『ハートは心臓にある』 (グリオーマ・脳腫瘍・てんかん発作・へたれ日記)

脳腫瘍(グリオーマ)と共に生き、人生を哲学します。2015年2月に再発・手術、膠芽腫と診断→抗がん剤治療中です。

これさえ無ければ、の「これ」が大きい話。

2015年01月28日 23時31分33秒 | 本音とか愚痴とか


9年付き合っていますが、てんかん発作というヤツは
ほんとうに、面倒だな、と思います。

今日は、朝から、ひとつ仕事をしました。

知識や経験やいろいろなものを
積み重ねて、
仕事の技量は上がっていくのだと
僕は考えています。

おそらく、どんな仕事でも
そうなんだろうな、と思います。

今朝、僕が取り組んだのは、とても、
特殊な仕事でした。

作業をしながら感じたのは
「判断力や理解力の衰えは、ほとんど無い」と
いうことです。

コンピュータの力を借りれば、
複雑な仕事もこなすことができます。

しかし、実際、働く上では
「いつ起きるか分からないけいれん発作」は
障害になります。

なんとなく書いてしまいましたが、
まさしく「障害」です。

差し障りがあって、害があります。

これはあくまでも、僕個人を基準にした
考え方です。

「てんかん発作」が無ければ、と思います。

同じグリオーマの友人や知人はたくさんいます。
でも、皆がけいれん発作を起こしているわけでは
ありません。

体調が良いとは言えないけれど、
「これさえ無ければ」と、悔しい思いです。

せっかく頭は、まだ動いていて、
意欲もあるのに、
いつダウンするか分からないのでは
先の見通しが立ちません。

横文字は苦手ですが、
QOLが低下している、と感じます。

もちろん、生きていて、呼吸ができて
食事ができることへの
感謝を忘れることはありません。

単なる欲張りなのだと思いますが、
遊びたい、と言っているわけではなく、
僕は単に「仕事がしたい・働きたい」だけなので、
何とかならないかなぁ、と感じる毎日です。

--

「余命宣告 LIVE_vol.4」
2015年1月31 日(土曜日)開催いたします。

「余命宣告.com」サイト内、詳細のページです。
http://www.yomeisenkoku.com/live_2015.01.31.html
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ここを乗り切れるのか。

