ここで私の気を引いたのは木瓜の木もさることながら拝殿前の参道に小さな「茅の輪」が据えられていたことであった。

 冠稲荷神社境内の木瓜

私自身が馴染みに感じて来た「茅の輪くぐり」は、武蔵一ノ宮である大宮氷川神社での「夏越の祓い」でのもの。若い日には先日(1月30日)亡くなられた古民具の鑑定士Y岡ご夫妻と一緒に人形(ひとがた)した紙片に姓名を書き込み、これで自分の身体のあちことを撫でた後、息を吹きかけて半年の罪・穢れを移し社に持ち込み祓いを受けたことが何度もあったし、また、この「茅の輪」を実際に神社から請け負って作っておられたのは、以前当研究会の会員でもあったY沢さんであった。

この行事については主宰している体操研究会の発行した小冊子で触れたこともあったが、その時には「茅(禾本科の植物)」が持っている癒し効果についてや、日向・高千穂神社では「からむし」が使わていること等など記したのだったが、今回は、ここを参る直前に「さざえ堂」で「右遶三匝」をして堂内を廻ったこともあって、その「輪越し」の方式との違いがいやが上にも私に意識させることとなったのだった。

つづく

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右遶三匝 3

2011-02-07 00:04:27 | 廻るという事
誤解されては困るのだが「右遶」について、その様式が間違いだと私が思っている訳では決してなく、こうした様式が生み出された基となる考え方そのものに些かの疑問を感じるのである。

確かにインドや中国では右手が「浄」で左手が「不浄」であるといった見方・捉え方があるのだから、それに従って自然な成り立ちで「右遶」が取り入れられたのであろうことは想像に難くないし、我が国でも最近では大勢の「左利き」の人達を見かけることが出来るが、私が子供の頃には左利きの人を「ギッチョ(差別用語?)」と呼び忌まれる雰囲気が確かに在った。

しかし、よくよく考えてみれば、人にはそれこそ生まれついて言葉通り・文字通りに「得手」・「不得手」があって、食事を摂るのに全ての人が右手で食を摂るのが得手であるとは限らないのだから、この「右遶」という高貴な人や仏像を拝する上での様式が生まれた背景には、おそらくこうした一方を尊び一方を卑しむという意識が働いていたのではなかったかと想像することが出来るだろう。

本来、このような言うなれば「決め付けた」考え方に少しばかりの抵抗感を私は感じるのである。

面白いもので、それでは仏に関わる儀礼に対して、その全てがこのような考え方を踏襲して行われているのかと思うと、必ずしもそうとは限らないようだ。

以前に当ブログに記した「廻るという事」で触れたことのある、葬式の折に会葬者が寺の本堂の前に設けられてある円形のコンクリートのタタキの場所を廻る習わしを紹介したが、この例では廻る方向は「左遶」であった。
http://blog.goo.ne.jp/jokan_1948/e/d39fe4f775cfacfc3e5751e82ea02783

この他にも仏教との関わりというよりも祖霊信仰との縁が深いかも知れませんが、盆踊りの輪踊りも反時計回りの「左遶」で踊られていることに気がつきます。

高貴な者、仏像に対しては「右遶」。
死者に対しては「左遶」といった廻り方の違いについてのハッキリとした意識が働いた上でのことであったのかどうか????

(一連のこの「右遶三匝」の記事は、「廻るという事」の関連として記したものであって、「廻るという事」からの引き続きのものとして記していることを了解下さい)

そして、三人してこの後に訪れた初詣先の「冠稲荷神社」で、またまた、この「廻る方向」に関しての事柄に出会わした・・・・。


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右遶三匝 2

2011-01-27 00:28:26 | 廻るという事

右遶三匝の「遶」も「匝」も、その文字の字義は共に「まわる・めぐる」ということから、この四字熟語を平易に解釈すれば「右に三回廻る」ということになる。

ネット検索をかけると、元々はインドでの右手(浄手)と左手(触手)とに寄せる考え方の違いから、目上や高貴な者に向かって常に右手側(右肩)を見せるようにするということが敬意を表すことになり、反対に左手側(左肩)を見せることは無礼に当たると云う事であるらしく、結果、仏像に対してもこうした礼拝法が取り入れられるようにとなったということが記されてある。

さらに、ここで云うところの「浄手」とは食事を摂る手。「触手」とは用便の際に使われる手であり、つまりは「左右の手」に「浄・不浄」という、それぞれの持ち合わす意味づけが成されていたことが反映された考え方。と言うことになるのだろう。

さざえ堂の堂内を観音像を拝しながら階段を登ると、足下から冷気を感じ深々と身体に、その寒さが伝わって来るのが判る。

「行」と呼ばれるものは、身に与えられる負担を感じてこそ成り立つことが出来るのだとしたら、こんな寒さなどものの内のは入らないだろが、そこはそれ、根が天邪鬼な私はここで考えた。

ちょっと待てよ。

食事を摂る手が清くて用便をする時に使う手が汚い。?

