明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。今朝届いた賀状で感じたのは カラフルになり、気分まで楽しくなってくることだ。55通届いたが、単色は6通、残りはすべて多色カラーで、プリンター印刷など手造りは30通ほどだった。みんなゆとりがあるんだ。私は、朝から夜まで、TVの前で重箱をつつき、駅伝を楽しんだ。今、恒例のニューイヤーコンサートをのんびり聞いているが、心配事が無いでもない。今年の世界情勢はどうか?ま、これは安倍くんに任せよう。
昔からだが、年末年始のTVは適当な出来合いの番組が多いような気がする。とくに大晦日は、見る気のしない番組が多い。民放では男女のタラント(失礼)が大勢画面に現れ、大声で喚き騒ぐ。年のせいだろうか、全然興味がなく、見る気はしない。NHKだってそうだ。紅白歌合戦なんかその最たるものだ。わが家ではもう何十年も、歌合戦は見ていない。年に1度ぐらいは大騒ぎしてもいいのだろうかねえ。見る、見ないは個人の自由だが。安倍さん、「一億総白痴化」は勘弁してくださいよ。
この一年いろいろお世話になりました。28年もご指導をお願いします。
この一年いろいろお世話になりました。28年もご指導をお願いします。
暮の買い物から帰って、一服しているとお客様の声。玄関先には笑顔の男性。申し訳ないが、心当たりがない。「初めましてブログのデボンです」といわれて、あっ、あのミスター・デボンさんご本人なのだと知った。驚いたねえ。一度お会いしたいなあと思っていた矢先の出来事だ。私のブログの写真から、住所を探し出したとのこと。我が家は掃除中だが、上がっていただいてブログ談義をお伺いしたかったが、これから所用で浜松方面に行かれるというので、残念だがお別れした。
28日の慰安婦問題における日・韓両外相のご苦労には、まず敬意を表したい。しかし、合意文書が交わされていないというが本当か?。信用しないわけではないが、北朝鮮と拉致問題再調査に合意したとき、文書は交わしてなかった。北朝鮮は一向に約束を果たさない。北と韓は朝鮮民族、韓国から本件を今後蒸し返さないと言質を取ったものの心もとない。さらに慰安婦問題は中国、台湾でも再考されたいようなことをいいだした。いやだねえ、金になりそうならすぐ飛びつく国は。
慰安婦問題に決着がついた。よかったのは今後この問題を蒸し返すことはしないという言質だと思う。内容には不満がある。韓国に設置する慰安婦支援施設に、日本政府が10億円の援助をする点だ。日韓協定締結時に巨額の補償金を支払った。慰安婦支援施設の経費は当然その中に含まれているはず。2度取りだ。朝鮮民族は北と同様、かけひきに長けているとしか言いようがない。ま、10億円は手切れ金だ。日本では慰安婦問題にうんざりしている。それを思えば安いものだ。
昨年は兄の不幸で、賀状は制作しなかった。今年は制作しなくっちゃあと意気込んでいたが、「筆王」を使うことなく、1年も経つと操作を思い出せない。聞く人も無く、手さぐりでキーを叩く。それでも昨晩、何とか仕上げた。嬉しかったね。パソコン導入以前は版画だった。ご存知のとおり、1枚ずつバレンで刷る。多色だとたいへんだった。しかも、当時は枚数も多かった。今の苦労といえば、賀状に添え書きする一筆だ。文句を言っちゃあいけない。心が伝わるのはその一筆だよ。
病院で、Aさんと出会った。私より少し若い。脳梗塞で治療中と聞いていたので驚いた。病人の雰囲気がない。聞くと先日、朝飯中に視界の左半分が真っ暗になった、すぐ眼医者で診察を受けたが、目まいで立っていられなくなり、急遽救急車で県病院に入院した。診断結果が脳梗塞。幸い発病後、手当てが早かったので、一人で通院できるまでに回復したという。しかし、車はダメ。左側が見えないので、通行人とぶつかるらしい。ご本人は笑っていたが、心中はいかばかりか。
岸田外相が慰安婦問題解決に訪韓する。韓国相手の交渉は真っ正直な「日本人」では難問だ。人種の民度に格差がありすぎる。岸田外相の力量に期待しよう。慰安婦問題は朴大統領が、熱心に旗を振っているが、バックに強力な圧力団体があるのだと思う。産経新聞ソウル支局長のような目に遭うと困るので、強いことは差し控える。日韓協定締結時に日本は巨額の補償金を支払った。その中には慰安婦問題の保証も含まれると解釈される。戦争は狂気だ。韓国に正気を期待したい。
今日はやや暖かく、小春日和。秋口から苦にしていた玄関の網戸の格納作業をやっと始めた。古い網戸なので重いうえ、細かい部品もついている。作業を決心したきっかけは、昼前に100円ショップで購入した「グルーガン」。接着剤ともに300円。ちゃちなおもちゃみたいだが、これがあれば、部品を紛失する心配はないと作業を始めた。大きいビニールに包み、縄をかける。何故こんなに力が無くなったのだろうと悲しくなる。情けない。汗びっしょりで、夕方、やっと小屋に収納した。
市街地に住んでいたころ、正月になるとお隣りさんと一緒に餅を搗いた。やや食糧事情が少し良くなった時代で、毎年暮れの30日ごろ、10臼以上搗いた覚えがある。多分、高校生ぐらいだった。搗いた餅を食料不足だった時代の不満を取り返そうとばかり、腹いっぱい詰め込んだ。もっと食べたい一心で腹を減らすため、歩きまわった。浅ましいと思われるかもしれないが、空腹はつらく、いつしかそれがトラウマとなっていた。中学、高校時代でもトラウマにかかる。暮になると思い出す。