2015年01月16日 23時08分25秒 | 本音とか愚痴とか


お昼休みの時間ではあったのですが、
勤務先で、てんかん発作を起こしてしまいました。
午後はギブアップして、帰宅しました。

書類のキャビネットの前で
うずくまり、けいれんしながら僕は運命を呪いました。

かつて、僕は
「まだ身体は動くのに」という思いを抱え、
仕事を辞めました。

幸い、現在の仕事をいただくようになって、
7〜8年が経っています。

拾っていただいた恩に報いたい、という一心で、
慣れない仕事の分野をとにかくひたすら
勉強し続けました。

今は
「まだ頭は動くのに」という状態です。

体調が良くないから
仕事の途中で帰る、ということは
風邪をひいて熱を出したような場合は
あることだと思います。

しかし「てんかん発作を起こした」ということは
また起きるかもしれない、という可能性を
生んでしまったことになります。

体調の管理も仕事のうち、と思っていますが
グリオーマくんは、何かを心がけてどうにかなる
問題ではないので、どうしようもありません。

周りの親切に甘えて、
気を遣っていただいてまで働くのは
申し訳ないと考えます。

どこが引き際なのか、
いつかは来ることと分かってはいましたが、
積み重ねたものを、
結局、また手放すことになると思うと、
気が重いです。

11月の初旬から体調が悪くなり、
てんかん発作は日常となりました。

今までも起きてはいたけれど、
大きな発作は数年に一度だったし、
寝る前、家の中、など
安全な場所や時間に限定されていました。

時間も場所も予測できなくなると
行動に制限がかかります。

趣味の音楽でも、
練習中に発作を起こして倒れています。

意識のある発作は苦痛を伴うので、
精神的にも追い詰められていきます。

その先にあるのが、
さらに激しい発作、再発、死、と分かっていて
そう簡単には死ねないことも知っているので、
日々、絶望という鏡を覗き込んでいる気分です。

毎日、発作のたびに、死、という言葉が
頭に浮かびます。

今の段階では、てんかん発作さえ
減ってくれれば、僕は、
生活を取り戻すことができます。

通院日が近いので、
主治医の先生に相談してみようと思います。

こうなったら、
ライブはむちゃくちゃやってやろうと思います。

--

「余命宣告 LIVE_vol.4」
2015年1月31 日(土曜日)開催いたします。

「余命宣告.com」サイト内、詳細のページです。
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充電したい

2014年09月18日 22時38分28秒 | 本音とか愚痴とか


体調が優れないせいだろうか、
心が歳を取ったような気がする。

頑張りが効かなくなり、
怒りよりは悲しみに支配される時間が
長くなった。

グリオーマ、という言葉について
毎日考える。

「次」は、いつ来るんだろうか。

単三電池を良く使うので、
充電式の電池を愛用している。

何度も充電していたら、
だんだん、すぐに電池が無くなるように
なってしまった。

僕が最近見た中で、一番
「これ、いいな」と思ったコンピューターがある。

ノートパソコンなのだけれど、
バッテリーが壊れてしまっていて、
ACアダプターで電源を供給し続けないと使えない。

うっかり、コードを抜いてしまったら、
強制終了だ。

僕も似たような存在だ。

泉は、とっくに枯れてしまった。
僕はマイナスから何かを生み出そうとし続けて、
本当に枯渇してしまったんじゃないかと思う。

時間が欲しい。

悲しみを埋めるために。
怒りを鎮めるために。

創るために。
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もどかしい

2014年06月08日 22時16分25秒 | 本音とか愚痴とか


空っぽになってしまったな、と思う。
疲れているからだろうか。

それとも、グリオーマと、伴うてんかん発作と
長く生きすぎたせいだろうか。

けいれん発作を避けるためには
感情の起伏を抑えなくてはならない。

そのための薬も飲んできた。

その結果、僕は上手く自分を表現できなくなり、
そもそも自分がどうしたいのか、
分からなくなってしまった。

内側には、激しい情熱がある。
でも、疲れ過ぎてしまって、
取り出すことができない。

感情に鍵をかけてしまって、
素直に心情を吐露することができない。

今、心のうちにある感情を
吐き出して、ぶつけることができたら
きっといい音楽ができると思う。

人が聞いて、心地よいものであるかどうかは
分からない。

僕は自分自身のことだって分からないからだ。

ただ、自分に正直で有り続けることが、
表現の形であるのなら、
僕はまだまだ、歌を唄えると思う。

もどかしい。
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生きていくのに必要とは言え、結局、金なのか。

2014年02月14日 00時12分12秒 | 本音とか愚痴とか


何かと何かをつなぐのに理屈が必要だというなら
そんなものは、ぶん投げてしまいたい。

綺麗事ばかり並べても、
結局、嘘ばっかりじゃねぇか。

小説が好きだった。もちろん今だって好きだ。

でも、想像を超えた過酷な現実を
突きつけられて、僕は、正直、呆然としてしまった。

悲しいとか、苦しいとか、そういうことを突き抜けて
そこに見たのは、もう、ぐちゃぐちゃな感情そのものだった。

僕は無力だ。

「金を稼ぎたい」と僕は久しぶりに思った。

金銭で解決するなら、玄関先に乗り込んで、
札束を叩きつけたいと思った。

大切な人の、大切な時間を
もし、金勘定で喰い物にしているのなら、
ふざけたこと言ってんじゃねぇ、と
吠えてやりたいと真剣に思った。

そんなに金と自尊心が大切なら
くれてやるよと言えたらどんなにいいだろうと
思った。

もちろん、現実はそんなに簡単ではない。
僕の貯金なんて、たかが知れている。

どうにかしたいときは考える。
考え抜けば、道は開けるかもしれない。

どうしようも無いかもしれない。
でも、何もしないよりは、ずっとマシだ。
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主に使う人が決めればいいと思う(解決?)

