★748号 安倍中東歴訪であの"山拓"がイスラム国人質事件予測!&新進気鋭のイスラム学者池内恵・東大准教授がイスラム国の原理を語った!
無残にも斬首し殺害された湯川さん、後藤さん、そして焼き殺しにされたヨルダンのパイロットの映像が、四六時中頭から離れないひとが多い。ぼくもそのひとりで、いまこうしてパソコンのキーを叩いているときも、突然、残酷な動画や静止画像が鮮明に頭に浮かぶ。
総理・安倍は、湯川さんと後藤さんの救出、解放に向けイスラム国とは交渉もせず。見殺しにしたといっていい。後藤夫人は、自分自身でイスラム国とメールで交信し解放するように働きかけた。
★安倍が中東歴訪中に山拓さんは、安倍の言動で事件発生を予言した!
いま国会での追及をはじめ、安倍の中東歴訪中の約3000億円もの援助と発言が問題になっているのは、ご存知のとおり。
元衆院議員で建設大臣、防衛庁長官などを歴任した"山拓"こと山崎拓さんが、安倍が中東歴訪中に、地元福岡の講演会でイスラム国人質事件発生を予言していた、と朝日新聞コラムニスト・早野透氏が記事にした。
現役のときの山拓さんは、艶聞、醜聞で週刊誌を賑わしたものだ。が、さすがにアラブ通のベテラン自民党議員だけのことはある。その早野さんの記事を紹介しよう。
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(新ポリティカにっぽん)
人質事件、拓さんが予言した危機
早野透=桜美林大教授・元朝日新聞コラムニスト
朝日新聞デジタル版 2015年2月3日18時03分
早野透(はやの・とおる) 1945年生まれ、神奈川県出身。68年に朝日新聞に入社し、74年に政治部。編集委員、コラムニストを務め、自民党政権を中心に歴代政権を取材。2010年3月に退社し、同年4月から桜美林大学教授。著書に「田中角栄 戦後日本の悲しき自画像」など=安冨良弘撮影
悪夢のような日曜日が過ぎて、月曜朝の通勤電車に乗る。隣の座席は受験生か、懸命に参考書を読んでいる。むかいの座席ではスマホを触っている。「後藤さん殺害」映像、「イスラム国」が公開、という大見出しの新聞を読んでいるのはつり革にぶら下がっているおじさん一人である。にっぽんの日常の風景とおどろおどろしい新聞紙面がいかにもアンバランスである。
どうしてこんなことになるのか、会社経営者湯川遥菜さんに続いて、フリージャーナリストの後藤健二さんが殺された。あれ、遺体は戻ってくるのかしら、と外務省幹部に聞いてみたけれど、とうてい想定外のことらしい。相手はテロリスト、むろん外務省は接触のパイプなどありませんよ、と説明されれば、なるほどと思うほかない。「健二は旅立ってしまいました」。後藤さんの母の、もう手の届かない息子への思いが胸に痛い。
しかし、どうしてこんな結末になってしまったのか。安倍晋三首相が明かしたところによれば、以前から政府は2人が拘束されていることを知っていて、ひそかに対策室もつくっていたというのだから、もう少しやりようはなかったのか。安倍さんがテロに屈しないというのはそれでいいと思うけれど、いまひとつ釈然としない。
「『イスラム国』を刺激して、テロが日本に及ぶ」
というのは、事件が起きる直前の1月19日、わたしは福岡市に行き、小泉政権で自民党幹事長を務めた山崎拓さんのこんな講演を聞いたからである。
一時は総理総裁を狙ったこの政治家を「拓さん」と言い慣らわしてきたので、以下、そう呼ぶ。拓さんは、中曽根康弘門下に入って防衛やエネルギーを担当、アラブとの関係づくりを命じられ「日本アラブ友好議員連盟」の事務局長を務めた。
その拓さんが「いま、安倍さんが中東を訪問している。エジプト、ヨルダン、イスラエル、パレスチナ。これは危ない。『イスラム国』を刺激して、テロリズムが日本に及んでくる恐れがある」と講演で予言したのである。
翌20日、「イスラム国」は「身代金2億ドルを払わなければ、湯川、後藤を殺害する」という映像をネットに公開した。拓さんの話を聞いていたある財界人が「拓さんの言っている通りになってしまいましたねえ」と電話してきた。安倍首相は中東訪問から急ぎ帰国した。
