ガザ
2013-11-05 | 使徒
話が「だが」というニュアンスを含みつつ変わります。「さて、主の天使はフィリポに、「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と言った。そこは寂しい道である」(使徒8:26)と突然弟子の一人フィリポに、神の言葉が降ります。はっきりと「立つ」という動詞があるので、ひらがなでなく漢字でよいだろうと思います。立ち上がることというよりも、もっと簡単に、動作を始めるときの合図のように使いがちであり、またその意味でよいと思うのですが、これは「よみがえる」の語とつながっています。もちろんここではよみがえるわけではありませんが、復活について、この「立つ」が使われていることを思うと、私たちは自ら聖霊により、あるいは主の言葉により、行動を始めるように促されるとき、ひとつひとつ復活の過程が生じているのかもしれません。ここから復活して行動せよ、というふうに聞き取る歩みもあるでしょう。ガザという地名が出てきます。現在でもパレスチナ問題の舞台の一つとして有名です。紀元前1500年の記録にもあるそうですから、このフィリポの当時でさえ、すでに古代都市の観がありました。エジプト王朝の手による町だそうです。非常に大きな都市の一つだったことがありますが、その後大体都市が建設されてからは比較的軽い役割を担うようになったようです。「寂しい道」と訳されている語は、いわば荒野を意味することがある響きの語です。もしかすると、ガザという言葉自体に含まれているその荒野という意味合いを、ルカが一般名詞としての荒野だと捉えた可能性も考えられます。