2013年08月24日 00時13分11秒 | 本音とか愚痴とか

「パーソナル・コンピュータ」といえど、
できるだけ『パーソナル』な設定は行わないようにしています。

僕の場合、仕事の関係で、どの場所のどの端末を使うのか
分からないので、『購入時に近い状態』で使い続けないと、
いざというときに戸惑ってしまいます。

電話でお問い合わせをいただくことも多いので、
相手の画面が浮かばないと、上手く説明できません。

ちゃこさん(妻)は毎日僕のコンピュータに関する話を
聞かされて(?)彼女の職種の中では
機械に強いほうだと思います。

そのちゃこさんが、1年前くらいから
『あー、もうこのパソコンくんはダメかもね~』と
言い始め、部品を交換しながら粘っていましたが、
遂に壊れてしまいました。

ハードディスクにアクセスできないし、
マザーボードの画面も表示されないし、
CD-ROMから違うOSで起動することもできないし、
かといって、電源の供給は正常なので、
僕のレベルでは直せそうにありません。

今は予備のノートパソコンを使っています。

とはいえ、やはりずっと使っていた機械は
それなりに『パーソナル』になっていたらしく、
作業の効率が落ちてしまいました。

仕事でも使い、作曲にも使い、
イラスト関係の作業にも、とマルチな活躍をしてくれた
僕の「Windows Vistaくん」は引退となりました。

もちろん、データや環境のバックアップは
定期的に取っているので、復旧に時間はかかりません。

今度買うコンピュータは
「ちゃこさんのパソコン」です。
部品を交換すれば長く使うことができますが、
そもそも、僕自身があと何年コンピュータを使えるか
分からないからです。

耐用年数とか、減価償却とか、そういう
未来へ向かった思考が苦手です。

仕事においては常に意識していますが、
私生活でそれを考え始めてしまうと、
自分自身の故障の問題に置き換わってしまい、
気が重くなってしまうのです。

家で仕事をするときに使うソフトウェアは
32bitのOSにしか対応していません。

もう仕事をしないのならば、
迷わず64bit機にするのですが、
ここは、ひとまず、32bitを選択して、
あとで64bitにすればいいのか……。
そもそも、そんなに処理が早い必要があるのか…。

僕が動けなくなったとき、
ちゃこさんがスムーズに使うためには
パーツショップで組み立ててもらうより、
メーカー製の機械を買ったほうが良いのか……。

と、一番忙しい時期に故障が発生したのに
買い替えに消極的な週末です。

コンピュータも、世界もどんどん変わっているのに、
僕だけ取り残されていくんだな、と感じます。
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変な感じの反省

