聖ボナヴェンツーラ
御身はどんなに汚れた罪人、どんなに卑しい罪人をも、おいといになることはない。御身に向かって、哀願の嘆息をもらしただけで御身は同情の御手を差しのばし、これを、絶望の淵から救い上げて下さるのである。
ルトが、ボーズの寵愛を受けたように、マリアは、主のご寵愛を受けた。マリアは、落ち穂、すなわち、刈り入れびと達が残した霊魂を改心させるようおおせつかっているのである。
ルイ・ド・ブロア
この、世界には、マリアがいたら罪人、ご自分から遠ざけようとする罪人は一人もいない。
マリアは、どんなに憎むべき罪人をも嫌がったり、遠ざけたりするような事はなさらない。
どろ沼にはまりこみ、すでにほろびたも同然の罪人であっても、マリアの御助けを求めさえすれば、マリアは、この罪人と至愛なる御子とを和解させ、そのゆるしをとりなすことができ、その方法をしり、そしてこれをお望みになるのである。
聖ヨハネ・ダマセノ
絶望者の希望
聖ロレンシオ・ユスチニアノ
大罪人の希望
聖アウグスチノ
罪人の唯一のよりどころ
聖エフレム
ほろびたものの保護者
聖ベルナルド
御身は、絶望者をさえ、お助けくださるのですから、御身に信頼しないものがあるでしょうか。
私は確信しております。御身により頼むならば、私たちは、望むものをみな頂くことが出来るのです。ですから、絶望した人は、御身に希望すべきです。
聖ボナヴェンツーラ
マリアは、ご自分を敬い、愛する心をお求めになっている。
リシャール・ド・サン・ローラン
若いかもしかが、元気よくとびまわるように、
マリアは、自分に祈るものに、急いで、ご慈悲の乳を含ませてくださるのである。
マリアの慈しみに浴するには、わずかの努力、ただひとつのアベ・マリアだけで十分である
ノヴァリノ
聖母マリアは、ご自分の助けを呼び求めるもののそばに、走るどころか、飛んでいって、これを守ってくださる
福者アメデオ
その子供たちが呼び招くところには、いたるところに、この上なく速やかに飛んでいくのであって、この速さには、セラフィンの速さも及ばない。
リシャール・ド・サン・ローラン
技術のうちで旋盤術が最もはやい。このように、マリアは、全ての聖人たちのうちで、最も速やかに、私達を助けて下さるのである。
ルイ・ド・ブロア
マリアの私達を慰めたいという望みはきわめて大きく、わずかの祈りも、快く受け付け、すぐさま聞き届ける。
聖母マリアは、ご自分により頼む全ての者をかばうかのように、マントを広げて、聖女ブリジッタにおあらわれになった。
これによって、聖母は、右の真理を聖女にお教えになったのである。
同時に聖女は、天使の軍隊が、マリアのしもべを地獄軍の攻撃から防衛しようと待ち構えておいでになるのを見る事ができた。
リシャール・ド・サン・ローラン
マリアは、私達を助けようと、いつも、私達の祈りをお待ちになっている
ブシチツのベルナルディノ
マリアの私達に与えたいという望みは、私達の受けたいという望みよりも大きい。
リシャール・ド・サン・ローラン
マリアは、ご自分が、憐れみの御母とたてられたことをお忘れになることがない。
さて、悲惨のないところに、憐れみの用があろうか。世の母は、らい病にかかった子供でも、嫌だからと、これを捨てておく事が出来ない。
マリアも彼女に祈る「いかなる罪人もお退けにならない」私達の罪がどんなに恐るべきものであろうとも、マリアはこれをいやすことをお拒みにならないのである。