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貞観法 和らぎ通信

和らぎ体操研究会のニュースなどを中心にして記して行きます。

お祓い(廻るという事 7)

2011-02-25 23:40:40 | 廻るという事

祭りから慌てて家へと帰り、祖母に「あのハタキを大きくしたようなモンは何なん?。何であんなことをするん?」と早速のこと質したのだったが、私は今でもそれを昨日のようにして思い出すことが時々ある。

「ああ、オンベのことか。ありゃぁオハライをする道具だがな」

「オハライって言うのは何なん」

「オアハライつぅ~なぁ~、汚れや埃をハラウ(払う)って~ことだ」

「そんじゃ~、そのオンベ(御幣)って言うんなぁ~、掃除の時に使うハタキと同じようなもんなんだ。と言う事は、あれでサッサッサッて遣って貰ってた人にも俺にも、みんなに汚れや埃がついているってぇ~ことで、みんながその汚れや埃をあのハタキみたいなモンでハラッテ貰っているつぅ~ことなんだ」

と返すと、

祖母は「まぁ、そんなことだな」と言いつつ、可笑しなことを言う子供だとでも思ったのだろうか。?
笑いながら頷いた。

ハタキの親玉のことを祖母は「オンベ」と言ったが、漢字表記すると「御幣」。
これは「ゴヘイ」とも読まれる。

信州伊那谷の有名な郷土食である「五平餅」は正しくは、その形からして「御幣餅」であろう。

その他にも「ヌサ(幣)」。「ヘイソク(幣束)」。「ヘイハク(幣帛)」。また、「大麻(オオヌサ)」とも呼ばれる。

参考までにwikiの「大麻」を貼付しておく。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%BA%BB_(%E7%A5%9E%E9%81%93)

つづく

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お祓い (廻るという事 6)

2011-02-15 22:54:59 | 廻るという事

この祭り。祖母は「テンノウサマの祭り」と呼び、私の父親は「ギオン」と呼び、近所の人の中には「ヤサカサマの祭り」と呼ぶ人もあった。

今では「深谷まつり」と呼ばれているらしいから、果たしてこんな呼び方をする人たちが今もいるのかどうか?。

このように呼び方が違うのは何故なのだろう?。

呼び方に違いがあっても、これらが皆同じことを指してのものであることを知ったのは中学校を終える頃になってからではなかったかと思う。

昭和の始めの頃まで、室町期に築かれた深谷上杉氏の城跡である私が通った小学校の敷地の中に「八坂神社」が祀られてあったそうで、祭りはこの神社の祭礼であって、現在はこの神社、深谷駅の南にある滝宮神社の境内社となっている。

八坂神社の祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)であり、仏教の祇園精舎の守護神である牛頭天王と習合される。

従って、祖母の言った「テンノウサマ」とは天皇では無く、この牛頭天王のことであり、父親の言う「ギオン」とは祇園精舎のこと。そして「ヤサカサマ」とは八坂神社のことである。

京都八坂神社の祇園祭は余りにも有名だし、大宮氷川神社は主祭神三柱のうちの一人はこの素戔嗚尊(スサノオノミコト)である。
ついでながら、飯能名栗の神仏混交の寺である竹寺(八王寺)の本尊は牛頭天王である。

牛頭天王も素戔嗚尊もともに荒ぶる神である。

小学校の地から今在る地へと遷座する際には、これに関わった人が亡くなることなどもあって「神の祟り」であると噂されたと聞く。

そして、これらの神社やその祭礼はすべて「夏越の祓い」・「茅の輪」と深いかかわりを持っている。
また「蘇民将来」の話も併せて想起させられる。

年に二回の「祓い」の習俗は身に溜まった罪・穢れを祓うためのものとして解釈されていることから、「夏越の祓い」を夏場の暑気払い。「年越しの祓い」を冬場の寒気払い。として捉えても良いかと思えるが、私は太陽の運行上の折り返し点である二至(夏至・冬至)を祀る習俗として見る捉え方が適切ではないだろうかと個人的には理解している。

つまり、年二回の「祓い」は元来、太陽の一番力の増す時期と、そして反対に、その力が一番衰える時期と、生きてる者達の身の安寧と祈り互いにリンクさせ合うように、絡ませられるようにして執り行われていたのでなかったか?

一方で、それは死んだ者たち(祖霊)を祀る「盆」と「正月」の行事にも繋がっているのではないかと私は考えている。



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お祓い (廻るという事 5)

2011-02-14 23:27:37 | 廻るという事
そんな風にして私の中にと今迄に出来上がった「廻ること」について自分の考え方や捉え方があったものだから、初詣で出かけた先のさざえ堂での「右遶三匝」という参拝の方法に出会い、その成り立ちについての理解は在っても、やっぱり、その方式に抵抗感を抱いてしまったのだ。
(繰り返すが、これが間違った方法であると思っているのではない。この点については後々詳しく触れようと考えている)。

その後で行った神社で「茅の輪」の輪越しを見て(私自身は行わなかったが・・)妙に落ち着いたというか、こうでなければ・・・。と

何か我が意を得たような心地がして変に安心したような訳だった。




「お祓い」に関わる話 1

私には生家で過ごした子供時分に、家人と共に初詣をしに神社に詣でた記憶は無い。

我が家の中には、その広さには不似合いな幅一間半もある大きな大神宮様の神棚と、もう一つ、恵比寿・大黒様の納められたお宮も設けられてあったのに、毎年新しいお伊勢様からの大麻が隣組を介して配られて来ると、そのお札は供えられてはいたのだが、これに注連縄も飾り付けたことは無かったし、榊や米や塩・水や酒などの供物をささげていたといったことも無かった。無論、家人がこれに向かって拝礼している姿など見たことも無い。

