いろいろ事情があって、
GReeeeNというバンドの『キセキ』聴いています。
何度も何度も曲を聴いて、パートごとの
音の響きを覚えています。
懐かしい道を、車で走りました。
車のスピーカーからは『キセキ』がリピート再生されています。
大好きだったラーメン屋さんが、
お店をたたんでいました。
通るたび、風景が変わっていきます。
流行りの歌のことは分からないけど、
『キセキ』は、たぶん、「ラブソング」で
何十年とか、何百年先もずっと一緒だよ、みたいな
内容の歌詞でした。
百年、という年月を漠然と思いました。
お店をたたんだラーメン屋さんのおじさんとおばさんは、
今、どうしているんだろう、と思いました。
百年経ったら、今いるこの場所は
どうなっているんだろう、と想像しました。
大手のハンバーガーチェーン店や
ファミリーレストランは、夜でもお客さんがいっぱいで
当分は、このままここにあるんだろうな、
でも、百年、だったら、さすがにどうなんだろう。
1910年に起こった歴史的な出来事を思い浮かべてみると、
ハンバーガーやファミリーレストランはおそらく
なさそうなので、
2110年のこの場所は、やっぱり、今とは
ずいぶん違う景色なんだろうな、と感じました。
旋律は繰り返され、頭の中でばらばらになり、
また、元に戻っていきます。
永遠を唄い、奇跡を願い続けています。
今、自分がこの場所にいるということが
偶然なのか、必然なのか、それとも奇跡なのか、
それは哲学的命題ですが、
少なくとも今の僕にとっては、
早く家に帰って、頭を冷やして、
乳酸菌飲料を飲んで寝たいなぁ、という
現実的で、前後の接続がおかしく、冗長な言葉の羅列へと
着地するのです。
20年前分譲住宅地として売り出されたところで、高齢化が進み、ついに小学校も閉鎖になりました。百年単位で見たときこの団地は果たしてなくなっているのだと思います。
【哲】0的確定論
『或質的な面が物理的に確定する場合の確定要素は【0】である。』
【0特性】
◇絶対性
『拡がりが無い,』
◇不可分性
『分けられない,』
◇識物性
『存在の1の認識が可能, 即ち考えるもとの全てが【0】より生ずる, 但し質的な変化に対し絶対保存できない,』
◇変化性
『物による逆の確定が不可能な変化 (可能性の確立), 即ち存在の【1】を超越して変化する。』
【0特性】が真理であるならば, 時間平面的な視野は物的ではなく, 質的に変化していることになる。その根據が【0∞1】, 有限的無限性を有する物による質の確定が不可能であること, そもそも確定する質が何かを知り得ない以上, 物理的確定論は絶対的ではなく類似事的な確定であること, である。
零的確定論では, 一つの時間平面が, 拡がり無き【時の間(はざま)】に確定していると考える。同様に空間を捉え, 【空の間】に空間を置き, 絶対的変化を与える【質】を流し込む。つまり時間平面は, この表裏不可分の裏側の【絶対無】により0的に確定されることになる。
△無は有を含む。
GReeeeNも「キセキ」の歌詞もよく知りませんが、
サントラ好きの私は、「キセキ」がラジオから聞こえてくると、
ドラマの場面を思い出し、やる気が出てきます。
ロマンチックにかっこいい、魔女見習いの、いい女の自分と
けちで現実的でお腹もすいちゃうおばさんの自分と・・・
どっちも本当の自分自身。
ありがとうございます。
僕の住んでいる地域は
今、人口がどんどん増えているみたいです。
少子化、という言葉があるけれど、
ほんとかな、と思ってしまうくらい、
街に子どもの姿がたくさんあります。
>K様
コメントありがとうございます。
きっと、すごいことが
書いてあるんだろうな、と
思って、何度も読んだのですが、
ごめんなさい。
僕のレベルでは理解できませんでした。
考えることって楽しいですよね。
何か思いつくと、
それを誰かに伝えたくなりますよね。
>クロヤギ様
ありがとうございます。
そういう名前のドラマをやっていた
ことくらいは
かろうじて知っていましたが
当然、実際テレビを見ているはずもなく…
はぁ、もう、常に
浦島太郎状態です…。
>たんぽぽ様
ありがとうございます。
「自分の気持ちを文章に書く」場合、
自分の気持ちそのものが
揺らいでいて当然なんだから、
文章も、前後が入れ替わったり、
内容が飛んだりして、それで
ふつうなんだよな、と感じます。
たんぽぽさんがおっしゃることに
近いかもしれませんが、
文章がまとまらなくても
まとまらないのが、自分自身、と
思います。