シモンの祈りの要請に応えたのかどうか分かりませんが、「このように、ペトロとヨハネは、主の言葉を力強く証しして語った後、サマリアの多くの村で福音を告げ知らせて、エルサレムに帰って行った」(使徒8:25)とこの事件は幕を下ろし、次にひじょうに奇異な、しかし今後の福音の伝わる歩みにおいてひじょうに重要な出来事が記されます。「このように」は「さて」(使徒1:6)と同じ語で、ルカの癖でもあります。話題の転換を考えているときについ出てくるかのようです。ペトロとヨハネが2人で行動しています。イエスが弟子たちを2人で組にさせた名残であるかもしれません。いろいろ口止めの圧力がかかっていたにせよ、福音を発することにかけては抑えることができませんでした。注目するのは、サマリアの多くの村でも語ったということです。ユダヤ人はサマリア人と交わりませんでした。わざわざその地を避けて通るほどに、忌み嫌っていました。ですから、そう簡単にその地に足を踏み入れるはずがありません。ましてそこで福音を告げ知らせるというのは、並大抵の出来事ではないように見受けられます。もちろん、イエスはそこでも語りました。わざわざサマリアを通ったことがあり、そこで人に顔を合わせられない女と話をしました。女と話すこと自体、律法では難しいのに、罪深いサマリアの女と話をしたのでした。そこで、共に真実の礼拝をする必要を話しました。それはヨハネ伝です。ルカはその話は知らないかもしれません。しかし、いくらユダヤの地理に疎いルカであっても、このような事情を知らないはずがありません。ペトロとヨハネがサマリアで福音を告げ知らせた、という表現には、かなりひっかかるものがあるか、または気合いを入れて書かなければできないことだったでしょう。そうはいったものの、またエルサレムに戻ります。エルサレムという中心部をルカはまだ構えています。ここから外に飛び出すには、パウロという器が必要です。しかしなお、その太刀持ちとして、つまりイエスに対するバプテスマのヨハネのような役割の者として、次にフィリポを用意しています。