拓さんには1973年の第4次中東戦争勃発時、現地にいて身動きとれなくなった経験がある。以来、米欧列強のあざとい支配、民衆の貧困、宗教の確執、そうした中東の現実を学んできたから、17日の安倍首相のカイロ演説で、「ISIL(イスラム国)がもたらす脅威を少しでも食い止めるために…ISILとたたかう周辺各国に、総額2億ドル程度、支援をお約束する」と言及したこと、拓さんは危ないと感じたらしい。
「『イスラム国』とたたかう有志連合に日本が入るのは、まず資金からです。かつての湾岸戦争で130億ドル出して感謝されなかった。こんどはどうなるか」。いくら2億ドルは避難民たちへの人道支援と言ってもテロリストは聞く耳を持たない。果たして、ネット画像で「イスラム国」のナイフをかざした覆面の男は「日本の首相へ。あなたは進んでイスラム国に対する十字軍に参加を約束した」と言いがかりをつけた。現に拘束されている2人への危険を脳中に置くならば、2億ドルを贈るのに「『イスラム国』の脅威」とか「『イスラム国』とたたかう」とかの修飾語はあえて言わなくてもよかったのではないか。
「後藤さんには外務省は3回会って、シリアへの渡航はやめるように説得したのですよ。でも聞いてくれなかった」と外務省幹部から聞いた。それをあまり外に言わなかったのは、注意したのに行ってしまったのだから後藤さん自身の責任と外務省が思っていると受け取られるのはいやだったのだろう。不眠不休で後藤さん救出工作に全力をつくしたのだけれど、しょせんはヨルダンによる交渉を見守る以上のことはできなかったということのようである。
「海外派兵はしないのが本来の日本」
問題はもうひとつ。「そこに集団的自衛権が絡んでくる」と拓さん。拓さん、かつては自民党国防族としてタカ派でならしていた。やっぱり集団的自衛権には賛成なのかなと思ったらちょっと違った。
「わが国と密接な関係にある他国への攻撃があって、わが国の存立が脅かされ、国民の生命や権利が覆される明白な危険のあるときは、集団的自衛権で一緒に戦えることにしましたね。でも、存立などといえば何でも存立にかかわるといえる。つまり何でもできるということですよ」
「存立」って確かにあいまいだな。
「日本の原油ルートであるホルムズ海峡は日本の存立にかかわるでしょ。『イスラム国』と戦っている米英仏が苦しんで、おい日本も出てこいよということもありうる。きれいな水にぼとっと石を落ちて波が広がっていく」
集団的自衛権は、無限定に戦争にかかわる恐れがあるという心配か。こりゃ、共産党が主張している反対論とあまり違わないなどと思っていたら、拓さん、「わたしは最右翼のタカ派と目されてきた。しかし海外派兵はしないというのが本来の日本だ。私は中庸の政治が戻るように牽制(けんせい)していく」と締めくくったのである。
安倍政権の安保政策がどこまで走っていくのか、往時の自民党国防族も心配をぬぐえないということらしい。
悪夢の日曜日が過ぎて、街は重苦しい気分ながら日常に復し、国会議事堂では参院で予算委員会が開かれ、安倍首相が答えた。「テロリストに罪を償わせる」と言いつつ、「有志連合に後方支援という形で参加するか」との問いには、「しない」と明言した。
今回、邦人救出に自衛隊派遣という形はとれなかったのかという問いには、「受け入れ国のシリアの同意はおそらくあり得ない。仮にシリアの同意がとれたとしてもISILが国家に準ずる組織であれば自衛隊は派遣できないということになる。実際に法的要件を整えても、(自衛隊の)オペレーションができるのかという基本的大問題もある」と答えた。さすがに安倍さんも問題の困難性は知悉(ちしつ)しているというべきだろう。
今回の事件の波紋について、外務省幹部の話を聞いて心配になったのは、世界中にある日本人学校の生徒たちのことである。「イスラム国」が日本人をテロの対象とするなら、ここは一番無防備な部分である。絶対に子どもたちがテロに遭ったりしてほしくない。殺された後藤さんが戦火の土地を走り回って何を伝えたかったのか、戦争の下で子どもたちがどんなに苦しみ蝕(むしば)まれているか、それをフリージャーナリストの責務として人々に訴えようとしたこと、そのことを改めて心に刻んでおきたい。
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★気鋭のイスラム学者・池内恵東大准教授がイスラム国の原理、核心を語る!