2013年05月14日 22時47分13秒 | 本音とか愚痴とか


日中はひたすらコンピュータのキーボードを叩いていた。
そういう仕事なので当たり前だ。


5年続けさせていただいているので、いろいろなことが
できるようになった。


「プロ」の定義について考え始めると暗い気持ちになる。
少し落ち込んでいたけれど、考え方を変えた。


実際お金をいただいてやっているのだから、
自分はプロフェッショナルなのだ。
仕事に妥協はしない。
僕はずっとそうやって働いてきた。


自信は無い。だからプロなのだ。
技術は常に進化する。毎日勉強し続けている。
そのことを忘れてはいけないと
変な感じの反省をした。


夕食後、ちゃこさん(妻)が裁縫をしようとしたら、
ミシンが壊れていることが分かった。


糸を固定する部分が割れてしまった。


縫い物のことは全く分からない。


でも、役に立てそうだったので、
竹串を糸巻きの軸替わりにした。


ちゃこさんが生地を縫うたび、糸巻きが回る。


さすがにミシンの分解はしないけれど、
きっと様々な先人の知恵が詰め込まれた機械なんだろうと思う。


上司からの指示は常にメモに残している。


解決できない問題は少し時間を置く。


今朝、目が覚めたとき、
「こうやれば可能なのでは?」と
アイデアが浮かんだ。


いつもいつも考え続けていれば何かの形にはなる。


最短距離では無いかもしれない。
非効率な部分ばかりかもしれない。


でも現状の維持ばかりを考えて
新しいことを受け入れない脳にはなりたくない。


僕は恵まれた環境にいるので、
「ハングリー精神」みたいなものを忘れてしまっていた。


もう一度、20代の頃の向上心を
自分自身に取り戻したいと感じた。


薬で頭がぼんやりしている。
でも、工夫次第で何とかできるはずだ。

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最短距離で打ち抜け

2013年03月18日 22時07分06秒 | 本音とか愚痴とか


深夜、目と脳を休ませるため、
ベランダに出て、夜の空気を吸う。


春の気圧変化のせいだと考えたい。
からだがの調子がどんどん落ちている。


9時間コンピュータに向かい、3時間眠り
また9時間、という生活を繰り返していたら、
朝なのか夜なのか分からなくなってしまった。


焦りから、つい、ほとんど休憩もとらず、
ひたすら作業を続けてしまう。


残り時間をカウントする暇があったら、
仕事を進めるべきだと、自分に言い聞かせる。


頭がぼんやりして、
「今なら大丈夫」と感じる瞬間がある。


だって、たくさんの人とつながっているから。


今なら、どんな苦しみにも耐えられる、
重責痙攣を喰らって、左手足を失ったとしても。


でも、それはやっぱり、錯覚だ。


痛みや苦しみは、個人に属する問題だ。
僕自身が引き受けねばならない。


恐怖と闘うためにキーボードを叩くのか、
恐怖を振り払うためにキーボードを叩くのか、
分からない。


自分の中の「時間」の価値が上がっていく。
長く生きれば生きるほど、
相対的に、残り時間は貴重になる。


少なくとも、もう、回り道はしたくない。
回り道をして、何かに辿り着くことができる人を
羨ましく思う。


そんな余裕、無いよ。

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老後

2012年03月20日 23時44分52秒 | 本音とか愚痴とか


僕はアルバイトをしています。


ほんとうは、もっとたくさん働きたいけれど、
倒れてしまっては意味が無いので、
週に数回の勤務です。


家では仕事に関する勉強を怠らないよう、
また、体調を維持できるよう、
リハビリや訓練に励んでいます。


でも、ひとたび、外に出て
誰かと話せば、
「奥さんに養ってもらっているんでしょ?」という
話になります。


働くことの意義は、金額の多寡だけでは
ないと僕は思っているのですが、
そう受け止めてもらえることは稀です。


言わないから訊かないだけで、
実家から、ちゃこさん(妻)宛に何かの形で
金銭的援助がされているであろうことは
察しています。


それはとても有り難いことで、
感謝すべきことなのですが、
ときどき、僕がしているこの時給の発生している行為は
いったい何なんだろう、と考えることがあります。


だから僕は、職業欄に「無職」とか「ヒモ」と
書きます。


名刺も持っていますが、
肩書きは何もありません。名前と連絡先だけです。


僕には、いわゆる“障がい者”の友人や知り合いが
たくさんいます。


彼らから見れば、僕は”病人”であって、
括りとしては“健常者”なのかもしれません。


でも、僕はときどき、
そうした友人に話すことがあります。


『別に誰が何だろうと、どういうカテゴリーに分類されようと
 関心は無いけれど、でも、僕は外に出れば、
 金銭的に「自立」していない、“病人”で”障がい者”扱いなんですよ』と。