身に食を取り込む手とは、言い換えれば、我が身へと「入れ込む時に使われる手」。用便をするに用いるとは、こちらは反対に、我が身から「吐き出す時に使われる手」。と言った意味として捉えることも出来るのだろうが、このどちらか一方を浄・不浄として見做す見方を私は自分の提唱する体操の仕方とも絡ませて考えてみた時にどうしても素直には首肯することが出来ない思いを抱いてしまうのだ。

そもそも口に入れるものを綺麗で清浄なるモノ。下から出るものを汚濁な不浄なるモノという見方そのものがイタダケナイ。

確かに便は臭くて忌み嫌われるものかも知れないが・・・・・。

本来は出入一如。清濁一如。
である筈。

まあ、これと同じような事例は他にもあって、仏像や高貴な人に対しての敬意を表す方法が「右遶」でなければならないと云う事に限ったことではないから、そうそう腹を立てねばならないことでもないのだが・・・・・。

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右遶三匝(うにょうさんそう)

2011-01-11 19:53:16 | 廻るという事

人日の日に出かけた東毛の諸社寺を巡る初詣の小旅行先の一つに、群馬県太田市の曹源寺があった。

「さざえ堂」として有名な寺である。

             曹源寺

「さざえ堂」は嘗てはいろんな所に在ったようだが、現在では「日本三堂」として、こちらの他に福島県会津若松の飯盛山に在る「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」と、埼玉県本庄市、旧児玉町小平の成身院がある。

私自身、飯盛山にも何度か行ってはいるが拝観したことは無いし、児玉の成身院も、すぐ近くに間瀬湖という灌漑用の人造湖があって、以前ここへとへら鮒釣りで出かけることがあり、行き帰りの道すがらその所在は知ってはいても寄り込んで登楼したことは無かった。

つまり、さざえ堂と名づくの何処にも今までご縁は無かったのだが、同行した二人のKさんたちは会津も児玉も双方ともに既に出かけて見学されていて、特に、はるおさんは近年水彩画を描く趣味を持たれ、作品の中には児玉のさざえ堂を画題にしたものもあって、ここ太田の曹源寺を詣でることによって三堂をすべて巡った事になると云われたが、私にとっては今回のここ太田の曹源寺さんが初めての「さざえ堂」の見学となった。

             さざえ堂

この日大間々の貴船神社に最初に詣でて、その次に、かつて蒸気機関車マニアであったはるおさんの希望で、国の登録重要文化財の指定を受けている古い木造の駅舎のわたらせ渓谷鉄道の上神梅駅に寄り、車のナビで次の予定地としてはるおさんは「高山彦九郎記念館」をセットした。

     貴船神社             上神梅駅 

 

(あれれ、次は道順からしたらさざえ堂の方が良いのでは??)と私は少し訝しく思った。

 

車は大間々の町を抜けて東武線の赤城駅を過ぎるとナビが指令したルートを左にと出したらしい。

太田の街中へと続く県道を岩宿の方へと左折した。

ははぁ。この県道を藪塚の駅前を抜けて記念館へと進むのか?と思う間もなく、県道が50号国道と交わる岩宿の交差点に着くと、またまた左折し東方向へ走り出した。

(ナビは幹線道路がどうもお好きなようだ)

実際に来たことも無い寺ではあったが、以前にその存在はどこかで聞いていて、確信は持てなかったが「さざえ堂」は金山の東方に位置しているのではないか?。と思っていたから、ここではじめて「道をこっちへととれば彦九郎記念館よりも先にさざえ堂へ先に寄れると思うけど」と声を上げてみた。

はるおさんがナビの画面で探して見ると、果たしてその通りの所に目的のさざえ堂の曹源寺さんを見出すことが出来た。


曹源寺のさざえ堂は外観では高さのある2階建ての建屋のように見えたが、拝観させて頂くと中の造りは3階建てになっている。

赤く塗られた可愛らしい仁王さんのいる山門を潜り、堂までの参道には白御影石が二列になって敷き詰められ、西国・坂東・秩父の観音札所の砂がその敷石の下に埋め込まれていて「御砂踏み」できるようになって居り、ここを踏めば百観音の霊場参りの功徳が得られるといった工夫なのだろう。

さざえ堂の軒下にも「百観音」と記された扁額が掲げられてあった。

拝観料を払い堂の中の順回路へと入ると、一階には秩父三十四箇所。二階には坂東三十三箇所。三階には西国三十三箇所。合わせて百観音の霊場の観音像が祀り込まれていて、その仏たちを参拝者は右回りに一階から三階に昇り、そのままの右回りで今度は逆に三階から一階へと降り下るようにとなっている。

右回りをして参拝すると言う方式は、仏教の「右遶三匝(うにょうさんそう)」という考え方から来ているものらしく、ここに挙げた日本三堂全てこうした参拝方法が取れるようにと堂の造りが成されているという。

             貴船神社 藪椿 

つづく