正月にお供え餅が供えられるのみ。

何もしない位なら、こんな大きな神棚など作らなければいいのにと子供心にも思ったもので、生家での生活の中では神社や神道に繋がるような縁は無かった。

小学生の4年生であったろうか、町を挙げての夏祭りが行われる時、祖母が仕立ててくれた浴衣を着て一人で夏祭りの街中へと出かけたことがある。

出かけようとすると、祖母が小遣いの小銭をくれながら、今年の「天王様」の年番は隣町だから、行ったら「お旅所」へとお参りして来なければいけないと云い付けられた。

云い付けられた通りに、お賽銭を注連縄が張られ紙垂の下がった大きな樽の中へと放り込んだ。その向こうには衣冠に身を包んだ神官がハタキの親玉みたいなものを手にしている。ぺこりとお辞儀をした私の頭の上を何回か何かが翳め通ったような気がする。

こりゃぁ~何なんだ。

そうか。あのハタキの親玉を俺の頭の上で振り回したんだ。

ビックリして慌てて家へと帰り着くや祖母に向かって、今、自分が受けたことの何たるかの説明を求めたのだったが、この時が初め幣によってのお祓いを受けた時の私の記憶となっている。
(7歳での七五三参りは記憶しているが、お祓いを受けた記憶は私の中では飛んでしまっている)

つづく

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お祓い(廻るという事 4)

2011-02-13 18:10:32 | 廻るという事

初詣のための東毛への小旅行では「右に廻って参拝する寺」と、8の字に廻って茅の輪を輪越し参拝する神社を期せずして訪れるということになり、「廻る」ということについて、今までに私が辿り着いた考えや見方と云ったものについて纏めてみようかという気に成らされた。

そもそも、私自身がこの「廻る」ということに注意を向け出したきっかけは、今までにも幾度となく記して来た通り、今から30年ほど前のこと、自分の体調を悪くした時にはじまる。

いろいろな手立てを使って、何とか体調の改善をと試行錯誤している最中に思い出したのは祖母からの小言であった。

私の畑での畝綯(うねな)いの作業の仕方を見て、「お前のやっているやり方は片方にばかり寄せているばかりで、そんな風にやっていたら仕事がはかどんね~し、後から草臥れて体が痛くなってしまうぞ、畝は綯わせなければなんねぇんだよ」であった。

この言葉は自分の体調の復活を図ろうとする上で、大いなる教唆を含んだものとして私に働きかけをしてくれた。

同時に、年端も行かない子供の頃から、私に強い憧れを抱かせ惹きつけて止まなかった「縄文の土器の模様や、その精神世界」の謎解きを私なりにする上で、実際に縄文の遺跡や遺物にと多少の関わりを持っていた時には、全然気づきもしなかったことをも、何でこんなことも気づかなかったのだろうか。

と思える位に、この言葉によって理解できた事柄も多く、大いに参考になる含蓄のあるものとして位置付いたのであった。

その意味する所に思いを馳せると、改めて、私にとっては深く重みのある小言であったなあとつくづく思う。

撚(よ)ることと綯(な)うことは違う。撚ったもの同士を、互いにその撚りの方向とは逆にと絡み合わすと「縄」になる。

「縄」は「撚糸」よりも断然と強い。

「片寄り」とは「偏り」である。

生る・成る・鳴る・為る。これらは全て「綯われる」ことによって齎(もたら)された語であったのだろう。

そうか、「俺の身体の具合の悪い原因は身体を偏って使って来た結果だ。言うなれば撚糸のようなものなんだ」。

身体を「撚糸」から「縄」にと変えないと、私は体調の悪さから解放はされることはないだろう。そうこの時に確信した。

それから自分の身体に生じさせてしまった偏りをどのように均して、綯われた状況の身体にと戻すにはどうすればいいのかばかりをズゥ~と考え続けて30年来た。

つづく

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お祓い 3

2011-02-12 00:55:53 | 廻るという事
鷲宮神社の神官の振るった幣は形に決まっていて、左・右・左と上半身を伸ばし腰を折り、腕を伸ばし横伸びした∞マークを描くように調子をつけながら左右に振られていたのが思い出される。

振られる幣の紙垂がそれに併せて空を切り、サッ・サッ・サッと微かな音を立てながら舞い見ていて格好が良いと感じたものだが、それと比較すると、ここ稲荷様の茅の輪の脇で、潜り抜けた参詣者に幣を振るっていたアルバイトの巫女さんの振る幣は、丁度、お掃除の時に使うハタキをかけているようにして上下に揺するばかり・・・・。

私たち3人ともが、頭を垂れて幣のお祓いを受けることを誰が音頭取りをして申し合わせた訳ではなかったのだが遠慮して仕舞い、そのまま拝殿へと進んでお参りを済ませたのだった。

はるおさんが見たいと言っていた目的の木瓜の木は、境内の中ほどにあって小枝が密集し高さが2m位の大きな株立ちの木であった。

その小枝にはお御籤の紙片が括り付けられてあったが、特別にはるおさんはこの木を見ての感想は洩らすことはなかった。

ただ、今回この神社を訪ねて私ははじめて初詣の折(年越しの祓いとしてなのだろう)にも、「夏越の祓い」の時と同じように「茅の輪くぐり」をする習俗があることを知ったことは感激であった。

とくに「輪越し」の仕方、あるいは幣の振り方は、あらためて目にして自分の注意が喚起されて、自分が主宰する体操にもこれを応用し活かすようにしなければならないと、そんな気を強くした。

そんなことが手伝って、これを機会にして少しばかり、これらにまつわる事柄について「廻るという事」の括りで私の考えや見方など思いついた儘に記しておこうかと思う。

つづく

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