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東海道五十三次之内府中と丸子

2012年05月01日 11時18分26秒 | Weblog

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2012年5月1日 No.1882  東海道五十三次之内府中と丸子

東海道五十三次之内 府中 保永堂版 安倍川  那珂川町馬頭広重美術館

江戸時代、東海道の多くの大河には橋は架けていなかった。府中宿西側の安部川も同様で、徒渡しによる渡河が行われていた。当初は西国大名から江戸を防御する為の配備であったが、後に太平の世になっても地元の経済基盤となっていたため、架橋はされず、徒渡しは存続した。

この画に描かれている女性客、三者三様の徒渡しである。。一人は平輦台に直に座り、一人は平輦台に括りつけた駕籠に乗り、一人は人足に肩車で担がれる。女性の肩車は年長者が応じたという。供らしき男性が着ている半纏の「竹」は、版元の保永堂を宣伝している。遠景の山は向きにもよるが西岸の茂山、または右岸の賤機山か。川岸には護岸用の蛇籠が見える。

東海道二十 隷書版 五十三次 府中 サントリー美術館蔵

府中宿は駿府城の城下町として発展した。隠居した徳川家康の入府に伴い城郭の大修築が諸大名に課役された際、この地に諸国からにんぷが大勢集まった。しかしながら未だ戦乱の世の殺伐とした空気が残る中、至る所で男同士の喧嘩は絶えなかった。その緩和策として設けられたのが幕府公認の遊郭である。

この画には、その遊郭安部川町の大門が描かれている。門から二丁あるので俗に二丁町ともいう。宿場のはずれにあったため、馬で行くのが便利であったらしい。『東海道中膝栗毛』にも、野次・喜多が軽尻馬で繰り出す場面が描かれている。中央の馬の腹掛けには版元を示す「丸に清」、門をくぐる女性が手にした提灯も「まる」の文字が見える。

東海道五十三次之内 保永堂版 丸子 名物茶店(初刷り) 那珂川町馬頭広重美術館蔵

東海道中最小の宿駅丸子は、芭蕉の「梅若菜丸子の宿のとろろ汁」の句で名高い。この画にはその名物とろろ汁の茶店が描かれている。立看板には「名ぶつ(物)とろ汁」張り出し窓には「お茶漬け、酒さかな(肴)」、行灯看板には「御ちゃづけ(茶漬け)」の文字が見える。

軒下の縁台には旅人二人が腰を掛ける。一人はとろろ汁であろう。丼鉢をかき込む。もう一人は銚釐と呼ばれる燗用の酒器から直に注ぎ酒。赤子を背負った女性が肴を運ぶ。この光景は、『東海道膝栗毛』の丸子のくだりを描いているというのが通説である。ただし『膝栗毛』では、店の亭主と女房が喧嘩をしてとろろ汁をぶちまけてしまい、弥次・喜多は食べずじまいであった。

東海道五十三次之内 保永堂版 鞠子 名物茶店(後刷り) 那珂川町馬頭広重美術館蔵

本シリーズの「丸子」には地名の表記を「鞠子」に変えた後摺りのものが確認されており、遺存数二おいても後摺りの方が多数を占めている。丸子と書いて「まりこ」と読むことから、当時においても鞠子の字をあてることがあったようだ。そのため初版の後、この部分だけ改刻したのだろうとされている。  

それ以外には大きな差異は認められないが、細かい点では、後摺りの方がは黒版の磨耗により線が若干太くなったため微細な描写部分が潰れていること、空の紅と地面の緑の一文字ぼかしの幅が広くなっていること、茶店の女房の前垂れ、店内の川魚、丼鉢を持つ男性の着物の色が抜けていること、空の紅徒地面の緑の一文字ぼかしの幅が広くなっていること、茶店の女房の前垂れ、店内の川魚、丼鉢を持つ男性の着物の色が抜けていること、往来を行く漁夫風の老人の綿入れに格子状の模様がないことが挙げられよう。

 

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