今のアルバイト先に拾っていただいて、数年が経ちました。


体調のこともあるし、もちろん仕事なので、
たいへんなこともありました。


でも、何より、きついなぁ、と感じるのは、
仕事とは全く関係のない場面で、
「自分のできる範囲内で精一杯働いているのに
 それを評価してくれとは言わないけれど、
 そもそも働いていない、くらいの扱いを受けてしまう」こと
かもしれないと、感じるようになりました。


僕は、よく冗談で
『僕は早めに老後が欲しいです』と言います。


明日も明後日も、朝からアルバイトです。


人と接する仕事に関しては正解は無いけれど、
機械関係の仕事については、
自分の時給を考えると、
かなりのコストパフォーマンスを叩き出していると、
自分では思っています。


それが僕を拾ってくれた今の組織への恩返しになれば、と
思っています。


僕は働きます。
そして、疲れて発作を起こします。
生活費は、実家やちゃこさんに出してもらっています。


だから?


ここ数年間、
投げかけられた数々の言葉が頭の中で何度も響きます。
うるせえよ。契約が切られるまでは、
それがたとえどんなに小さな仕事でも全力を尽くします。


頑張らなきゃ、何にもできません。
病気なのだから、人一倍努力が必要です。
頑張らなくてもできることに給料が支払われるほど
今の世の中の景気が良いとも思えません。

人に押しつけるつもりは全く無いけれど、
僕は頑張ります。

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「365 × y = d 」

2012年02月14日 23時21分48秒 | 本音とか愚痴とか


苛々しているときは、
「365 × y = d 」と計算したくなる。


その式が頭に浮かんだだけで、
さらに苛々する。心が鎮まらないと発作になる。悪循環だ。


今日は何もしなかった。
ご飯は食べた。呼吸もした。
テレビゲームをしていたら心底不毛な気持ちになった。


夕食後、チョコレートを食べた。


それでもやっぱり気持ちに棘があるのが分かる。


ギターの練習をした。少し落ち着いた。
最近、僕にとって、ギターを弾くことは、
苦しいけれど、ちゃんと自分と向き合っていることの
証であるような気がしている。


「y」の値次第によっては、ギターも弾けなくなる。


だから、これは努力ではない。
何かに向かっているわけではなくて、
自分を破壊するために僕は楽器を弾き続けている。


眠れない日が続いている。ここ数年、ずっと眠れない。
眠ったら人生が短くなってしまうような気がして、
怖くて眠れない。


かといって、眠い頭では何もできない。
だから、僕はひたすらギターを弾く。
キーボードを弾く。


上手くなんてならない。
評価なんて要らない。


残り、あと、何日なんだ。


分からないから、自分で、近い日付に予定を作る。


もう疲れた。

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疎遠になってしまったのに

2011年12月26日 23時20分50秒 | 本音とか愚痴とか


ライブに出るので、友人や知り合いに声をかけています。


「友人」と書いたけれど、何年も
連絡をしていない人ばかりでした。


なんでだろう、分からないけれど、
病を得て、狭い範囲で行動するようになって、
友だちが減りました。


僕自身のちっぽけな自尊心のせいもあると思います。


僕と会ったって、もう、そこは行き止まりで、
話も弾みません。


僕は28歳で、なんとなく、みんなと一緒に歩いていたように
思っていた道を外れ、違うコースを歩み始めました。


僕は老後のことを気にしないし、
子育てで悩むこともありません。
朝から晩まで立派に働いて、税金を納めて、
社会を支えている友人たちや、
子育てをしている友人たちと、
僕は、何を話せばいいんだろう、と思っていました。


