規模はそれほど大きくないけど、何度も北と南で同時揺れすると気持ちが悪い。
弓なりの日本列島の北と南で同時揺れして列島のプレートのストレスを解消しているのかねぇ。
じゃ、列島のどっかに余計に弾けようとする歪が溜まるんじゃないかね。
でも、大丈夫だぁ!... アィ~ン
終戦前後以降は大地震が起きていないし約77年間静穏だから、根拠はないけどこれからも安心していいんじゃね。
あんまり他所の事を書くと神様の罰が当たって手前共の東北がまた大揺れするからもう止める。
鳥取地震(とっとりじしん)は、第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)9月10日17時36分54秒に発生した地震。震源地は鳥取県気高郡豊実村(現・鳥取市)野坂川中流域(北緯35度28.3分、東経134度11分)。M7.2 (Mw7.0[6])。震源が極めて浅く、気高郡湖山村(現・鳥取市)で震度6、遠く瀬戸内海沿岸の岡山市でも震度5を記録した。1945年の敗戦前後にかけて4年連続で1,000名を超える死者を出した4大地震(東南海地震、三河地震、南海地震)の一つである。
昭和東南海地震(しょうわとうなんかいじしん)は、1944年(昭和19年)12月7日午後1時36分から[4]、紀伊半島東部の熊野灘、三重県尾鷲市沖約20キロメートル(北緯33度8分、東経136度6分)から浜名湖沖まで破壊が進行した(震源としては「熊野灘」)、M7.9(Mw8.2)のプレート境界型巨大地震。単に「東南海地震[4][5]」または「1944年東南海地震[6]」と呼ばれることがある。また当初は遠州沖大地震と呼ばれていたが[7]、東海地域の軍需工場が壊滅的な打撃を受けたことを隠匿するため、「東南海地震」に変更したとする説がある[8][9]。
昭和南海地震(しょうわなんかいじしん)は、1946年(昭和21年)12月21日午前4時19分過ぎに潮岬南方沖(南海トラフ沿いの領域)78キロメートル(北緯32度56.1分 東経135度50.9分 / 北緯32.9350度 東経135.8483度)、深さ24キロメートルを震源としたM8.0(Mw8.4)のプレート境界型巨大地震である。「1946年南海地震」とも呼ばれ、単に「南海地震」といえばこの地震を指すことも多い[2]。発生当時は南海道地震(なんかいどうじしん)と呼ばれていた[3]。南西日本一帯では地震動、津波による甚大な被害が発生した。
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