俺は寝付きが良い。
眠れなくて困った事なんてほとんどない。
いつでもどこでも、すぐに、寝る。寝られる。
そういうと「悩み無いんだ~。うらやましい」とか、言われそうだが。
なるほど、こんな俺にもかなり重たい悩みやショックなどで眠れないと言う事が何度かあったな。今までで。
眠れなくなるほどの悩みやショックってのは、誰にでも経験あると思うが、かなりヘヴィーな状態だ。
鬱状態ね。
こういう状態の場合は別だが、ちょっとやそっとの憂鬱なんて俺の眠りには差し支えない。
横になって早い時は三分だ。
枕なんか変わったって、俺の眠りに落ちるスピードとエナージーには、何の差し支えも無い。
無敵だ。
以前俺は、寝る前に必ず音楽を聴きながら寝ると言う習慣を持っていた。
10年以上そうしていたと思う。
でも、だいたいCDの一曲目、二曲目くらいしか覚えてないの。翌朝。(笑)
それって、音楽かけて寝る意味あるのか?って思うけど(笑)、いつもかけてたな。
ここ2~3年はその習慣なくなったのだけれど。
その、睡眠誘導ミュージックで(あんまり意味ないけど 笑)、一時期4~5年前にはまっていたのが、このエリックサティ。
そもそも、寝る前に聴く音楽でなんかいいのないかなあ(どうせあんまり聴いてないくせに! 笑)って話を、友達としていて、ペンギンカフェオーケストラを薦められて、今まであまりこの辺の現代音楽的なモノを聴いてこなかった俺が、見事にはまり、寝る前に限って毎晩ヘヴィロテしてた時期があって、そこから現代音楽的なモノやクラシックなどをつまみ聴きするようになって(就寝前限定ミュージック)、エリックサティにたどり着いたのだった。
クラシックなんていままでちゃんと聴いた事無かったなあ、と思いつつ、初めて聴いたサティの曲の印象は、全くクラシックっぽくなかった。
なるほど、現代音楽の礎的な感じとでも言おうか。
曲もそうなのだが、ここでピアノ一本でプレイしている、ラインベルト・デ・レーウという人物の、サティの解釈の仕方による部分もかなり大きいかもしれない。
サティというのは、1866年にフランスのオンフルールと言う町に産まれている。
かなりの奇人だったみたいだ(笑)。
怪しげな秘教団に属したり、自らが教祖になって仮想教団を立ち上げたりしたあげく、
「芸術を志す者は、絶対的にすべてを放棄した状態で生きなければならない」といい(言ってる事の意味は凄く良くわかる気がする が)、32歳の時にパリの中心にあった住居を引き払い、アルクイユというパリ郊外の場末に移り住み、残された27年の生涯をそこで過ごしたと言う。
彼のその小さな屋根裏部屋を訪れた者は一人もいなかったと言うエピソードも残っているらしい。
こんな彼の人間性が反映されてか(反物質的というのかな・・)、彼の曲はとても寂しげだし、メロディー自体に無駄を感じないと言うか、ストイックな印象だ。寂しげであるが、訥々(とつとつ)と、淡々と、何らかの感情を抑えている感じ。
そして、その曲をピアノで奏でるデ・レーウと言う人物は1938年にアムステルダムに産まれた作曲家、指揮者、ピアニスト。
1970年代あたりから、サティのスペシャリストと言われているらしい。
たぶん、余計なモノを足したり引いたりせずにサティの曲を素直な視点で理解しているのだろう。
録音の仕方もあると思うが、そのレンジの広さや噛み締めるような間合いとかは、クラシックとかなんとか関係なく素晴らしいと思う。
今夜は大音量でこれを聴いているが、なんとも幻想的な秋の夜です。
モノクロの月夜のすすき野原が、ぼんやり浮かびそうです。
1992年9月録音。オランダ。
眠れなくて困った事なんてほとんどない。
いつでもどこでも、すぐに、寝る。寝られる。
そういうと「悩み無いんだ~。うらやましい」とか、言われそうだが。
なるほど、こんな俺にもかなり重たい悩みやショックなどで眠れないと言う事が何度かあったな。今までで。
眠れなくなるほどの悩みやショックってのは、誰にでも経験あると思うが、かなりヘヴィーな状態だ。
鬱状態ね。
こういう状態の場合は別だが、ちょっとやそっとの憂鬱なんて俺の眠りには差し支えない。
横になって早い時は三分だ。
枕なんか変わったって、俺の眠りに落ちるスピードとエナージーには、何の差し支えも無い。
無敵だ。
以前俺は、寝る前に必ず音楽を聴きながら寝ると言う習慣を持っていた。
10年以上そうしていたと思う。
でも、だいたいCDの一曲目、二曲目くらいしか覚えてないの。翌朝。(笑)
それって、音楽かけて寝る意味あるのか?って思うけど(笑)、いつもかけてたな。
ここ2~3年はその習慣なくなったのだけれど。
その、睡眠誘導ミュージックで(あんまり意味ないけど 笑)、一時期4~5年前にはまっていたのが、このエリックサティ。
そもそも、寝る前に聴く音楽でなんかいいのないかなあ(どうせあんまり聴いてないくせに! 笑)って話を、友達としていて、ペンギンカフェオーケストラを薦められて、今まであまりこの辺の現代音楽的なモノを聴いてこなかった俺が、見事にはまり、寝る前に限って毎晩ヘヴィロテしてた時期があって、そこから現代音楽的なモノやクラシックなどをつまみ聴きするようになって(就寝前限定ミュージック)、エリックサティにたどり着いたのだった。
クラシックなんていままでちゃんと聴いた事無かったなあ、と思いつつ、初めて聴いたサティの曲の印象は、全くクラシックっぽくなかった。
なるほど、現代音楽の礎的な感じとでも言おうか。
曲もそうなのだが、ここでピアノ一本でプレイしている、ラインベルト・デ・レーウという人物の、サティの解釈の仕方による部分もかなり大きいかもしれない。
サティというのは、1866年にフランスのオンフルールと言う町に産まれている。
かなりの奇人だったみたいだ(笑)。
怪しげな秘教団に属したり、自らが教祖になって仮想教団を立ち上げたりしたあげく、
「芸術を志す者は、絶対的にすべてを放棄した状態で生きなければならない」といい(言ってる事の意味は凄く良くわかる気がする が)、32歳の時にパリの中心にあった住居を引き払い、アルクイユというパリ郊外の場末に移り住み、残された27年の生涯をそこで過ごしたと言う。
彼のその小さな屋根裏部屋を訪れた者は一人もいなかったと言うエピソードも残っているらしい。
こんな彼の人間性が反映されてか(反物質的というのかな・・)、彼の曲はとても寂しげだし、メロディー自体に無駄を感じないと言うか、ストイックな印象だ。寂しげであるが、訥々(とつとつ)と、淡々と、何らかの感情を抑えている感じ。
そして、その曲をピアノで奏でるデ・レーウと言う人物は1938年にアムステルダムに産まれた作曲家、指揮者、ピアニスト。
1970年代あたりから、サティのスペシャリストと言われているらしい。
たぶん、余計なモノを足したり引いたりせずにサティの曲を素直な視点で理解しているのだろう。
録音の仕方もあると思うが、そのレンジの広さや噛み締めるような間合いとかは、クラシックとかなんとか関係なく素晴らしいと思う。
今夜は大音量でこれを聴いているが、なんとも幻想的な秋の夜です。
モノクロの月夜のすすき野原が、ぼんやり浮かびそうです。
1992年9月録音。オランダ。