心身社会研究所 自然堂のブログ

からだ・こころ・社会をめぐる日々の雑感・随想

「ニューロダイバーシティ」の登場!

2020-02-09 20:51:11 | 福祉・教育

以前にこのブログでも書いたのですが(→自閉症と爬虫類的生き方をめぐって)、

自閉スペクトラム症の支援治療とは、定型発達者と同じような人間にすることなのでしょうか。

決してそうでないことを、当事者自身が「ニューロダバーシティ」の運動として提起し始めていることが伝えられるようになってきました。

とても重要な出来事です。

 

「ニューロダイバーシティ」(神経多様性)の語が登場したのは、1998年。自閉スペクトラム症当事者の女性ジェーン・マイヤーディング(Jane

Meyerding)がネット上に公表した“Thoughts on Finding myself differently brained”(自分が異なる脳であるのを見い出してゆくことについての思索)とい

う文章が初とみられます。そのなかで彼女は、定型発達だけを正常な普遍的なものとする「ニューロユニバーシティ」(神経普遍性)を「ニューロダイ

バーシティ」に対置して言います。 

 

 私たちの社会がニューロダイバーシティをより広く認識するようになれば、私たち(人間)すべてが恩恵を受けると思います。ニューロユニバーシティを仮定することは、一種の自民族中心主義に近いものがあります。もしあるアングロサクソン人が、英語を話す別の人のことを、「彼女には訛りがある」と言ったとしましょう。そうすると、その人は自分のアクセントが「正しい」ものであり、他のすべての人が従うべき基準であると思い込んでいることになります。[そうではなくむしろ、]アモジャ・スリーリバーズ(Amoja Three Rivers)が、自身のパンフレット『Cultural Etiquette: A Guide for the Well-Intentioned" (Three Rivers, 1990, p. 11)』の中で指摘しているように、「誰もがみな訛りのある話し方をしている 」のです。

 

そして同じ1998年に、ジャーナリストのハーヴェイ・ブルーム(Harvey Blume)が、雑誌 “Atlantic” の9月号に、”Neurodiversity : On the neurological

underpinnings of geekdom.”という論考を寄せ、このなかで「ニューロダイバーシティ」に対して、健常者を「ニューロティピカル」(神経定型)な人と

して対置し、「ニューロティピカル(神経定型)症候群は、社会的関心事への偏執、(自分の)卓越性の妄想、順応性への執着などを特徴とする、神経生

物学的な障害である」 (Neurotypical syndrome is a neurobiological disorder characterized by preoccupation with social concerns, delusions of superiority,

and obsession with conformity.)と喝破しています。

 

次いで1999年、自閉スペクトラム症当事者の女性社会学者ジュディ・シンガー(Judy Singer)が、論文「生涯に一度だって正常になれないっておかしくな

い?:『名前のない問題』から差異の新たなカテゴリーの生成へ」(Why Can't You Be Normal for Once in Your Life?  From a Problem with No Name to the

Emergence of a New Category of Difference)を発表し、社会学を中心として学術界にこの語を広める起爆剤となり、かつ同時にオンラインコミュニティ上

「ニューロダイバーシティ運動」を、女性運動やゲイ/レズビアン運動に続く、自閉スペクトラム症当事者たちのセルフ・アドボカシー運動(Autistic

Self-Advocacy Movement)として、積極的に展開するようになりました。

 それはまた、「ニューロダイバーシティ」を「交差性」(intersectionality)のカテゴリーに加えようとするものでした。「交差性」とは、人種、民族

級、ジェンダー、セクシュアリティなど複数の個人のアイデンティティが組み合わさることによって生じる特有の差別や抑圧のことであり、それらのカ

ゴリーに「ニューロダイバーシティ」も付け加えようというのです。

 そしてシンガーによれば、「ニューロダイバーシティ」は決して精神医学等の診断名ではありません。精神医学をはじめとする臨床の専門家の間で

は、"People with Neurodiversity"(神経多様性のある人々)などという言葉が出回っているとのことですが、これほどバカげた言葉はないと彼女は斬って捨

てています。「私たちはみな、ニューロダイバースなのだ。なぜならこの惑星のどの2人もすっかり同じではないから。」(We are ALL Neurodiverse

because no two humans on the planet are exactly alike )「労働者Aはニューロダイバースだが、労働者Bはそうでないなどと言うことはできない。しかし

労働者Aは、自分を特定の症候群、たとえば自閉症と自認した場合、 "自閉症 "と呼ばれることができる。しかし、だからといって彼らは、この地球上の誰

よりもニューロダイバースというわけではない。」「ニューロダイバーシティを、”私たち "と "彼ら "を分けるためのメスとして使ってはならない(Do not

use Neurodiversity as a scalpel for dividing "Us" from "Them")」。

 

こうした意味合いでこそ、「ニューロダイバーシティ」の概念は用いられ、広げられていかねばなりません。

 

 

    <参考>

Meyerding, J., 1998  Thoughts on Finding Myself Differently Brained. http://www.planetautism.com/jane/diff.html

Blume, H.,1998 Neurodiversity. https://www.theatlantic.com/magazine/archive/1998/09/neurodiversity/305909/

Singer, J.,1999  Disability discourse. Open University Press. chapter7, Why Can't You Be Normal for Once in Your Life?  From a Problem with No Name to the Emergence of a New

     Category of Difference.

―――, 2019 Reflections on Neurodiversity. https://neurodiversity2.blogspot.com/

 

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