旅するスクナビコナ

海の彼方からやって来た
ボクの旅の記録だよ
(・・・と言ったスクナビコナが疫病の蔓延のため戻ってきたようです)

月曜日がやってくる

2020-05-31 21:51:00 | 日記

まもなく月曜日を迎え憂鬱な人も多いのではないでしょうか。


仕事に行きたくない人。

リモートワークに飽きている人。

先ゆきが見えなくて不安な人。

仕事がなくて困っている人。


気分に負けてしまってはいけません。

重大な結果よりも、何かが起きるのではないかという不安の方が人に悪影響を及ぼします。

物事を悪い方へ悪い方へばかり考えても状況を変えることはできません。気分が落ち込んでいくだけです。

現実よりも気分に負けてしまってはいけません。

私は資本主義社会での権力闘争に疲れ安らぎを求めて4月半ばにここに流れ着いた者です。
数字を求め全力で走り抜いて出世し多くの人たちを支配して傷つけ、ついに自らもクーデターを起こされて深傷を負い戦う意志を喪いました。

でも月曜日は容赦なくやって来ます。
勝負はついているのに負け組になったのに生きるために働かなければなりません。哀れであり屈辱的でもあります。

それでも仕事があるだけ幸せです。
戦いに敗れても命まで取られることはなく幾らかの収入は保証されます。
人は開き直れば生きていけるということを学びつつあります。



私は幸せなのだと思います。

少なくともこうしてブログと向き合っていられるのは幸せなことです・・・ウソ😂

いつかは傷も癒えます・・・そう思いたい😶


やさしいgooの皆さん、ありがとうございます😊

みんな大好き❤


無理をしない幸せな社会へ

2020-05-29 21:20:00 | 日記

拘束時間を半分にして現在と同じ収入を確保できれば人はそれぞれの余暇を十分に楽しめるはずだと書きました。
拘束時間を6割程度にして現在の収入の2割増し程度の収入を得るのも一つの選択肢です。
この場合、企業の固定費は6割程度上がる計算になりますが、産業による違いはあっても原料や材料の輸入に関わる変動費はむしろ減少する傾向にありますから、固定費増加分を相当に緩和してくれるはずです。
物価が6割上昇する訳ではないということです。



今回の疫病騒ぎで明らかになったことは、海外の労働力の安価な地域に製造拠点を展開していてはサプライチェーンが重大な危機に陥ることが現実にあるということです。日本国内に引き揚げることによって固定費は上昇しますが、人々が安心できる付加価値の高い商品を生産する契機にもなります。
付加価値の高い商品への生産転換は、無理なコスト削減にばかり専心させられてきた多くの技術者にとって希望の灯となり、プライドを取り戻し本来の実力に見合った活躍をする契機となるでしょう。



日本は輸出依存型経済ではありません。
内需主導型経済なのですから、付加価値が高く安心できる商品を買い求めるだけの精神的経済的余裕を人々にもたらすことができれば、日米欧にとっては過酷な国際的価格競争からも抜け出すことができます。一般的に日本人は日本製を好んできました。

新たな経済構造を作っていくためには日米欧の協調が不可欠です。
新たな経済構造とは、生産量や供給量は少なくなっても付加価値を高めることによって商品の価格が上がり数字上の経済規模が大きくなる循環です。結果としてインバウンドを選別することも可能になります。

この経済構造への転換を率いるのは内需主導型で産業と技術と職人技能の裾野が広い日本であると信じています。


ノルマンディーの思い出

2020-05-27 14:37:00 | 日記

クロード・ルルーシュの映画で有名なドヴィル。
Un homme et une femme 
(男と女)

ずっと小さい頃に祖父につれられてほとんどフランス語も喋れないまま訪れた。
フランス人の友人も多く社交的で洗練された祖父はここでも歓迎されていた。私はその孫ということで親切にされた。
温かくも閉鎖的な社交界で私は居場所を確保した。



ノルマンディーは一日の中に四季がある英国やアイルランドに似て、冷たい雨の間に気まぐれに青空が現れる。

今日一日を精一杯たのしめばよい長く続いた幸せな日々の後に災害があって、その影響が私の日常にも大きく影を落とすようになった。日本は長い経済後退の中にいた。



ドヴィル再訪はずっと後まで待たなければならなかった。
あれから20年くらい経っているのに私は何を期待していたのだろう。ノルマンディーバリエールは私を初めての客のように扱った。

