酔いどれ山ガラス

リタイア後のエンジョイライフ
登山・スキー・旅行・社交ダンス・アマチュア無線・工作などを、写真を中心に紹介しています。

山への想い、飯豊への想い

2006-10-31 14:28:38 | 山の雑学&小話
 写真は、飯豊本山(1967.07.25)


 私が高校2年のとき、先輩に誘われて地元の鷲ガ巣山へ登った。やっとたどり着いた頂上での素晴らしい眺望と涼風の爽快感に、山への憧憬を深めることとなった。
 初めて飯豊へ入ったのは昭和四十年の夏、長者原~梶川峰~飯豊本山~実川の3泊4日のコースだった。級友と2人で村上から汽車、バスを乗り継ぎ、1日で門内小屋まで登った。
 当時は、現在の国民宿舎梅花皮荘(当時は2軒の民家があった。)までしか車道がなく、登山道は玉川の左岸沿いだった。飯豊温泉も湯ノ沢の上流にあり、冬にはたたんで洞窟にしまい込む藁葺きの掛小屋だった。
 飯豊の稜線では好天に恵まれ、残雪に映える青い山脈と指呼の間に展開する飯豊の峰々、縦走路のあちこちに広がる緑の草原と百花繚乱のお花畑など、飯豊の素晴らしさに魅了された。
 これ以後、春から初夏にかけては日帰り登山でトレーニングを重ね、夏山合宿として飯豊に入るのが、私の登山ライフとなった。
 飯豊の魅力の一つに、豊富な残雪を誇る石転び沢がある。春から夏にかけて、梅花皮沢を埋め尽くした雪渓が徐々に上流へと後退し、沢の様相が変化していくとともに、石転び沢上部が急傾斜になるなど、季節に応じた涼しい登山が楽しめる。
 ある年の5月、快晴の石転び沢を十文字鞍部から下るとき、仲間の誰かが言った。「キスリング(横長ザック)を滑り落とし、下で回収しよう」。それは、Goodidea(誰もがまっすぐ滑り落ちると信じて疑わなかった。)とばかり1人が実行に移した。ザックは数メートルスルスルと滑った後、猛烈なスピードで転がり落ち、見えなくなってしまった。尻セードで石転び沢を下りザックを回収することができたが、アサヒペンタックス1台を石転び沢に献上してしまった。おかしくも懐かしい想い出である。
 このほか大石山で台風に直撃され、強風で歩くことができず灌木薮の中で数時間の停滞を余儀なくされたり、切歯尾根の起伏の多い長い下りに仲間が膝を痛めて難渋したり、酒を担ぎ過ぎてパテてしまい洗濯平まで行けず、オーインノ尾根途中でテントを張り酒盛りにしてしまったり、青春の故郷(ハイマート)飯豊への想い出は尽きない。
 昨今は、どこの山へ行っても中高年登山者(私もそうだが)で賑わっているが、余りにも百名山とやらに偏向し過ぎてはいないだろうか。自分好みの山、郷土の山に固執するのもまた一興、むしろ登山の本質と思いたい。
 また、木道で滑って怪我をした、崖に柵やローブが無いから落ちた、標識が無いため遭難したなどと、施設管理者の責任にする場合が多くなってきた。登山計画立案を含め山行中の行動は、すべて自分の責任で行うのが基本であり、それが登山の技術であり登山の面白さではないだろうか。
※ この文章は、平成11年3月に随筆「我が青春のハイマート飯豊」として、職場機関誌に投稿したものを加筆訂正したもので、私の山への想い、飯豊への想いが綴られている。
 
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 昔の飯豊温泉。この橋を渡って梶川尾根の湯沢峰に登る。現在の登山道とは湯沢峰で直角に交差することになる。(昭和40年7月)

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 梶川峰へ出る。キスリングザックが懐かしい。(昭和40年7月)

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 飯豊山山頂。当時は真夏でも登山者はそんなに多くはなかった。(昭和40年7月)

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 石転び沢下部。石転び沢は中程から左に曲がっておりこの場所から上部は見えない。(平成7年8月)

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