岩国市を第二の夕張市にしない 福田良彦さんに岩国の再生を託そう。

明るく活力のある国際文化交流都市岩国をめざす
岩国市の未来を見据え、後世へ引き継ぐためいまできることを考える

岩国市 井原勝介 とは    岩国山さんのご意見

2008年01月24日 05時36分45秒 | Weblog
錦帯橋をわたり、上級武士が住んだといわれる武家屋敷の一角に吉川 経家弔魂碑がある。
信長の命令を受け、羽柴 秀吉が鳥取城を攻めにかかります。(城主 山名豊国は子息を秀吉に人質として送り込んでいた。)
山名豊国は、戦わず家臣を説得することも出来ず城を逃げ出します、代わりに経家公が城主につきますが秀吉の兵糧攻めにあい責任を取り自刃(1581年)、武将と農民を助けます。
 この弔魂碑のある所は、1600年になり子孫の方が岩国藩の筆頭家老を勤められた屋敷の一部分です。
昔の人は偉かった。
前首長は役所の部長を集めていった、この町の財政が破綻しようとも私の想いは変わらない。(市民に多大の負担を強いる首長はゴメン。)
前首長は市民の為には役立たず、ゲゲゲのゲもう用はない。