今回の一連のイスラム国による残虐極まる事件は、新聞・テレビを通じて現象だけを見ても真相はわからない。
池内東大准教授は、気鋭のイスラム学者で、その学識は単なるbookish(単に書物による)ものではなく、アラビア語に精通しアラブ諸国現地での研究も積んでいる。
デジタル版掲載の「読売クオータリー」の記事を抜粋して紹介する。イスラム国が、どのような経緯で成立し、どんな原理で動いているかよくわかる。なお、文中のゴシック文字(太字)や下線は、須藤が付したものである。
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「若者はなぜイスラム国を目指すのか…池内恵氏インタビュー」
読売クオータリー32号 2015年02月04日 09時23分
<プロフィール>
池内恵氏(いけうち・さとし) 1973年、東京都生まれ。東京大学文学部思想文化学科イスラム学専修課程卒。同大大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程単位取得退学。国際日本文化研究センター准教授などを経て現職。2002年大佛次郎論壇賞、09年サントリー学芸賞を受賞。
イラク、シリアで領域拡大を図って戦闘を続けているイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」。世界各地から多くの戦闘員がイスラム国に参加しているという現実に世界の注目が集まる。3万人ともいわれる兵士の約半分は世界各地からの義勇兵が占め、中には西欧・米国から加わった者もいる。なぜ世界の若者たちはイスラム国に向かうのか。イスラム政治思想の研究者である池内恵・東京大学准教授に聞いた。(聞き手・読売新聞東京本社調査研究本部研究員 時田英之)
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イスラム国に外国からの戦闘員が流入しているのはなぜか。この問題を理解するためには、まずイスラム国の唱える「グローバル・ジハード」の理念や歴史を知らねばならない。
そもそもイスラム教徒は、自らが神と一対一の関係で結ばれており、一人一人が神の命令に従って義務を果たす責任を負っていると考える。つまり、世界のどこにいても、国家や民族を超えた一つのイスラム共同体に帰属している、という意識がある。そこから、たとえ他国であっても、異教徒に支配された国があれば、自ら戦いに赴いてジハード(聖戦)で解放する義務があるという考え方が出てくる。これがグローバル・ジハードだ。
ジハードの理念や理想としては以前からあった考え方だが、1979年にソ連がアフガニスタンに侵攻した際、アラブ諸国などから来た戦闘員がソ連と戦ったことで、グローバルな空間でのジハードが近代以降の世界で初めて現実のものとなった。
パレスチナ出身のアブドゥッラー・アッザームという法学者が、コーランやハディース(預言者とその周辺で布教に従った教友と呼ばれる先駆者たちの言行録)に基づいて、ジハードの理論を世界からアフガニスタンに集まってきた義勇兵に教え込んだ。
その教えを継いだ弟子の一人が、アルカイダのビンラーディンだ。
実は当時、ジハードの思想には様々な考え方があって、「近い敵」「遠い敵」のいずれと戦うべきなのか、という議論があった。「近い敵」とは、イスラム教徒の国の政治支配者なのに、イスラムの理念を守らずに国民を抑圧している者のことであり、「遠い敵」というのは、イスラム世界を侵略する非イスラム勢力のことだ。
例えば、エジプトのイスラム主義団体である「ジハード団」は、まずは「近い敵」を倒そうとして1981年にサダト大統領を暗殺した。90年代にもムバラク大統領の殺害を図った。しかし、最終的に政権を倒すことはできなかった。アイマン・ザワーヒリーをはじめとした、こうした「近い敵」との闘争に敗れた人たちを糾合する形で、ビンラーディンは、「遠い敵」、具体的にいえば世界の中枢にあって「近い敵」を支えているアメリカへのグローバル・ジハードを展開した。これが2001年の9・11テロにつながっていった。
