goo blog サービス終了のお知らせ 

貞観法 和らぎ通信

和らぎ体操研究会のニュースなどを中心にして記して行きます。

廻るという事 3

2010-09-01 13:34:06 | 廻るという事
「精霊」・「死者」・「子供・鬼・鳥」を輪の中心に据え、この周りを輪になって大勢の人達が廻り巡るということには何かしらの意味があるのであろうと想像することは出来ても、それが具体的にどのような意味するものであるのかが判らない。

感覚的に何かしらの理由がある筈だと感じつつも、そんなことに気を付け始めた若い頃からずっと暫くの間、私にはどうしてもその意味することが判らなかった。

では今ではその意味することについての理解が成され、こうだと断言できる捉え方ができるのかと問われると、甚だ心許ないのだが、こう云うことではないのだろうかといった程度で、私は私なりの考え方はしている。

30半ばくらいの頃、私は誘われて渓流釣りをするようになった。

初心者という事であるにも関わらず、一番初めに出かけた先は、後で聞けば上級者向きの秩父の大洞川で、急流の中全身水に浸かり流され下るようなこともあって、渓流釣りというのはこんなにも怖い思いをしなければいけないのかと思わされたものだった。

川釣りは私にとって初めてでは無かったから、一匹や二匹は素人であっても釣れるだろうと高をくくって付いて来たのだったが大間違いで、勿論のこと釣果はゼロ。

その時、引率して連れて行ったベテランは形のいいイワナを何匹か釣り上げた。

「ある程度、錘は重さがあった方が良いが、余り重いのは付けない方が餌が自然に流れ、魚から見た時、不自然さを感じさせないから釣れる可能性が大きくなるよ」。と実際に釣り始める前のアドバイスを受けていた。

その言葉通り、錘を軽めにして何度も仕掛けを流してみたのだが、餌の付いたハリもハリスも水面を浮いたまま流れるだけで沈まない。

アドバイスは受けたものの、これではダメだと錘を重くしてみると、今度は沈んではくれるのだが根係りするばかりでどうしても上手く行かない。

何故、同じ重さ位の錘を背負わせているのにベテラン釣り師の仕掛けは川の中に吸い込まれるようにして流れるのに、私が流す仕掛けは水中に沈まないで水面をただただ流れていってしまうのだろう????。

そんな苦労を見て取ったか、ベテラン師が「振り込むポイントが悪いんだよ。さっきから見ていると浮いて流れてしまうポイントにばかり餌を打ち込んでいるんだよ。餌が吸い込まれるポイントに打たなけりゃ、幾ら打っても餌は浮いて流れてしまうから絶対に魚は食いついてはくれないよ」と云うのである。

餌が浮いてしまうポイントとはどういう場所なのか?
餌が沈み込むポイントというのは何処なのか?。私には一向に呑み込めない。

仕方なく「どうした所に打ち込んだら良いんですか?」と教えを乞うた。

師に依れば、なるべく軽い錘を使った仕掛けを餌が水面から水中に吸い込まれるポイントを狙って振り込むことが大事で、水の流れには、投げ入れた餌の吸い込まれるポイントと、逆に、これを浮かせてしまうポイントとがあるのだと言う。私の仕掛けを振り込む先のポイントは、その浮き上がってしまうポイントにしか当たっていないのだと指摘された。

上流から流れて来た水流は、落差のある場所や岩などの障害物のある場所の下流では渦(渦流)が生まれるが、この渦巻きにはモノを吸い込む渦と浮かび上がらせる渦巻きとがあるのだそうだ。

「では、どのような渦が沈む渦で、どのような渦が浮く渦で、その見分け方というのはどうしたら良いんですか」と聞くと、「よく水の流れを見てごらん落差のある流れの所にある岩の袖の両側に渦が出来ているだろう。その最初に出来ている渦を狙い、そこに餌を投げ入れるようにすると餌はスゥーと水中に吸い込まれるんだよ。だけど、あんたの仕掛けが落ちているのは、その次に生まれている渦の辺りで、そこだと餌は沈まずにそのまま流れて行ってしまうんだよ」と細かく教えてくれたのである。

この時の渓流釣りの際の教えが、丁度その頃、今の体操を考案し出す初めの頃でもあったこととも絡んで、私にとって種々な面で大いに役に立っていると感じている。

廻るという事 2

2010-08-25 13:26:03 | 廻るという事
「盆踊り」の踊り方には「輪踊り」の他に「行列踊り」もあるが、私は自分が考案した「和らぎ体操」との絡みからして「輪踊り」の方に強い思い入れを持っている。