久しぶりに電話をかけるのは、勇気が要りました。


久しぶりだからこそ、電話にしようと思いました。


書いていて、涙が出てきそうになるのですが、
僕が電話しても、誰一人、嫌そうな感じではなく、
「え、どうしたの?急に?大丈夫?」と
普通に話してくれるのです。


そのことが嬉しくて、
僕はブログを書いています。


卑屈になっていた自分を恥じています。


まだライブは先の話ですが、
もう、このことだけで、僕は
じゅうぶん、心満たされています。


懐かしい声を、たくさん聞いています。
今日は職場の先輩が2人、自宅を訪ねてくださいました。


困ったときしか電話しないヤツでごめんね。


何から話したらいいか、分からないんだ。


僕だって生きているんだけれど、
なぜだか、みんなを遠く感じてしまうのです。


みんなそれぞれたいへんなことがあると思います。
以前は、よく友人と集まって、そういう話をしました。


でも、今は、「元気かな」と
思い出すことはあっても、
怖くて、連絡することができませんでした。


『ライブに誘う』という口実ができたので、
これを期に、自分の心を開いて、
ひとりずつ、丁寧に手紙を書いたり、電話をかけたり、
しようと思っています。


文章がまとまらず、ごめんなさい。


このテーマを書くのは、きついです。
でも、病を得た方々なら、共感していただける部分も
あるかもしれないし、
身近に病気になった人がいたら、
こういうこと考えてる可能性があるかもしれないよ、って
そのことを伝えたくて書きました。


あと、みんなありがとうってことも、です。

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たまに分かって欲しいと思うことはあるけれど

2011年11月30日 23時21分04秒 | 本音とか愚痴とか


誤解の無いよう言葉を尽くせば、
言葉の数は多くなり、むしろ、誤解を招いてしまう。


簡潔であることが望ましいのは分かっているけれど、
こうしてキーボードに向かい、推敲する時間があればともかく、
口語表現において、しかも、今の僕の脳の処理速度で、
シンプルに物事を伝えるのは難しい。


