岩国市を第二の夕張市にしない 福田良彦さんに岩国の再生を託そう。

明るく活力のある国際文化交流都市岩国をめざす
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2008年を迎えて 糸山栄太郎のメッセージ

2008年01月03日 21時49分07秒 | Weblog

http://www.itoyama.org/contents/jp/days/2008/0101.html

若者たちへのメッセージ

新年あけましておめでとうございます。

2008年、日本人は正しい道を歩もうとしている。
偽者や偽物を嫌と言うほど見せつけられた日本人は正しい者や正しい物を欲し、自らも正しい者でありたいと誓ったはずだ。

日本の政治は今年こそ正しくあらねばならない。
正しいとは不正をしないということだけではない、日本を愛し日本を豊かにするという情熱と覚悟を持つということだ。

私の元塾生である若者たちが政治の世界へ羽ばたこうとしている、彼らの情熱と覚悟は半端なものではないことは見ていてもよく分かる。
しかしめでたく政界デビューを果たしたとしても政党再編などのパワーゲームに巻き込まれることは容易に想像できよう。
それさえチャンスと考え政策を実行できるようなたくましい政治家を目指してほしいと思っている。
協力は惜しまない大いに力になるつもりだ。

またビジネスに邁進し日本経済を支える若者へもメッセージを送りたい。
昨年は散々であったかもしれない、しかしそこをしのいだ君らならば2008年はチャンスの年と考えてほしい。

原油高・円高・サブプライムローン問題などは年を越しても本質的には変わっていないが、世界は無策ではない。
私の世界の友人たちは悲観することなく様々な策を立て初めているのだ、日本人とりわけ若者が無策であってはならない。
多くの人々が茫然自失でいるときこそ全力で駆ける必要がある。

若者達よ!正しい日本人を目指し進んでくれ。
私も愛する日本のために疾走する。


2008年元旦 オーストラリアにて 糸山英太郎


岩国市 井原勝介 とは 関係ないが

2008年01月03日 21時25分15秒 | Weblog

岩国市 井原勝介が 参考にしなければならない 「什の掟」

http://www.akina.ne.jp/~ichi/nn/jiu_no_okite_mokuji_.html

「お話の什」6歳より9歳までの子供達が「お話を致します。」と言って次の心得を誓い合いました。

1.年長者の言うことに背いてはなりませぬ。

2.年長者にはお辞儀をせねばなりませぬ。

3.うそを言うてはなりませぬ。

4.卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ。

5.弱い者をいじめてはなりませぬ。

6.戸外で物を食べてはなりませぬ。

7.戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ。

  

「ならぬことはならぬものです。」と

座長(参会者のうちの最年長者)が1つ1つ読みあげると、座員はその都度、「ハイ」と頭を下げて拝聴する。「お話」がすむと、座長は厳かに座中を見渡して「何か言うことはありませんか。」と言って、昨日から今日までの間に、「お話」に違反したものの有無を問いただします。

その時もし違反したものがあると、座長はその違反者を座の中央に呼び出して、その事実の有無をたずねます。もし事実であると、どんな制裁を加えるかを相談して、適切な制裁を加えるのでした。

制裁には次のようなものがありました。

無念……ごく軽い罰で、座長からみんなに「無念をたてなさい。」と命じ られると、みんなに向かって「無念でありました。」と言ってお辞儀をし て、心からわびをする。

しっぺい…これには掌にやるのと、甲にやるのとの2通りがある。軽いほうは掌に、重いほうは甲にやった。実施の時は座長がよく看視していて、手加減を許さなかった。

絶交(派切るともいう)……一番重い制裁であった。一度派切られると、 父なり兄なりが付き添って行き、みんなにおわびをして、解除を求めなければならない。これは、めったには実行されなかった。

手炙り……冬火鉢の上に手をかざさせる。各人が自分の指先に鼻の脂をぬり、これを被告の手にすりつけたりした。

雪埋め……冬、雪の中に埋める。

とにかく、子供心に一番恐ろしかったのは「お話し」の後の、上記の審問でした 。

 

 「遊びの什」…

「什」 は町を幾つかに、地域割りして組を作りました。このグループのことをいいます。天気が悪くない限り、お話がすむと、今度は皆戸外に出て,日没まで共に仲良 く遊びました。これが「遊びの什」です。

年長者が解散を宣言しない中は、一人で勝手に帰ってはいけません。たとえ親戚の人が遊びに来たからといっても、勝手には帰られませんでした。もし、早く帰る時は、父や兄なりが迎えにきて、許可を受けなければなりませんでした。

以上、(会津戊辰戦争……平石辨蔵著より)