地方によっては、盆踊りのお囃子をする中央の櫓に「精霊棚」を設けたり、位牌を並べる所もあるようだ。

このようなことは何を物語っているのだろうか?。

私には、おそらくのこと、現在のような仏教の盂蘭盆会に関しての「盆踊り」行事が行われるよりも、もっと以前の古い時代であっても、祖霊を祀る行事は存在したのであったのではないか。と、そう感じている。
(仏壇そのものに飾りを施して盆棚とするのに併せて、今でも、これとは別に菰茣蓙を敷き四方に注連縄を張り巡らした精霊棚を設ける風は、古い祖霊の祀り方を今に伝える様式のように感じられるが、捉え様によったら、盆踊りの際、踊り場の中央に作られる櫓も精霊棚として見做されなくもないだろう。)

その際には、祖霊と一体化しようとする欲求からは、極々自然発生的に身体的な表現方法としての「舞」や「踊り」が生み出されて行われたであったろう、その時、共同体の衆人皆での「踊り」は「輪踊り」であったに違いが無かったろうと私には思える。

それは土葬での埋葬が普通であった時代、寺の本堂前に設けられた円形のコンクリートで固められたタタキの上を会葬者が回り巡りしたこととも深い繋がりがあるのだろう。
(私の記憶では棺と一緒に会葬者達もタタキの上を廻ったような気がするのだが・・・。棺を真ん中に据え置き、この周りを会葬者が廻るといった所もあるようだ)


こうした施設と習俗は、私の勝手な解釈だが、仏教由来のものと考えるよりも、民俗に根ざした祖霊信仰に由来がするのではないか?。それが形を保ちながら、つい最近まで残こって伝来されたものであるような気がする。


これと似た子供の頃の遊びで「かごめかごめ」があるが、ご承知のように、この遊びは掌で目隠しをした「鬼」が輪の中心にしゃがんで座り、それを皆で手を繋ぎながら輪を作るようにして取り囲みながら巡り、鬼の背中正面に巡り当たった者を当てるというもの。

かごめかごめ」。ウィキには以下のように記されていて、いろいろな説が唱えられていることが知れる。

が、私は「盆踊り(輪踊り)」・「棺を取り巻きこれの周りを巡る習俗」・「かごめかごめ」には何か共通する観念が働いた上で、これらの習俗が成り立っているような気が、若い頃からしてならなかった。

「盆踊り」の場合では、「輪」の中心には「精霊」が。
「土葬の儀礼」の時の「輪」の中心には「死者」が。
「かごめかごめ」の遊びでは「輪」の中心には「子?、鬼?、鳥?」が。
位置づき、その周りを大勢で廻る。という事が共通していて、私には、どうもこの周りを廻る者達が中心に位置づいている「精霊」・「死者」・「子、鳥、鬼」に対して、何かしらの働きかけが成されているのでは。といった思いがあった。

廻るという事

2010-07-25 22:03:51 | 廻るという事
今日の日曜日。マイミクの「はるおさん」お勧めの、私の住む地内に在るギャラリーへとランチを摂りに出かけたが、その途中、瓦葺の氷川神社に盆踊りの櫓が用意されているのが目に留まった。

先日にはSNS・ミクシィで参加しているコミュの記事で、東北に住む方が寺の本堂前にある地面に円形に打たれたコンクリート製のタタキ施設について、そこの場で、嘗て埋葬の仕方が「土葬」で執り行われていた頃の習俗について触れ、類例があったら教えて欲しい。といった内容の文章を載せていた。

上記2つの事柄には何の縁も繋がりも無いように思われるかも知れぬが、私にとっては強く興味や関心の抱かれる事柄である。

私の二人の妹は既に他界していているが、その二人がそれぞれに埋葬されている寺にも全く同様なものが今でも残されている。
本堂への参道を中心にして直径がどの位だろう?。5・6mくらいだろうか?

二つの寺の宗旨は共に天台宗であるが、どうも、こうした設備は同じ宗旨ばかりに限ったことではないようで、曹洞宗の寺でも同じような例があるようだが、それ以上は私も詳しくは無い。

  
群馬県太田市 東楊寺 本堂前の円形のタタキ

遠い微かな幼少期の記憶で、誰の葬儀の時であったか?
棺を担いだ葬列が三回、導師を先頭にして、このコンクリのタタキを左回り(反時計回り)に廻ってから墓地へと埋葬された様子が蘇る。
(廻る方向は地方によって反対の場合もあるようです)

盆踊りの多くは中央の櫓を中心にして「輪踊り」となって踊られる。

続きはまた。