うどんやラーメンなどの食べ歩きと旅のブログ2

国内・海外問わず旅が好きです。以前のブログが、無料容量限界に達したのでその続きです。

2015年「万博記念公園」大阪府吹田市

2024年01月04日 | 旅行

 自分は東京生まれの東京育ち(中野区)なので、最初の就職は東京でした。しかし、人が多すぎて通勤がちょーいやだし、ここは住む場所ではないと感じ、九州福岡に移住しました。東京にいたころは、バブル経済の末期ごろで、元手を持っている人たちはマンション転がしをやっていたり、Nなんとか株(抽選だった)を買ってすぐに売却したらすげー儲かったという話も良く聞きました。しかーし、なにも持たない自分みたいな当時の就職したての若造は、バブルなんかなーんにも関係なく、ひたすら搾取されるだけだったのです。残業・徹夜はあたりまえだけど、残業手当は付けないぜみたいな。

 ある時、福岡の会社に転職しましたが、東京との経済格差は確実に存在するので、地方本社の会社は東京の給料ベースに比較すると、どうしても下がるのはしかたがないことです。それでも、住居費・物価を考慮すれば、なんとかやっていけるレベルではありました。そういう理由で、東京などの大都会から福岡に転職してくる同僚も少なからずいました。

 時代は移り変わり、合併の波が当社にも容赦なく襲い掛かってきたのであります。なんと福岡本社の会社が東京本社の会社に合併統合され、全国規模になってしまったのであります。最初は地方採用の社員はそれなりに配慮していてくれたのですが、合併を繰り返していくうちに組織が巨大化していき、地方から東京への人的リソースの集中が始まりました。なんでやねん!! 都会が嫌だったので地方に来たんやないかい!といっても通用しません。良かったのは、全国一律の給与体制になったので、都会の給料に合わせて少し上がったくらいかな。

 ある日、大阪に行けという辞令が来ました。オーマイガー! やっぱりか。ということで、不本意ながら大阪に単身赴任で行ったのであります。(拒否権無し)忙しい日々だったのですが、せっかくの大阪暮らしなので、土日はぶらN村をしてみようと思い、大阪周辺を散策しました。

 そうだ、1970年に大阪万博があったとき、千里の万博会場に行った記憶がよみがえりました。子供の頃に、親につれられて万博を見に行ったのであります。親戚が芦屋にいたので、そこに一週間ほどお世話になりました。

 ここからが本文です。(長い前振りだな)

 1970年の大阪万博はすごい人気で、連日メジャーなパビリオン(展示館)では、数時間待ちの行列があたりまえのような光景でした。人気の国のパビリオンは、アメリカ(アポロ11号が持ち帰った月の石が目玉)、ソ連(宇宙開発関係)、それと日本館も大人気です。国内の有名メーカーも力を入れた展示を行っていたので、入るのには根気がいります。すんなり入れるのは、アフリカ・中南米の小さな展示館くらいです。展示館といっても、パネルでの国の紹介くらいの規模なので、すぐに見終わる程度の展示です。

 どうしても「月の石」は見たかったので、ある日開場前に並んでアメリカ館に突進する作戦をとりました。当然、同じことを考える人は多く、ゲートが開くと同時に猛烈ダッシュが始まります。「危険なので走らないでくださーい」というアナウンスはありますが、従うはずはありません。猛烈ダッシュ組は、思い思いの人気パビリオンに散っていきます。そういう作戦をとっても、アメリカ館に入るまでには1時間以上並んだ覚えがあります。例の「月の石」は確かに見たのですが「止まらないでくださーい」という係員の声に押されて、歩きながらちらっと見る程度でした。そりゃ、その程度にしないと客をさばけないからなというのは理解できます。

 当時のパビリオンは基本的には解体されているのですが、ごく少数のものは今でも残っています。跡地は万博記念公園になっており、入場料を払うことによって入ることができます。当時のことを思い起こしながら、2015年7月5日に訪問しました。

 万博会場のシンボル太陽の塔は健在で、圧倒的なスケールで迫ってきます。当時、なんとかジャックというのが流行っており、この太陽の塔をジャックした事件も起きました。上部の目玉の部分に入り込み、籠城した男がいました。なんの意味があるのかと思いましたが、思うところがあったのでしょう。(知らんけど)この目玉部分には強力な照明装置があるので、夜間点灯すると犯人が負傷する恐れがあるということで、籠城期間中は犯人のいる片目が光らなかったと記憶しています。水も食料もトイレもないので長期間の籠城は無理で、じきに捕まりましたが迷惑千万男でした。岡本太郎氏の作品も多数残されており、当時の記憶が蘇りました。

 万博訪問時のパンフレットとか沢山貰ったのですが、残念ながらすべて処分してしまって残っていません。記念館では、当時の貴重なパンフレットやグッズを保存・展示しています。手元にあるが不要になった万博関連のものは、引き取っていただけるようです。(もちろん無償譲渡)