ネットでつながる「分散型組織」の誕生
ところがその後、アメリカは軍事、警察、諜報、司法の力などをフルに動員して徹底的にアルカイダを追いつめ、組織に壊滅的な打撃を与えた。組織を広げると一網打尽にされるということを学習したアルカイダは「分散型の組織」を目指すことになる。人的なつながりを広げるのではなく、グローバル・ジハードのイデオロギーを文書にしてインターネット上にアップするなどして、共鳴した人間が一匹狼(ローン・ウルフ)型のテロを各地で起こしていくことを後押しする、いわばネットワーク型の運動へとかじを切ったのだ。近年でいえば、2013年の米ボストンマラソンでのテロや、2014年10月のカナダ・オタワでの国会銃乱射事件などは、このような流れの中で起きた。
こうしたアルカイダの新たな戦略を作り上げたのはシリア出身のアブー・ムスアブ・アッ=スーリーという人物だ。彼自身は、かつてのアフガニスタンのように、世界から集まった戦士が武装化して組織的なジハードを行うことのできる聖域、すなわち彼の言葉でいう「開放された戦線」を作ることを目標としていたのだが、当面そのような状況は来そうもないので、それまでは一匹狼型の活動を続けていくしかない、といった主張を2004年にインターネット上で発表している。インターネットを駆使した「分散型の組織」は、いわば運動を絶やさないために余儀なくされた結果としての方針転換によって生じたものだった。
これは思わぬところから実現することになる。きっかけは「アラブの春」だった。
2010年暮れから始まった「アラブの春」によって、チュニジア、リビア、エジプトなどアラブ諸国では民主化運動が盛んになった。その結果、自由で公正な選挙が行われ、一般には「穏健派」と呼ばれているイスラム教の制度内改革派が各地で台頭した。しかし、それまで政治活動を公式に許されてこなかった制度内改革派は、統治能力を身につけていなかったうえ、軍や司法や欧米化したリベラル派など反対勢力が徹底的に抵抗し、官僚機構の妨害や軍事クーデタなどで穏健派の統治を頓挫させた。結果として、穏健派は能力不足と実効性の欠如を露呈し、信頼性と期待は失墜していった。逆に、グローバル・ジハード主義など過激派への信頼や期待は相対的に上昇した。
イスラム国に外国からの戦闘員が流入しているのはなぜか。この問題を理解するためには、まずイスラム国の唱える「グローバル・ジハード」の理念や歴史を知らねばならない。
そもそもイスラム教徒は、自らが神と一対一の関係で結ばれており、一人一人が神の命令に従って義務を果たす責任を負っていると考える。つまり、世界のどこにいても、国家や民族を超えた一つのイスラム共同体に帰属している、という意識がある。
そこから、たとえ他国であっても、異教徒に支配された国があれば、自ら戦いに赴いてジハード(聖戦)で解放する義務があるという考え方が出てくる。これがグローバル・ジハードだ。
国家を超えて広がる「開放された戦線」
そうしたなか、シリアで、恐怖政治を敷いていたアサド政権とこれに反対する勢力との間で軍事的な対立が起きた。こうなると、もともと国家への帰属意識が薄い地域だけに、人々の意識は宗派主義的になり、それが国家横断的に広まっていく。レバノンのシーア派の民兵集団ヒズボラをイランが支援してシリアに介入させるようなことも起きて、様々な勢力が入り乱れて広域的な紛争が始まってしまった。内戦でアサド政権の支配が緩んだため、イスラム国などグローバル・ジハードを目指す勢力が、「開放された戦線」を見出すことのできる状況が生まれた。
もちろん、抵抗する者を容赦なく殺害するような方法で恐怖心をあおり、それによって住民を支配しているという側面もある。
