第三段階。空々たる世界の中を自己という”空たる主体”が空々として動くということで、いわば大悟徹底ともいうべき段階。この段階では、空々たる世界が身について、毎日、寝ても起きても空々として生活していける。しかそ、それはまだ「自分の努力」によってそうなっている。自力的な空の主体。M婦人の体験は、この段階の例として引かれている。
第四段階。いよいよ「空の世界」に入る。これまでも、空々たる世界、空々たる主体と言ってきたが、自分の意識的な努力、自力がともなっていた。この自力を手放し、おのずから生成する自己の生命そのものに帰り、空々として生成する世界に同調する。仏教も捨て禅も捨て、それまでの自分の悟りの経験もすべて捨てさる。これまで自分がよりどころとしてきたものをきれいに心からぬぐいさり、純なる生命に帰ることによってはじめて空の世界にやわらかくつつまれる。
第五段階。「見ぬく人」になる段階。つまり空の世界の中で個々の存在のリアリティを見ぬく「直観力」を身につける段階。
第六段階。これは第五段階の見方が自由にできるようになった段階。
以上である。
第四段階。いよいよ「空の世界」に入る。これまでも、空々たる世界、空々たる主体と言ってきたが、自分の意識的な努力、自力がともなっていた。この自力を手放し、おのずから生成する自己の生命そのものに帰り、空々として生成する世界に同調する。仏教も捨て禅も捨て、それまでの自分の悟りの経験もすべて捨てさる。これまで自分がよりどころとしてきたものをきれいに心からぬぐいさり、純なる生命に帰ることによってはじめて空の世界にやわらかくつつまれる。
第五段階。「見ぬく人」になる段階。つまり空の世界の中で個々の存在のリアリティを見ぬく「直観力」を身につける段階。
第六段階。これは第五段階の見方が自由にできるようになった段階。
以上である。