ツイッターに上がっていた、忌野清志郎先生のインタビュー。
インタビュアー「尊敬するブルーズマンを5人上げてください」
先生「それは無理だ。そもそもブルーズとR&Bの境目なんて曖昧だし、ジミヘンだってジャニスだってブルーズだ。ストーンズだってビートルズだってそう。こういう質問はブルーズを型にはめてしまうだけだぜ。カントリーだってブルーズじゃん!。」
なるほど。流石。(もしかしたら、答えるのめんどくせ~な~ってのもあったかもしれないが 笑)
大昔、ブルーズは黒人だけのモノだった。
言い方は悪いが、それをかっぱらってロックンロールを産んだのが白人。
そしてそこにブルーズの偉大さを発見して、大昔のブルーズマンに対して尊敬の念を持ち、ロックンロールが巨大ビジネス化した時に、数々のアーティストが昔のブルーズマン達の曲をカバーし、その印税をブルーズマンに流した。
黒人たちは白人のロックンロールを、かっぱらい返して、ファンク等を産んだ。
その根底に流れていたのは、「音楽」に垣根はないってことじゃなかったのだろうか。
新しい音楽を生み出す熱には、過去へのリスペクトが必ずあった。
それと同時に、何かを変える、垣根をぶっ壊す「熱」があったのだと思う。
よく「ほんもののブルーズは、やっぱ黒人にしかできないね」みたいなニュアンスの発言を耳にする事があるのだが、(特にマニアックなブルーズおたくとかね 笑)俺はそんなのナンセンスだと思う。
たしかに、脈々と受け継がれてきた「血」の中に組み込まれた、言葉にはできないモノが存在する事は確かだと思うが、「音楽」はそれだけじゃないと思うのだ。
何が本物か偽物かなんて、ブランド品じゃね~んだからって思う。
自分の脳天をガチ~ンとぶっ叩かれたみたいな、衝撃を受けた音楽に、本気で憧れたら、その先に何があるか知りたくなるだろうし、それを本気で探しはじめたら、もうそれはその人にとって「本物」以外のナニモノでもない。
ただ、それに固執しすぎるのは、それを逆に型にはめてしまうってこと。
そこから始まってしまうクリシェ、紋切り型、はすぐに古くなるし、つまらない。
同じ12小節3コードの常套句をのせた歌でも、全く違う意味を持ってしまうのだと思う。
基準なんかない。
んんんんむ~。
そこで、過去へのリスペクトと過去をぶっ壊す熱だ。
ここにあるジェフ&マリアマルダー夫妻のアルバム。『ポテリーパイ』。
この二人は、1960年代にめっちゃくちゃ過去のブルーズやフォークを研究していた。
このアルバムでも、サンハウスの「デスレターブルーズ」やホーギーカーマイケルの「ジョージアオンマイマインド」とか、様々なカバーをしている。
そして、その出来は、俺なんかが言うのもおこがましいが、素晴らしい。
ルーツへの愛に満ち満ちている。
きっとこれは、過去のグッドミュージックへのリスペクトと同時に、それにとらわれていない自由な発想の賜物だと思う。
大昔のブルーズマンたちの歌を、自分たちの体温で暖め直すって作業を、なんなくやっている。
しかも、相当洒落てる。
ただのマニアじゃない。
こういうのミュージシャンっていうんじゃなかろうか?。
これは、今も昔も変わらない事だと思うんだなあ。
変わる事、変える事を恐れずに、信じたようにそこに突っ込んでゆく勇気。
自由な発想。
今改めて聴くと、身につまされる。
こんな過去へのリスペクトの仕方。
そしてそれを現在に蘇らせるための自由な発想。
今度は、こんな素敵な音楽に対するリスペクトと、それを現代に蘇らせる自由な発想を持って俺が何をするかだね。
音楽は巡る。
1970年。アメリカ。
インタビュアー「尊敬するブルーズマンを5人上げてください」
先生「それは無理だ。そもそもブルーズとR&Bの境目なんて曖昧だし、ジミヘンだってジャニスだってブルーズだ。ストーンズだってビートルズだってそう。こういう質問はブルーズを型にはめてしまうだけだぜ。カントリーだってブルーズじゃん!。」
なるほど。流石。(もしかしたら、答えるのめんどくせ~な~ってのもあったかもしれないが 笑)
大昔、ブルーズは黒人だけのモノだった。
言い方は悪いが、それをかっぱらってロックンロールを産んだのが白人。
そしてそこにブルーズの偉大さを発見して、大昔のブルーズマンに対して尊敬の念を持ち、ロックンロールが巨大ビジネス化した時に、数々のアーティストが昔のブルーズマン達の曲をカバーし、その印税をブルーズマンに流した。
黒人たちは白人のロックンロールを、かっぱらい返して、ファンク等を産んだ。
その根底に流れていたのは、「音楽」に垣根はないってことじゃなかったのだろうか。
新しい音楽を生み出す熱には、過去へのリスペクトが必ずあった。
それと同時に、何かを変える、垣根をぶっ壊す「熱」があったのだと思う。
よく「ほんもののブルーズは、やっぱ黒人にしかできないね」みたいなニュアンスの発言を耳にする事があるのだが、(特にマニアックなブルーズおたくとかね 笑)俺はそんなのナンセンスだと思う。
たしかに、脈々と受け継がれてきた「血」の中に組み込まれた、言葉にはできないモノが存在する事は確かだと思うが、「音楽」はそれだけじゃないと思うのだ。
何が本物か偽物かなんて、ブランド品じゃね~んだからって思う。
自分の脳天をガチ~ンとぶっ叩かれたみたいな、衝撃を受けた音楽に、本気で憧れたら、その先に何があるか知りたくなるだろうし、それを本気で探しはじめたら、もうそれはその人にとって「本物」以外のナニモノでもない。
ただ、それに固執しすぎるのは、それを逆に型にはめてしまうってこと。
そこから始まってしまうクリシェ、紋切り型、はすぐに古くなるし、つまらない。
同じ12小節3コードの常套句をのせた歌でも、全く違う意味を持ってしまうのだと思う。
基準なんかない。
んんんんむ~。
そこで、過去へのリスペクトと過去をぶっ壊す熱だ。
ここにあるジェフ&マリアマルダー夫妻のアルバム。『ポテリーパイ』。
この二人は、1960年代にめっちゃくちゃ過去のブルーズやフォークを研究していた。
このアルバムでも、サンハウスの「デスレターブルーズ」やホーギーカーマイケルの「ジョージアオンマイマインド」とか、様々なカバーをしている。
そして、その出来は、俺なんかが言うのもおこがましいが、素晴らしい。
ルーツへの愛に満ち満ちている。
きっとこれは、過去のグッドミュージックへのリスペクトと同時に、それにとらわれていない自由な発想の賜物だと思う。
大昔のブルーズマンたちの歌を、自分たちの体温で暖め直すって作業を、なんなくやっている。
しかも、相当洒落てる。
ただのマニアじゃない。
こういうのミュージシャンっていうんじゃなかろうか?。
これは、今も昔も変わらない事だと思うんだなあ。
変わる事、変える事を恐れずに、信じたようにそこに突っ込んでゆく勇気。
自由な発想。
今改めて聴くと、身につまされる。
こんな過去へのリスペクトの仕方。
そしてそれを現在に蘇らせるための自由な発想。
今度は、こんな素敵な音楽に対するリスペクトと、それを現代に蘇らせる自由な発想を持って俺が何をするかだね。
音楽は巡る。
1970年。アメリカ。