A:「僕は嘘つきです」


と、僕はいつも人に言う。
でも、それは、ほんとうのことを正直に言っているに過ぎない。


B:「僕は人を信用しません」


と、僕はいつも人に言う。
でも、それは、人を簡単に理解したような気持ちにならないよう、
常に相手に気を配り続けるということの裏返しだ。


C:「僕は人を嫌いになりません」


以前はよく口にしていたけれど、信用されないので止めた。
一見、良いことのようなのに、信じてもらえないのは不思議だ。


でも、実際、僕は人が好きだし、
自分に関わる多くの人を、好きだし、愛していると自信を持って
言うことができる。


配られたカードは、いつも、テーブルの上に、
表にして並べておく。


裏表が無いようなふりをして、実際、裏があったり無かったり、
そういうのは面倒だから、とうの昔に止めてしまった。


そもそも、自分をひっくり返してみても、
どっちが表か裏かなんて分からない。


僕は嘘をつくし、人を安易に信用しないし、
そして人を嫌いにならず、人を好きでいることができる。
裏表は無い。


矛盾したA及びB及びCは、僕の中では
整合性を保っていて、きちんとした道を作っている。


なかなか、人に分かってもらうこと出来ない。


ややこしい人だと言われる。
扱いづらい人だと言われる。
それこそ、誤解だらけだ。


誤解を解く努力をするべきなんだろうか、と時折思う。
でも、それは、自分自身のためにしかならないことだ。


理解されようと思うよりは、理解しようとすることを、
愛されようと思うよりは、すすんで人を愛することを、
僕は、真面目に、自らの人生に課している。

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反省の日々

2011年08月11日 23時48分33秒 | 本音とか愚痴とか


発症から5年半以上が過ぎ、
「再発」の2文字が、現実味を帯び、
頭の中をちらつくようになりました。


そのことを考えるとき、
僕は、気付くと下くちびるを噛んでいます。


「自分に甘く、他人に厳しい」
性格はなかなか直りそうにありません。


悩んだり、落ち込んだりするのは、
貴重なエネルギーと時間の浪費なので
避けるようにしています。


でも、日々、反省は続き、
遠い未来に向かってボールを投げることのできない僕は、
いったいどこに目標を定めればよいのか、
迷い続けています。


失敗ばかりの毎日です。


きっと、いろいろな人に迷惑をかけているのだと
思います。


ただ、失敗できるのも、反省できるのも、
迷惑をかけることができるのも、
今、こうして生きているからこそ、であるとも感じます。


しょうもない自分だけれど、
恥じることのほうが多い人生だけど、
生きていくしかない、と思っています。

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明るい行動

2011年07月31日 23時28分00秒 | 本音とか愚痴とか


非常用の携帯ライトのハンドルを回す。
5分充電すると、10分間ライトが点く。


回して、ライトを点ける。
『明るいねぇ』と言って、またハンドルを回す。


今日、僕がした行動の中で、
文字通り、一番「明るい」行動だ。


自分に自信が無いから毒を吐く。
他者は鏡で、もし弱点を指摘しようものなら、
それは、まっすぐ僕自身に当てはまることだ。
そのまま跳ね返ってくる。


もう止めよう。口を閉ざそう、と何度も思う。


それでも話したり書いたりするのは、
僕が本物の臆病者だからだと思う。

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そういうの、やっぱ無理だ。

2011年06月23日 23時58分29秒 | 本音とか愚痴とか


高校を卒業して、アルバイトを始めた頃、
年上の先輩に教えていただいたことがある。


『あのね、ビジネスマンってのは、
 「バランス感覚」が大切なんだよ』


大学でも習ったっけ、「理論と実践」。
空手やってたときは、
『オマエは、そもそも軸がぶれてんだよ』って
怒られたっけ。


友だちにも、
『オマエ、一見、頭良さそうなんだけど、
 ときどき、なんか、すげぇズレたこと言うんだよな』と
言われたよ。


一応、社会人になったけど、それは変わらず、
僕はときには石橋を叩きまくり、
そして別のときには、猛ダッシュで人に迷惑をかけた。


仕事や勉強なんてめんどくさい。
何度も読んだ漫画をまた繰り返して読んだり、
テレビをぼんやり見たりしていたかと思うと、
いきなりスイッチが入って、
10時間単位で、本を読んだりする。


急にやる気になって、一気に仕事して、
やることや言うことが極端すぎて怒られて、
ごく稀に褒められて、まぁ、結局は
失敗のほうが多くて落ち込んで、
しばらく経つと、
その分取り返してやろうと、また無茶をする。


変わんないよ。


僕はね、変われないよ。


価値観を人と共有したり、
人のこと、思い遣ったりするの苦手なんだ。


僕の中にあるのは、
「価値観とは何か」「人とは何か」
「思い遣るとは何か」という根源的な命題で、
たいして分かりもしないくせに、
そういうのをこねくりまわして
知ったかぶって、ホラばかり吹いている。


自己顕示欲、被害妄想、自意識過剰、
自己及び他者への不信、無条件に愛されたいという欲求。


自覚はしてる。いや、してないのかな。
とにかく自分を責め、他人を責め、
そしてまた自分を責め、苛まれる。


まぁ、病気だなんだいろいろあったけど、
僕は33歳になって、
まぁ、これは相手の心が広かったってのが
大きいけど、結婚もして、
お腹が空いたときは、スーパーで
ご飯が買えるくらいの恵まれた経済状況にいる。


最初に書いた先輩、たしか、
当時、30歳くらいだったと思う。


ああ、俺、先輩の年を越えちゃいましたよ。


もう会うことないだろうけど、
もしお会いする機会があったら、
『オマエ、相変わらず苦労知らず世間知らずで
 何にも変わってねぇな。馬鹿野郎。』って
言われちゃうんだろうな。


ま、いっか。別に。
そういうの、無理なんですよ。たぶん。

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