フィンランド建築・デザイン雑記帳

1976年5月11日(火) ヘルシンギン・サノマットなどの アルヴァ・アールトへの追悼記事

アルヴァ・アールトが78歳で亡くなった1976年5月、
僕は既に学校を卒業し、社会人として建築の世界にいたのだが、そのニュースを聞いて・・・の記憶がほとんどない。
20年ほど前に亡くなった、僕の叔父の命日がやはり5月で、それも14日。 年代は違うが、アールトが亡くなった日5月11日の3日後 という事で、叔父の死以降、叔父の命日とアールト死去のことがワンセットで僕の頭の中にある。

もう、40年以上も前、フィンランドの友人が、新聞「ヘルシンギン・サノマット」(Helsingin Sanomat)の切り抜きを送ってくれた。
"Alvar Aalto Kuollut" (アルヴァ・アールト死去)と新聞の第一面に、大きな扱いで、フィンランドが誇る世界的な建築家の死を伝えていた。




写真1: 
"Alvar Aalto Kuollut" (アルヴァ・アールト死去)、
死去から2日後の5月13日(木)の新聞「ヘルシンギン・サノマット」(Helsingin Sanomat)は、第一面でアルヴァ・アールトの訃報を伝えた。
20面、21面に関連記事ありと、2面に渡って業績、作品などを紹介している。



写真2: 
「ヘルシンギン・サノマット」は、20面、21面の2面に渡ってアールトの業績や作品などを紹介している。
20面には、フィンランドを代表する建築、デザイン評論家のひとり ペッカ・スホネン(Pekka Suhonen)が「ヒューマニズムの建築家 1898-1976-」と題し、解説文を寄稿している。


日本では「都市と建築 a+u」が 1976年7月号の「a+u plaza」にて武藤章が
「最後の巨匠 アルヴァ・アアルトの訃報に接して」を寄稿。
また翌年、1977年に鹿島出版会の「SD」が 1977年1+2月号にて「特集、アルヴァ・アアルト」を発行している。




写真:3 「arkkitehti」 1976年7,8、合併号
アルヴァ・アールトへの追悼特集号

フィンランド建築家協会(SAFA)が発行する建築誌 アルキテヒティ「Arkkitehti」の1976年7,8、合併号は1冊丸ごとアルヴァ・アアルトの追悼特集である。
「ALVAR AALTO 1898-1976」 キルモ・ミッコラの解説文と共に、世界各国の建築家や芸術家の追悼文を掲載している。
その中には、前川国男も追悼文を寄稿している。

追悼特集号に寄稿した建築家、芸術家たち、
Kirmo Mikkola, Finland
Hakon Ahlberg, Sweden
Hilding Ekelund, Finland
Marcel lods, France
Aarne Ervi, Finland
Kunio Maekawa, Japan
Oskar Hansen, Poland
Ivan Nikolajev, Soviet Union
Oswald Matias Ungers, Federal Republic of Gerrmany
J.A. Coderch y de Sentmenat, Spain
Harry Weese, United States
Aulis Blomstedt, Finland
Christian Norberg-Schulz, Norway
Alison and Peter Smithson, Great Britain
Karl Fleig, Switzerland
Carl Nyren, Sweden
Roland Rainer, Austria
Kjell Lund, Norway
Alfred Roth, Switzerland
Robert Venturi, United States
Jurgen Joedicke, Federal Republic of Germany
Jean-Jacques Baruel, Denmark
Reima Pietila, Finland
Goran Schildt, Finland




写真:4 「arkkitehti」 1976年7,8、合併号 アルヴァ・アールトへの追悼特集号
アルヴァ・アールトが1976年5月に死去したことを伝えている。



写真:5 「arkkitehti」 1976年7,8、合併号 アルヴァ・アールトへの追悼特集号
前川国男の追悼文



写真:6 「arkkitehti」 1976年7,8、合併号 アルヴァ・アールトへの追悼特集号
前川国男の追悼文

私は、個人的には、フィンランドの偉大な建築家、アルヴァ・アールト教授との交流はありませんでした。
しかし、10年前にヘルシンキを訪問した際、彼や他の人々、何人かと知り合いました。
私はアールトの材料の選択や研究されたディテール、人間的なスケールに最も感銘を受けました。
私はまた、アールトの建築は写真よりも環境の中で、はるかに印象的だったことに気づきました。
今日、私たちは「画像の社会」に住んでおり、情報の洪水に圧倒され、私たちは現実に失望させられることが多く、ほとんどの建築は、実際よりも写真の中ではるかに印象的です。
写真はある意味において「現実について幻想を生み出す弊害」である。
私は、ヨーロッパ大陸でキリスト教の普及が、スカンジナビア諸国まではとどくのに1000年を要したと聞いたことがあります。
おそらく、工業化もまたゆっくりだったのでしょう。
あなたがたの偉大な父 アルヴァ・アアルトが「弊害」と戦う方法を既に示していることはフィンランドの建築家たちにとって幸運なことです!


写真:7 「arkkitehti」 1976年7,8、合併号 アルヴァ・アールトへの追悼特集号


【写真・撮影】 管理人
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