このようにして、イラクとシリアに出現した「開放された戦線」が、インターネットを駆使したネットワーク型のリクルート(人材の勧誘)と結びつくことで、世界中からジハード戦士が集まってくる条件が整った。ただ、「なぜジハード戦士が集まってくるのか」という問題に関しては、近隣アラブ諸国から来た人たちと、他の地域から集まる人々を区別して考える必要がある。
ジハード戦士たちの心理構造
イスラム国の戦闘要員は、米CIAが昨年9月に発表した推計では2万人から3万1500人となっている。その後、米国によるイラク、シリア空爆で減少している可能性もあり、現時点ではおそらく3万人程度と見込まれているが、そのうち半分ほどを占めているのが近隣のアラブ諸国からの参加者だ。
そうした人々の心理は、イスラム教の論理からすれば、それなりに納得できるものがある。そもそもイスラム世界では、アッラーの教えに反する不義の支配者をジハードで倒すのは「ムスリムの義務」と考えられている。
もちろん誰もが武力によるジハードを肯定するわけではないが、シリアのアサド政権が圧政で国民を弾圧しているという認識は広く共有されているから、「今のシリアの状態はおかしい。自分が手を下してでも何とか政権を倒さなければならない」と考える人がアラブ諸国に現れるのは容易に予測できる。
しかも、イスラム国の主張は、いちおうイスラムの教えにのっとったかたちを取っている。イスラム国の指導者のバクダーディーは、預言者ムハンマドの後継者を意味する「カリフ」を自称しているが、彼のカリフとしての正統性に疑問はあるとしても、途絶えてしまっているカリフ制を復活させること自体は、ほとんどのムスリムが良いことだと考えている。
また、イスラム国は捕虜を斬首するなど残虐な処刑を繰り返し、さらには少数派であるヤズィーディ教徒を奴隷にするなどして国際世論から非難を浴びているが、コーランやハディースには、確かにそうした行為を認めているように読める箇所がある。
例えばコーランの47章4節には、「信仰なき者といざ合戦という時は、彼らの首を切り落とせ」といった章句があるし、中世の権威あるイスラム法学書であるマーワルディーの『統治の諸規則』でも、ジハードで支配下に置いた多神教徒に対しては、改宗、殺害、奴隷化といった選択肢があることを示している。
実は、コーランやハディースの解釈は、過去の膨大な文献に通じていないとできないため、かつては各国の政権中枢に近いイスラム法学者が独占していた。しかも、そうした法学者は、比較的穏健な解釈をするのが常だった。ところが最近では主要文献がインターネット上にアップされるようになってきたために、検索すれば誰でも直接文献に当たることができる。イスラム法学者としての専門的なトレーニングを積まなくてもイスラム国のように過激な解釈を正統な根拠を引いて主張することも容易になった。
自由から逃走する若者たち
一方、西欧・米国からのイスラム国への参加者は約2000人とみられているが、このような人々の意識は、アラブ諸国から参加している人々とはかなり違う。
まず、ヨーロッパからの参加者の大部分はイスラム教の国々からの移民・難民の子孫だ。イギリス、フランスなど西欧諸国では、ムスリム系の移民とその子孫は人口の十数%程度にまで達しており、そのような移民の子弟は、どうしても自らのアイデンティティーの問題に悩みがちだ。
さらにいえば、これは移民に限らないことだが、近代自由主義の中で生きる人間に固有の問題が現れているのだと思う。どういうことかというと、西欧社会では「自分が何をなすべきか」は自由意思に任されている。
逆に言えば絶対に正しい答えというものはなく、自ら判断しなければならない。そのような自由は時として重荷になってしまう。ところが、何か権威あるものに従うことにすれば、自分で決めなくても良い。自ら判断する自由を捨ててナチスドイツの台頭を許した人々の心理を分析した社会心理学者、エーリヒ・フロムの言葉でいえば、彼らは「自由からの逃走」を図ろうとする。
ましてやイスラム教の「神の啓示」は、なすべきことを全部教えてくれる。先進諸国からイスラム国を目指す若者が出ているのは、このような理由があるからではないだろうか。
