フィンランド建築・デザイン雑記帳

日本で最初のフィンランドデザイン展 日本橋白木屋で1964年に開催


1964年(昭和39年)に開催された「フィンランドデザイン展」の図録

フィンランドに関する展覧会は、この10年ほど、日本のどこかの都市で常に開催されるようになった。
1970年代や80年代、フィンランドはおろか北欧に関する催事は、ごくまれで3-4年に1回開催されるかどうかという状態だった。
紹介する「フィンランドデザイン展」は、日本で最初の公式なフィンランドデザイン展である。

図録を見ながら、その概略を書いておこう。
会期: 昭和39年(1964年)5月15日(金)-27日(水)
会場: 日本橋白木屋7階グランドホール
主催: 朝日新聞社
後援: 外務省、通産省、フィンランド大使館

実行委員には、フィンランド側から
エルキ・ヘッドマンソン(駐日フィンランド代理大使)、 ティモ・サルパネバ
日本側の実行委員には、次のようなそうそうたる方々が名前を連ねている。
市浦健、 浜口隆一、 小原正雄、 小川正隆、 亀倉雄策、 山本堯、 柳宗理、  前川国男、 藤森健次、 神代雄一郎、 芦原義信、 坂倉準三、 瀬底恒子、

フィンランド側実行委員のティモ・サルパネバ (Timo Sarpaneva 1926-2006)は、日本でもイッタラ(iittala)のガラス器やガラス彫刻で著名な、フィンランドデザイン界の巨匠である.。
「フィンランドデザイン展」の会場構成、展示デザインを担当したのは、ティモ・サルパネバで、彼は当時37歳。 
1950年代にミラノ・トリエンナーレでグランプリなど数々の賞を獲得し、この時期ガラス作家として絶頂期にあったのだろう。 
展覧会の会場構成にも新たなデザインへの挑戦と自信のようなものが感じられる。


フィンランドに関するデザイン展では、この展覧会より以前、1958年6月に日本民芸協会の主催、柳宗理が企画した展覧会 「フィンランド・デンマークのデザイン展」が同じ会場、日本橋白木屋で開催されている。
図録には、 柳宗悦の 「北欧の工芸」、藤森健次の 「フィンランド・デザインの源」、そして 柳 宗理、浜田庄司、古仁所智、加藤建美による座談会 「フインランド・デンマークの工芸」が掲載されている。




1964年は東京オリンピックが開催された年で、人々の間で外国への関心が一段と高まった年でもあった。
同年1月には エリック・ザーレ著の「スカンジナビア・デザイン」が彰国社より藤森健次の訳で出版されている。

展覧会図録によると、この展覧会はすでにフランスやドイツ、イギリス、ポーランドなどで開催され、高い評価を得たもので、アメリカのニューヨーク・モダンアート・ミュージアムが熱心に招聘活動を行っていたところを、当時のフィンランド・デザイン協会理事長、ヘルマン・オロフ・グメルス (Herman Olof Gummerus)の努力で、アメリカよりも先に日本開催が決まったとの事。
おそらく東京オリンピックの開催により世界の関心が日本に向いていたということも影響していたのかもしれない。

実行委員のひとり、柳宗理は、この展覧会の特色として、展示形式を挙げている。
北欧の人口希薄な生活条件、静寂な自然環境、清潔さ、青い湖の美しさと数えきれない小さな島々、そうしたものが、この展覧会・会場から読みとられる。
ティモ・サルパネバの会場構成は、純粋に展示芸術というものを見せてくれた と述べている。


建築雑誌「国際建築」は1964年7月号で、ガラスデザイナー吉田丈夫のレポートにより数ページに渡って、この展覧会を解説している。
吉田丈夫は1959年に創立された「クラフトセンタージャパン」の設立メンバーのひとりで、現在でも「カガミクリスタル」などの製品で、氏の作品を観ることができる。

吉田丈夫も、この展覧会の最大の特色として展示形式を挙げ、次のように書いている。
展覧会場は、夜の国に入ったような黒の世界、天井は、一定の巾をもった白布を交互にゆるやかな斜面で交差的に構成。 床上には、ユニット式の黒色鉄板が組み合わせた台が5面。 椅子などの家具をまとめたシマが3面。 ゆったりとした間をとりながら散在させてある。

吉田丈夫は、この展示演出を称賛する一方で、不満も述べている。
作品の一つ一つをつぶさに見ようとした人々には、なんとも見づらく、照明は不親切であったし、並べられた作品と台に使用した鉄板とは合っていないなどなど・・・。
しかし、少なくとも、日本におけるこの種の展覧会ディスプレイの考え方に対して、一つの大きな刺激を与えたことだけはいえよう とも述べている。

日本で初めて開催された「フィンランドデザイン展」は、数々の優れたフィンランドデザインを紹介すると共に、ティモ・サルパネバによる革新的な展示形式は日本の人々に大きな刺激を与えたようだ。
1960年代、日本で一般に行われていた展示会の会場構成、展示形式は、どんなものであったのだろうか?





「フィンランドデザイン展」の図録より、
タピオ・ウィルカラ(Tapio Wirkkala)のガラス器



「フィンランドデザイン展」図録より、
アンティ・ヌルメスニエミ(Antti/Nurmesniemi)のコーヒーポット


「フィンランドデザイン展」図録より、
ウラ・プロコペ(Ulla Procope)の食器



「国際建築1964年7月号」より、
展覧会、会場の様子。 ティモ・サルパネバによる展示演出で、天井には、白布を斜面で交差的に配置し、床上にはフィンランドの湖沼地域の多島の様子を暗示させる展示台が置かれている。 天井からは、長いコードでつりさげられた、ペンダント照明が数十本。 この時代にして、革新的な展示形式は日本の人々に大きな刺激を与えただろう。



「国際建築1964年7月号」より、
左ページ左上よりタピオ・ウィルカラの花器、左下 アルヴァ・アアルトの花器、
右ページ右上よりカイ・フランクのキャンドル・スタンド、右下 ウラ・プロコペの耐熱陶器



「国際建築1964年7月号」より、
左ページ ティモ・サルパネバのガラス器、
右ページ 右上 ティモ・サルパネバの柄付鉄鍋、 右下 ティモ・サルパネバのガラス彫刻



「国際建築1964年7月号」より
右ページ および 左ページ アルヴァ・アアルトの家具
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