楽園づくり ~わが家のチェンマイ移住日記~

日本とタイで別々に生活してきた私たち家族は、チェンマイに家を建てて一緒に暮らし始めました。日常の出来事を綴っていきます。

妻の日記

2017-05-27 23:58:48 | タイの家族

妻が亡くなって、あっという間に8日が経ちました。昨夜、寝る前にまた例によって妻のことを思い出していました。そうしたら、あることにハッと気づいて、思わず「ゴメンね!」と口に出してしまいました。


妻は13年ほど前、私と一緒に暮らし始めた頃から3年間ほど、私の知らない間に日記を書いていました。もちろんタイ語です。自分の生い立ちや、当時はバラバラに暮らしていた子供たちのことも書いているのですが、内容の多くは私への思いです。なぜこの3年間ほどだけ日記をつけていたのか、その理由は聞いたことはありませんし、この10年ほどはその存在すら忘れていました。

そのころ、私は将来彼女を伴侶とするかどうかについては煮え切らない態度に終始していました。彼女の欠点がやたらと目についたり、お互いに法的には結婚している相手がいたりしました。それだけでなく、彼女には非常に複雑な問題もありました。

実は10年ほど前にいろいろなことがあって、彼女は日本人と結婚して配偶者ビザがあったにもかかわらず、東京入国管理局に収容されたあと、退去強制処分を受けました。つまり、あなたは日本から出ていけという国の命令ですね。

いずれ詳しく書くつもりですが、私は彼女を救うためにいろいろなことをしました。もう本当に、今思い出してもよくあれだけのことをやったなあ、というくらいやりました。国を相手に行政処分取り消し訴訟というのもやりました。そのあと再審情願というのもやりました。弁護士費用だけでも馬鹿にならない出費でした。

この話はまたの機会にして、今日は日記に戻ります。

私が彼女と出会ったのは2004年、日記は2005年から2007年です。その日記を彼女のお母さんにも読んでもらおうと考えて、一昨日コピーを取りました。そのついでに、ほぼ10年ぶりに改めて日記を読み返してみました。彼女の知り合いのタイ語の堪能な日本人女性が、裁判の証拠として提出するために翻訳してくれた日本語版です。少しだけ抜粋すると・・・(〇さんは、もちろん私のことです)

2005年6月1日

〇さんだって家族がいるんだってこと、私も知ってる。〇さんが私のことをいろいろ考えてくれていることも知ってる。生まれてからこの歳になるまで、こんなに全てを包み隠さずにさらけ出して話した人はいないわ。〇さんは、私が日本に来て初めて本気で好きになった日本人。

私はお金のことで〇さんに頼っている。でもそのことで〇さんが困るなら、もういいの。大丈夫。どうしようもないもの。

私は〇さんと子供が恋しい。子供の心配ばかりしている。3人の子供を抱きしめてあげたい。添い寝したい。子供に勉強を教えてあげたい。学校の送迎をしてあげたい。毎日の洗濯をしてあげたい。困っているとき、抱きしめてあげたい。いま子供には私が必要なんだって、私にはわかる。

2005年6月6日

こんなふうに離れて暮らしていたら、私と子供たちの繋がりはだんだん薄れていってしまう気がする。

何で私はこんな悪い母親になってしまったんだろう。家族がバラバラになっちゃう。家族をもとに戻したい。昔みたいに子供と一緒に暮らしたい。今は地獄に落ちたみたいで、とても苦しい。

2005年12月26日

昨日の夕方、また〇さんと喧嘩した。

私って、〇さんにとって何なの?〇さんは私のことをゴミか何かだと思ってるの?前はあんなにラブラブだったのに。

もう〇さんを信用しない。〇さんは私をかわいそうな人でも見るような眼で見る。私が貧しい育ちだから?知識もないから?

〇さんと私は住む世界が違う。私は貧しい女だけど、〇さんのことを愛している。愛しすぎて困ってしまうくらい。〇さんに私の旦那さんになってほしい。でも〇さんは私を奥さんになんてしたくない。

誰も私に本気になる人なんていないと今わかった。私には存在の意味なんてない。夜の女だったんだから。ほかの人みたいに大切にされることもない。でも私は〇さんをとても大切に思っている。これから私はどれくらい頑張れるだろうか?

私は生まれも育ちも貧しい。家庭もない。あるのは夢ばかり。何かに立ち向かう勇気もない。どうして痛い思いをすると分かっていながら、そこへ向かうのか?

子供たちからは子を捨てた親だと思われている。どうすれば再び子供たちと一緒に暮らすことができるんだろう?

2006年4月10日

〇さんは以前とは違ってしまった気がする。私はバカで貧しい。もし〇さんが本気になってくれたら、とっても嬉しい。私は彼を愛しているから。

〇さんは私の心のすべてを支配している。〇さんと一緒にいたい。死ぬまで一緒に過ごしたい。〇さんは、私の最後の人。もし私たちが別れなければならないなら、私の命はおしまいよ。〇さんと離れてしまったら、私は生きていけない。

 

今日はこれくらいにしておきます。

読み返してみて思ったことがあります。それは彼女の私への思いは2008年に結婚してからも、2012年にチェンマイに移り住んでからも、そして病気が進行してきて死が近づいていることを自覚するようになってからも、きっと彼女は全然変わらなかったのではないかと。それに比べて、私の彼女への愛情は全然足りませんでした。

「自分が動けるうちに2人だけで海が見たい」と彼女が言っても、結局連れていくことができず、ゴルフばかりしている私に「また前のように一緒に付いて歩きたい」と言っても「体に良くないから、それはやめた方がいい」とか、全く彼女の希望を聞いてあげなかったのです。

どうしてもっと彼女の思いを大切にしてあげられなかったのか。日記に書かれていた頃は仕方がなかったとしても、私は彼女をずっと愛しているつもりでした。でも彼女から見れば、本当に愛していたと言えるのだろうか?彼女はやっぱり不安で仕方がなかったのではないだろうか?

「こんなにも私を愛してくれたのに、私の愛は全然足りなかったね。ゴメンね」と、もう遅いのですが、声に出して彼女に謝りました。

 

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
のり3さんへ (うさぎ)
2017-05-28 22:02:43
コメントありがとうございます。
う~ん。。。材料が足りません。もうずっと前から、彼女から聞き取りをするつもりでしたが、タイミングを失してしまいました。もし、ちゃんと彼女の軌跡をたどるなら、私と出会う前の彼女について、知っている人に取材しない限りは、ほとんど概略しか書けません。タイ人の関係者はたくさんいますが、言葉の問題もあって、取材には時間と費用がたっぷりかかるでしょう。

ということで、100日までにというのは、私の力量ではとても無理ということを分かってください。でも、そういう提案をしていただいたことは感謝しています。ブログで少しずつ、材料がある範囲で、書いていくつもりです。
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P-takさんへ (うさぎ)
2017-05-28 21:55:27
コメントありがとうございます。
どうなさったのですか?アレルギーですか?
ごめんなさい。
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出版のお勧め (のり3)
2017-05-28 15:47:07
ブログ初期の様に、今度は奥さんの一人称ノンフィクション本を出筆されたらいかがでしょうか。
彼女への弔いと、生涯の足跡として記憶と記録に残しませんか。
うさぎさんの心の寂しさも癒す事が出来ます。
100ケ日の完成を目指しませんか。
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鼻がツーンと... (P-tak)
2017-05-28 10:43:22
何を書いてもウソっぽくなりそうなので、何も書けません。ただただ鼻から水が........。
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