40代オヤヂの憂憤

現在の世の中に対する義憤や憂国の気持ちを率直に現してみる。ある種暇な40代オヤヂの床屋政談。

こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)続編

2007-05-16 17:01:15 | 時事
こうのとりのゆりかごへ最初の子供が置かれていた。
病院関係者も驚きの3歳児でした。全く想定外の事みたいですね
この子の事を思うと、胸が張り裂けそうになります。
”三つ子の魂百まで”という言葉がありますが、まさにその3歳ではないですか。
新聞やTV報道によりますと、自分の年齢や名前、福岡から来た事、父親の名前まで言えたそうですね。だから記憶も残っています。将来この子は父親から捨てられた事を思い続けていくでしょうし、父親を許さないかもしれません。
関係各位の今後の精神的ケアをしっかりしてほしい事を望みます。

次に福島県で起きた事件ですが、高校生の息子があろうことか母親を殺害し、首を切断して、警察までその首を持って行く事件です。
二人の間に何があったのか?息子が母親を殺害する動機は何なのか?
新聞、TVの第一報によると、”世界中からテロや戦争が無くなればいいと思った。
そのためには誰でもいいから殺したかった”
これには言葉を失いました。この息子は精神的に病んでる部分があったと思われます。これからの事情聴取で詳しい事が解ると思います。

以前から思ってた事なんですけど、どうもいまの日本では他人の生命を簡単に絶ってしまうことが多くなったように思います。
他人の生命を絶つ事には越えてはならない一線があるはずです。
理由などあろうはずがありません。人を殺す事はいけない事なんです。
ましてや強盗殺人、快楽殺人等以ての外です。こういう人種には、極刑を望みます。自分の命をもって被害者に償って欲しいです。それが少年であろうと年齢など関係ないですね。自分の犯した罪を身をもってわからせないといけません。
ただ例外があるとするならば、相手が明らかに自分を殺す事を目的として襲い掛かってきた時に、仕方なく反撃して、殺してしまった。
所謂正当防衛ですね。これには情状酌量の余地が大いにありますが、殺してしまった当の本人には、正当防衛とはいえ長らく後味の悪い気持ちが残るはずです。

嘱託殺人も考えさせられる事があります。
以前何処の病院か忘れましたが、末期ガン患者の頼みにより生命維持装置を外した、または塩化カリウム?の注射をして死に至らしめた事件がありました。
一見末期ガン患者の頼みを聞いて行った治療行為の一環に思える事ですが、その後の調べで、その医師または看護士の独り善がりで行った事が判明しました。
その医師または看護士の独善的に行った行為は、やはり殺人に価する行為ですね。
大前提は殺してくれといった本人の意思が確認されているかどうかです。そういった文書がないと問題ですね。
例えば私が末期ガン患者ならば、そして治る見込みが極めて薄く、苦痛を伴うならば、殺してくれといいます。殺してくれは直接的ですが、少なくとも延命措置は取らないでくれ、苦痛は少なくしてくれと言います。その際、担当医または看護士の迷惑にならないように一筆書いておきます。この様な事情があるならば、情状酌量の余地はあるのではないでしょうか?
本来医師または看護士の使命は、人の生命を救う事にあると思います。誰だって殺してくれと言ったからと言って好き好んでする医師または看護士はいません。
医療行為に携わっている人達の大多数は、今も昼夜関係なく懸命にその職責を立派に果たしています。
私の母はガンで亡くなりました。その時に懸命に働いている医師の先生、看護士さんの治療行為を見ていますので、私は医療関係者の皆さんを尊敬しています。

最新の画像もっと見る