うどんやラーメンなどの食べ歩きと旅のブログ2

国内・海外問わず旅が好きです。以前のブログが、無料容量限界に達したのでその続きです。

2018年_伊豆大島写真集

2024年01月19日 | 旅行

 こないだ、単身赴任で大阪に飛ばされた(拒否権無し)という記事を書きましたが、大阪の事務所が閉鎖になることが決まり、次は東京に赴任することになりました。東京がいやで福岡の会社に転職したのに、また舞い戻ることになってしまったのであります。なんでやねん! しかーし、これも拒否権が無いので従うしかありません。

 生まれ育った中野あたりにアパートを探したのですが、なかなか手ごろな物件がありません。「渋谷はどうですか?」と紹介されたのが幡ヶ谷の物件です。え、ここが渋谷区なのというほどの、忘れ去られた渋谷区という表現が似合う場所です。しかし勤務先の新宿には、京王新線で乗り換えなしで行けるし、懐かしの中野に行くにもバスがあるので便利です。うさぎ小屋のくせに家賃はちょー高いのですが、会社補助があるのでなんとかなりそうです。しばし、幡ヶ谷に住むことにしました。 

 土日は関東散策もしたのですが、ある日伊豆大島に行ってみたいと思い。フェリーを使った伊豆大島旅行を決行しました。往路は竹芝桟橋から「さるびあまる」で夜間に出航します。高速船もあるのですが、フェリーの方がお得価格だし、一晩船の中で寝ていくというのも風情があって良いものです。伊豆大島には早朝につくのですが、レンタカーを予約しているので、港まで迎えに来ていただけました。(有難いなぁ)

 川端康成の「伊豆の踊子」は有名なので、たびたび映画にもなっています。この踊子には実物のモデルがいて、伊豆大島の「たみ」さんという方です。たみは11歳の時、波浮港の茶屋「鉄丸」に奉公しました。川端康成は第一高等学校生徒(19歳)で伊豆へ旅行の折り、伊豆大島の波浮港から出稼ぎ中の旅芸人「加藤文太夫一行」と道連れになります。この時、「伊豆の踊子」とされる「たみ」(加藤文太夫の子)と出会ったことにより小説が書かれました。

 翌年たみが14歳の時、茶屋「さかえや」を開業します。(やり手だな)16歳の頃に波浮港から下田に転出(飛躍だな)ということで、伊豆の踊子は、かなり商才のあった人と思われます。波浮港には、当時の茶屋を再現した建物が公開されています。

 伊豆大島の三原山は、直近では1986年に噴火をしています。頂上はカルデラになっており、今は火山活動が落ち着いているので、遊歩道で山頂まで行くことができます。しかし2月の三原山は雪が積もっていて、歩いて行くのは大変そうです。登山口にある管理室に寄って聞いてみたら「行けないことはないが、自己責任ですね」と言われました。(そりゃそうだ)登山禁止じゃないなら、なんとか行ってみようということで、「かんじき」とか「アイゼン」とか登山道具がないか商店を探しまくりましたが、適当なものがありません。あきらめかけた時、スパイク付きの長靴(磯靴)を見つけました。「これじゃ」といことで、急遽購入して頂上まで行ってきました。

 島では椿祭りが行われていました。元町港では「夜祭り」も行われており、誰でも見ることができました。島の名物に「べっこう寿し」があります。白身魚を唐辛子醤油につけた寿しで、ぴりっとして美味しいです。お店で食べてもいいのですが、スーパーに行くとお得なべっこう寿しもあるので、お好みでどうぞ。あと、好き嫌いが分かれるのですが、「くさや」も名物です。食べると美味しいそうなのですが、においがダメという人も多いです。(自分もダメだぁ)

 伊豆大島の港は、「元町港」と「岡田港」があります。風向き波などを考慮して、どちらを使うかが決まるようです。往路は元町港で、復路は岡田港でした。島のあちこちに当日入港する港が張り出されるので、それを見て港に向かいます。レンタカーは、どちらの港でも返却できます。

 伊豆大島には動物園があります。「東京都立大島公園動物園」なんと、入園無料で訪れることができます。伊豆大島や千葉県の房総半島では、野生化したキョンが繁殖し農業被害等が発生しているということで駆除が行われていますが、この動物園では1頭だけが飼育されていたので、実物を見ることができました。(但し、訪問時)