日本でも昨年秋、北大を休学中の若者がイスラム国への参加を企てるという事件があったが、ここでも同様な心理が働いていたような気がする。
かつてオウム真理教に集まった人たちもそうだったと思うが、先進自由諸国では、このようにして「自由からの逃走」に走ってしまう人がある程度出るのはどうしても避けがたい。そこは冷静に受けとめるべきではないか、という気がしている。
誤解に満ちた日本での議論
ただ、ちょっと気がかりなのは、日本では、「イスラム国の伸長は欧米の側に原因がある」といった議論がしばしば見受けられることだ。例えば、一部メディアでは、西欧・米国への移民からイスラム国への参加者が出るのは「彼らが差別されたり貧困に苦しめられたりしているため」といった解説もなされているようだが、これは事実誤認だ。ヨーロッパからイスラム国入りした人々について調べてみると、その多くは欧米社会でそれなりの学歴を得た、比較的生活水準の高い層から出ている。動機としては、差別や貧困よりも、先に述べた「自由からの逃走」が圧倒的に強い。
日本の思想界にも問題がある。西洋社会は長年の哲学的議論の末に、中世における「神の優越」を覆し、人権や自由を重んじる近代主義を獲得してきた。つまり、絶対的な「神の啓示」と近代自由主義は並び立たず、「神の啓示」を認めるのは自由主義を否定することだ、というのは西洋の常識だ。ところが日本の知識人は、「神の啓示」と自由主義は両立可能だ、むしろ自由主義が桎梏だ、というような議論を平気で展開している。
例えば「イスラム教は平和を命じる宗教だ」というのは正しいが、そこで言われているのは、イスラム教徒が支配し、イスラム法が施行される秩序の中での平和のことだ。
宗教的な自由もないから、仮に日本の仏教教団が中東のイスラム教徒が多数派の国に寺院を建てようとしても絶対に不可能だ。日本で当たり前に享受されている宗教の自由は中東には存在せず、正しい宗教と劣った宗教の区別が厳然と存在し、それが政治権力によって施行されている。
その上で「平和」と「寛容」があるという事実を日本の知識人は理解できておらず、日本や欧米の限界を超えるユートピアが「イスラム」にあるという主張をポスト・モダン思想が流行したバブル期以来、繰り返してきた。その結果として、イスラムの価値規範も知らないまま、単に社会への不満や破壊願望のはけ口としてイスラム国に参加しようという人が日本から出てくる可能性はあるだろう。実際にインターネット上では、サブカルの「ネタ」のレベルでジハードに共感する人々も出てきている。
西欧・米国からの参加者が、少なくともイスラムの価値規範を選び取った上でイスラム国に向かっているのと比べると、これはいかにも皮相な状況といえる。日本人のイスラム理解の欠落に起因した、勘違いによる事故のような形での参加者が出てこないとも限らないのが心配だ。
イスラムの改革は実現するか
今後の展開を考えると、ここまで見てきたように、欧米から渡航したグローバル・ジハードの信奉者が帰国して自国で一匹狼的なテロに走る危険性こそあるが、西欧・米国からのジハードへの参加はさほど大きなムーブメントにはなりえないと思う。しかし、アラブ世界からの参加者は相応の強い動機をもっている。世界各地から戦闘員が集まってくるような「開放された戦線」をいかにして封じ込めるかは、これからも大きな問題だ。
イスラム教の解釈の方法論や体系そのものの改革を行わなければ、過激思想を退けることはできない。
例えば、「コーランの中の異教徒への抑圧や個人の権利を侵害しかねない特定の章句は、現代社会では適用されない」と明確に宗教者が議論し、コンセンサスとして大多数のイスラム教徒に広まっていかなければ「イスラム国」の思想は論駁できない。いわばイスラム教の「宗教改革」だが、しかしその可能性はかなり厳しいといわざるを得ない。
抜本的な対策はイスラム世界の「外」から強制できるものではない。事態の打開にはまだまだ長い時間がかかるのではないだろうか。