人生エクソダス

なんてことのない日々のこもごもをつらつらと書き連ねたり連ねなかったりする。

年甲斐

2019-11-24 14:54:02 | 日記

 自分は若い頃からキレやすい人間だったと思う。とかく何かに対して期待値が高く、あることを喜ぶより無いことに飢えてるような、そういうフラストレーションをずっと抱えていた。というより苛つきを晴らせども絶えず新しい憤懣が投入されていた。十代の頃、20代前半はまだ若いからだと思っていたが、30にさしかかり自分が思っていたよりちゃんとした大人ではないことを客観的に見て取れるようになってから、いまだにそういう腹立ちをいちいち感じてしまうことに気づいた。大人になれば若い頃には特別に印象に残ったことも相対化されて、怒りを覚えたりするものもまあそういうこともあるよね、となるものだと思っていた。が実際そうはならなかった。

 要はうんざりするのだ。例えばカップラーメンばかり食べていると最初の頃は食欲をそそるにおいでも、次第ににおいを嗅いだ瞬間に食欲が失せたり吐き気がするような状態だ。これが精神的な物にも同じように作用する。初めのうちはいずれ慣れてくると我慢が効いてきて、実際ある程度麻痺してくるのでなんてこともないようになってくるのだが、その一線を超えると、こんなに我慢しているのにどうして周りはこんなに傍若無人に振る舞っていてそれが許されているのか、という怒りになる。だからといって怒鳴ったり威圧的なことをすれば同じ態度で返されるのは、相手が人間だからそうなるのも当然という話だが、では懇親的に諭せば通じるのかといえば答えは△で、婉曲的な物言いでは通じなかったり、優しく教えれば侮られて結局無駄な手間になったりする。

 ではどうすればいいかというと、自分がされて厭なようにならない程度に勝手にするしかないのだ。


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