<スマトラ沖大地震・インド洋大津波>タイ;津波被災者支援のための署名活動

被災コミュニティーの土地を奪い、リゾート開発を目論む投資家、地方行政の動きに対して、「NO!」と言いましょう!

被災地訪問記⑪ -現地で得たナイライ村資料の訳出-

2005年08月16日 21時51分55秒 | ☆☆☆被災地訪問☆☆☆
「消えようとする水辺の村-ナイライ・コミュニティー記録書」
2005年6月

 ナイライ村はパンガー県ターイムアン郡、ナートゥー行政区ムー7にある古くからのムスリムのコミュニティーである。ナイライ・コミュニティー付近では100年以上の祖父の時代から開拓が開始され、当初はKiawnin家、Liibanrung家の2氏族の6,7世帯から居住が開始され、現在では101世帯の巨大コミュニティーに成長した。
 その後、プーケット資本のオーパース社がこの地での採掘のために進出し、Tosem Liibamrung氏とTohaat Hiran氏に対して、採掘のために土地を売ってくれるよう持ちかけた。その際の両者間での合意内容は、採掘期間が終了した際には住民に土地を返すというものであった。
 採掘利用期間が終了した1983年から現在までは、元から居住している住民、そして採掘期に新たに居住してきた住民たちは、漁業や養殖業などで生計をたてていたが、誰一人として土地が投資家のもとに渡っていることを知らなかった。
 彼らの土地は石鹸会社のThanaayong社の手に渡り、その後その会社の不良債権処理の一環として、ナイライの750ライの土地が5億Baht以上の値段で市場に放出され、プラチュワップキリカーン県でパイナップル工場を経営する富豪Somkriat Liitiira氏が、ホテル、リゾート地、ゴルフ場開発用地として購入していた。
 彼は一度、彼の土地を不法占拠しているとして住民を訴え、話し合いの結果、住民の一部のグループに土地の管理書を交付している。しかし、住民のほかのグループは、彼の土地の権利を信用せずに、その交渉を拒絶した。
 
 2004年12月26日の津波による被害は、死者1名、負傷者11名、家屋倒壊110軒(全壊72軒、半壊38軒)、道路、橋、電線への被害、水道、電線の断線などをもたらし、住民の全員が仕事を失うこととなった。

 2005年3月28日、合計20名の住民が他人の土地に不法占拠しているという容疑で告訴され、Sombuun Kifairoot氏を代表とする原告側は、Somkriat Liitiraa氏がその土地の正式な土地権利書を持っていると主張した。2005年3月30日、住民側は、彼らは津波被災者であり、現在被災者として困窮している身であることから、原告側の主張への回答に関して猶予期間を与える旨の文書を受け取った。その文書は、住民が裁判所から受け取った初めての文書であり、いったいいつ新たな文書を受け取ることになるのかについては、住民の誰もわからない。2005年4月9日、あるグループが土地調査を行いに再度村を訪れたのだが、地域のリーダーにも、住民にも事前に何も言わず、土地調査の理由に関しても教えてくれなかった。住民側はその土地調査に抗議したのだが、そのことが結果的に地域の権力者と意見を異にすることになり、終始住民たちは脅迫や暴行を受けることとなった。2005年4月11日には、住民80人が土地調査に関する抗議文をターイムアン郡の土地管理事務所に提出し、土地管理職員から土地調査を辞めさせますという回答を得た。
 2005年6月13日午後3時。ナートゥー行政区区長補佐と私服警官に率いられた1群が村にやってきて、住民たちが建設中の住居全てを2005年6月28日までに撤去するよう、そしてもし従わない場合は法廷措置を取る旨を記した文書を村の全ての家々の壁に貼り付けていった。
 この土地は住民が長年居住している土地である。住民たちは強大な権力や恐喝、暴行に対してどのように対処していくことができるのかわからないが、自分たちや、子供、祖先の魂、そして居住の地を得るために、闘わなければならない。
 津波によって破壊された住居の再建作業に関しては、村人のみならず、国内、海外の様々な支援団体や学生が建設作業を手伝いに来てくれている。多くの力を借りた建設作業も、もうじき完了することができるだろう被災民のグループからの友人も建設を手助けにきてくれており、例えば、
・ タップタワン村(タクアパ郡)
・ レームポム村(タクアパ郡)
・ アンダマン復興ネットワーク
・ 居住地開発財団
・ 動植物保護財団
・ スラム4リージョン
・ 南部漁民連合
・ 社会のためのボランティア財団などである。

(註)津波発生後の被災地における土地問題解決のために設立された、「南部6県津波被災地土地問題解決小委員会」の代表を務めていたSurin Pikunthoong氏は、土地問題を抱える被災村落として、ナイライ村、レームポム、タップタワン、タップヤーン・コミュニティーを6月27日に訪問し、各村落での対策について住民と話し合った。ナイライ村に関しては、郡の土地管理事務所に対して、土地所有者と土地権利書に関し、住民がもとの土地に居住できるよう、そして養殖場として採掘場を使用できるよう対応してもらうよう求めるというもので、コミュニティーに対しては、居住の歴史(設立年度など)と詳細な世帯情報を収集してくれるよう申し出ている。
→採掘場というのは、村の話し合いの場(コーヒーショップ)の裏の入り江のことで、その入り江の地下の鉱物を採掘していました。あの入り江で津波前から養殖をしており、今後の仕事のひとつとして、あの入り江で養殖をしていきたいと考えています。

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