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-日本ファッション協会・情報センタースタッフブログ-

ア・キ・ゴ・ト vol.3

2007-07-05 09:49:45 | Weblog
ヴィヴィアン。
ストリートの撮影でいちばん目につくブランドが、これ。英国王権の象徴をアレンジした“オーブ”をロゴマークに掲げる、ヴィヴィアン・ウエストウッド。
ストリートファッションに与えている影響は、当然といえば当然だろうけど、相当、大きいよーですね。特に10代~20代の若者の間では、まさにカリスマ。あいつもオーブ、こいつもオーブで、全身ヴィヴィアンというつわものも原宿あたりを闊歩しています。

そもそも英国パンクファッションからスタートしたヴィヴィアン・ウエストウッドは、ストリートファッションの王道とも言えるブランドですが、それでも、'71年から現在まで人気を保ち続けるという息のながさには、目を見張るものがあります。

それでは、その魅力とは何なのか、じっくりと紐解いていきましょう。←ほんとかな~。

ヴィヴィアン・ウエストウッドがこの世に生まれたのが、19、、、、。いえいえ、ここでは女性の生年月日に言及などはいたしません。
なんだかんだで、マルコム・マクラーレンと共にロンドンにショップ「レット・イット・ロック」をオープンさせたのが70年代初期。ていうか、そんな歴史もPCのごみ箱にうっちゃって、とにかくその王室愛好的パンク精神で、パラシュート・トップやアシンメトリーTシャツなど、ファッションを覆したファッションを世に送り出した彼女こそ、若者の燻る情熱とみごとにシンクロした、ファッション界のセックス・ピストルズだったんじゃないかと、僕は思っているわけです。
しかし、70年代後半にはパンクブームも沈静化(ピストルズのシドもバイバイプラネットアース)してしまい、そろそろヴィヴィアンもピークかなとか思われていた、その矢先、めっきり寒くなった'80年代のロンドン音楽シーンを再びアチチな渦に巻き込ムーブメントが起きました。ニューロマです。そう、派手なメイクと中世的ひらひらファッションをメインとしたニューロマンティック。デュランデュラン、ジャパン、ヴィサージなどに代表されるアレなんです。
そして、そのファッションのはしりとなったのが、なにあろうヴィヴィアン・ウエストウッド、パイレーツ・ファッションだったわけです。それ以後も、アシメトリーな重ね着や、ブラジャーをアウターにしてしまったバッファロー・ガールズ、厚底靴やミニ・クリニなど、ほんとに驚きと感動のお洒落を次々と存分に見せつけてくれた、ヴィヴィアン・ウエストウッド。個人的はに、その根底にどうしてもセックス・ピストルズの、パンク野朗の息吹が見え隠れしているようで、ゾクっとします。若者が若者として生き抜くための、大人と戦うためのエネルギーが、やわらかい生地や小さな金属片に、世代を超え、ジャンルを超え、ぎゅっとつまっているのではないでしょうか。ダサ目に言うと「ぼくらの応援歌」みたいな。

と、まあ、知ったかぶりと勢いで味付けしながら書きつらねてしまいましたが、とにかく、若者の間ではヴィヴィアンが強い、というのが最近の感想なのです。
なんだか、まだまだ元気な予感のするヴィヴィアン・ウエストウッド。これからも、若者のハートの上に“オーブ”がゆらゆらと揺れ動いていくのでしょう。

さて次回は、個人的に英国のヴィヴィアンの対抗馬と思しき、フランスのジャン=ポール・ゴルチェについて、じっくり語ってみたいと。。。←うそです、そんな企画はありません。

ちっともお洒落じゃないカメラマン、アキーロでした。ばいちゃっ♪

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