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PTSDと(m)TBI((軽度)外傷性脳損傷)、MI(道徳的負傷:モラルインジャリー)(6) ~「道徳的負傷:モラルインジャリー」概念の登場~

2023-06-12 20:56:41 | 健康・病と医療

さて、これからは、今度はMI(道徳的負傷:モラルインジャリー)の方に話題を移しましょう。

 

前回まで見てきた「(軽度)外傷性脳損傷」((m)TBI)がそうであったように、

モラルインジャリー」(MI)もまた、はじめは戦争(戦場での非倫理的な行動)から注目されるようになったものです:

ベトナム、そしてイラクやアフガニスタンでの従軍兵士が、戦地での民間人殺害など自分(や仲間、上官)が犯した行為に、

帰還後に苦しむ多くの事例があることから研究が進んできたのでした[Shay 1994;Litz et als.2009:Svodoba 2022=2023]。

 

その先駆けは、1970年代、ボストン在郷軍人局病院でソーシャルワーカーとしてベトナム帰還兵の心理治療に専従していた

セラ・ヘイリーの発見で[Haley 1974]、

それは兵士が“殺すか,殺されるか”という状況を生き延びたという事実そのものから、「生存者罪悪感」(suvivor’s guilt)を強く脳裏に焼きつけ、

その葛藤からPTSDが発症するということでした[大谷 2020,p.30]。

 

ヘイリーのこの主張がその後拡大され、「モラルインジャリー」と命名されていくことになるのです[大谷 2020,p.30]。

実際にこの概念が成立したのは、1990年代、退役軍人病院でベトナム帰還兵の精神的後遺症の治療にあたっていた精神科医ジョナサン・シェイによる、

ベトナム戦争の退役軍人の症候群についての研究によってでした[Shay 1994;Shay 2014;Koenig&Al Zaben 2021,p.2990;Svodoba 2022=2023]。

“殺すか,殺されるか”という極限状況においてもなお、自身が非道徳的と思われる行為(殺人、暴力、仲間の放棄、援助の失敗など)に

手を染めたという意識がトラウマを生じることを明らかにしたのでした[Shay 1994;Shay 2014;大谷 2022,pp.134-5]。

こうしてベトナムやイラク、アフガニスタン従軍兵士が、帰還後に苦しむ多くの事例から研究が進んできたものです[Svodoba 2022=2023]。

 

  しかし最も古く遡るならば、少なくとも紀元前416年のエウリピデスの著作『ヘラクレス』(アテナイの悲劇)にまで遡ります:

彼は元々、古代ギリシャで道徳的汚損または汚染の概念を意味する「瘴気」(miasma)の語でこの症候群を説明していました;

それはしばしば不当な殺害から生じますが、どんな道徳的価値の違反(transgression)にも適用可能なもので、

しかもそれは加害者、被害者、あるいは観察者にさえ適用されるのです[Koenig&Al Zaben 2021,p.2990]。

古代ギリシャの叙事詩『イリーアス』では、英雄アキレスが戦いの最中、親友パトロクロスを守り切れずに失い、そのことで自身を責め苛みました

[Svodoba 2022=2023]。まさに「生存者罪悪感」ですね。

 

 しかしシェイによれば、『イリーアス』に登場する古代の兵士に比べれば、産業化され官僚化された軍隊に対する近現代の兵士の依存度は、

小さな子どもが家族に依存するのと同程度に大きいといいます[Shay 1994]。

 

 第1次世界大戦では、心に傷を負った帰還兵が「戦闘疲労」(戦争神経症)とのレッテルを貼られましたが、実際には、

彼らの多くは当時よく言われた「シェルショック」ではなく、思い出したくもない戦場での行為に苦しんだものでした[Svodoba 2022=2023]。

先回の(2)でみたように、いわゆる「シェルショック」は、単にTBIでなく、また単にPTSDでもなく、

MI(モラルインジャリー)の先駆でもあったのです。

 

そうして2009年になって、退役軍人局の心理学者リッツらが戦争退役軍人の「モラルインジャリー」に関する論文を発表してからは[Litz et als.2009]、

このトピックが臨床心理学でも講壇心理学でもより広く注目されるようになったのでした[Koenig&Al Zaben 2021,p.2990]。

 

<文 献>

Haley, S. A., 1974  When the patient reports atrocities: Specific treatment considerations of the Vietnam veteran, in Archives of General Psychiatry, vol.30, pp.191-6.

Koenig, H.G.·& Al Zaben, F., 2021  Moral Injury : An Increasingly Recognized and Widespread  Syndrome, in Journal of Religion and Health, vol.60, pp.2989–3011.

Litz, B.T., Stein, N., Delaney, E., Lebowitz, L., Nash, W. P., Silva, C. & Maguen, S., 2009  Moral injury and moral repair in war veterans : A preliminary model and intervention strategy,  in  Clinical Psychology Review, vol.29, pp.695-706.

大谷 彰、2020 「パンデミックとトラウマ――新型コロナウイルスから考える-―」『人間福祉学研究』第13巻1号、pp.25-40。

Shay, J., 1994  Achilles in Vietnam: Combat trauma and the undoing of character. New York: Scribner.

―――, 2014  Moral injury, in Psychoanalytic Psychology, vol.31, no.2, pp.182-91.

Svoboda, E., 2022  Moral Injury is an Invisible Epidemic that affects Millions : A specific kind of trauma results when a person’s core principles are violated during wartime or a  pandemic, in Scientific American, vol.327, no.6, pp.52-59. =古川奈々子訳、2023「コロナ禍で増えた心の病 モラルインジャリー」『日経サイエンス』第53巻4号, pp.56-64。

 

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