閉ざされた社交の扉。
低く立ち込める雲の下、わずか2泊しただけで、私は逃げるようにパリへ戻った。




一人ひとりが主人公 - 追記推敲

2020-05-24 18:26:00 | 日記

数十年、百数十年も続いた老舗が、残念ながら暖簾を降ろさざるを得なくなっています。
おそらくは数百年の老舗も。
廃業してしまったことによって生じる古来からの文化的欠落を埋める術はありません。ですから結果的には近代的なマニュアルから成り立っている大規模なチェーン店だけが、幾らかの従業員を犠牲にして生き残っていくことになります。
異常事態が続く日本に疫病がトドメを刺しかねない状況に見えます。



企業の雇用の調整弁として便利に使われていた派遣社員の雇用環境も悪化していると思われます。
一方で疫病が招来した思いがけない効果も期待できます。

派遣社員のマネージメントを個々の派遣社員自身が行える仕組みができるならば、普及し始めたテレワークなどを利用して各々の専門性と希望によって契約することが以前よりも容易になる可能性があります。
もちろん派遣会社は存在せず、あるいは介在せず、その替わりの役割を個人が行うという前提です。
この仕組みがうまく機能すれば、正社員から派遣社員へと流れていく人も現れるのではないでしょうか。



老舗が生み出してきた文化の継承も、この仕組みが助けになるかも知れません。

意欲が持てる分野でみんなが研鑽を積んでいく、それは第一次産業でも第二次産業でも第三次産業でも同じことで、それぞれの分野での基礎となるインフラとしてITを整備していけば、とここまで考えれば、ぼんやりとではあっても経済の設計図が見えてきませんか。
IT未発達の日本だからこそ初めから考えて計画的に構築できる強みがあるのです。

これからの日本をあるべき姿に導いていくキーワードは、健康保健などが少なくとも現状並みに整備された上での一人ひとりの自営業化と言えるのではないでしょうか。


つづく


豊かで健やかな社会

2020-05-22 21:58:00 | 日記

大都市中心の例で恐縮なのですが、東京圏と大阪圏では一人一日当たり平均10時間くらい働いているのではないでしょうか。

現在の経済システムでは、技術革新によって働く時間が短縮されたとしても、空いた時間を別の仕事に当てるため実際に働く時間は短縮されず余暇も増えません。
ではAIやロボットの導入により業務の効率を上げて、10時間労働が半分の5時間になったらどうでしょうか。



朝8時に働き始める人は13時に仕事を終えることができます。13時に働き始める人は18時に仕事を終えます。
10時間働いていたのを5時間に短縮しても収入が変わらないようにAIやロボットを導入するのです。初期投資は必要ですが、ほとんど無給で働いてくれるありがたい存在です。

単なる労働分配率の話に矮小化するのではなく広い視野から社会の変革としてとらえることが大切です。



人は空いた時間を家族と過ごしたり、趣味に打ち込んだり、友人と会ったりして、ゆったりと過ごすことができ、個人と社会全体に余裕が生まれます。余裕は寛容な心を育み、道徳を向上させ、人は礼儀を大切にするようになるでしょう。
行き過ぎた効率優先を改めれば、人は本来の温かい親切な人格を取り戻せるはずです。



10時間を5時間に短縮するのは難しいと感じるかも知れません。しかし疫病の蔓延によって思わぬ社会実験となったリモートワークを活用すれば、東京圏で約1時間半、大阪圏で約1時間の通勤時間の往復分が不要となります。まず拘束時間全体の短縮として捉えれば可能な数字だと思います。
また長時間の会議も、その有効性に疑問を感じる人が相当に増えたはずです。会議が少なくなれば会議資料も少なくて済みます。
もちろんリモートワークができにくい職種も存在しますが、AIやロボットの導入をさまざまな分野で進めていけば、程度の差はあるとは言え少なくとも拘束時間の短縮にはつながっていくはずです。



人を働くことから完全に切り離してしまってはいけません。
人は社会的責任を負うことで自らの欲求を満たして幸せを感じることができる存在だからです。

人を幸せにするからこそ技術革新の意味があるのではないでしょうか。

つづく