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神様を信じている人たちにとって大切 ~ 聖書

2021年10月08日 | 日記

神様を信じている人たちにとって大切

 

そうした人たちは,自分たちの保護や救いにこの特別な名前が関係していることを理解しています。
聖書はこう述べています。「エホバのみ名は強固な塔。義なる者はその中に走り込んで保護される」。
「エホバの名は強固な塔。正しい人はその中に走り込んで保護される」。
(箴言 18:10 新世界訳)
「ヱホバの名はかたき櫓(やぐら)のごとし 義者(ただしきもの)は之(これ)に走しりいりて救ひを得(う)」
(箴言 18:10 文語訳)

「エホバの名を呼び求める者はみな安全に逃れる[または,救われる」。
(ヨエル 2:32 新世界訳)
「凡(すべて)ヱホバの名なを龥(よぶ)者は救はるべし,そはヱホバの宣(のたま)ひし如(ごとく)シオンの山とヱルサレムとに救はれし者あるべければなり 其(その)遺󠄃(のこ)れる者の中(うち)にヱホバの召(めし)給(たまへ)るものあらん」。
(ヨエル 2:32  文語訳)

また聖書は,神様の名前を使うことで,どの神に仕えているかがはっきりすると述べています。
「もろもろの民は皆,それぞれ自分たちの神の名によって歩む。しかしわたしたちは,定めのない時に至るまで,まさに永久に,わたしたちの神エホバの名によって歩む」。
(ミカ 4:5 新世界訳)
一切(すべて)の民はみな各々(おのおの)その神の名なによりて步む,然(しか)れども我らはわれらの神ヱホバの名によりて永遠󠄄(とこしへ)に步まん」。
(ミカ 4:5  文語訳)

「シメオンは,神が初めて異国の人々に注意を向けて,その中からご自分の名のための民を取り出した次第を十分に話してくれました」。
(使徒 15:14 新世界訳)
「シメオン旣(すで)に神の初て異邦人を顧󠄃(かえり)み、その中(うち)より御名(みな)を負󠄅うべき民を取り給(たまえ)しことを述󠄃し」。
(使徒 15:14 文語訳)

 


名前の持つ深い意味
神様について説明している。多くの学者によれば,エホバという名前には「彼はならせる」という意味があります。
エホバ神は自分の名前について,モーセにこう説明しました。「わたしは自分がなるところのものとなる」。
『神はモーセに言った。「私は自分がなろうとするものとなる」。さらに言った。「イスラエル人にこう言うように。『私はなるという方が私をあなたたちの所に遣わした』」。
(出エジプト記 3:14 新世界訳)
神モーセにいいたまいけるは我(われ)は有(あり)て在(ある)者なり又󠄂いいたまいけるは汝(なんぢ)かくイスラエルの子孫にいうべし我有(われあり)という者,我われを汝(なんぢ)らに遣󠄃(つかわし)たまうと」。
(出エジプト記 3:14 文語訳)

この名前には,万物を存在させた創造者という意味だけでなく,自分自身や創造物をどんなものにでも変化させて目的を果たすことができる方という意味があります。
神様の立場や権威や権力は称号で表わせますが,神様のすべてを正確に表現できるのはエホバという名前だけです。

わたしたちに関心を抱いている。神様の名前の意味を知ると,人間や他の創造物をずっと気遣っておられることが分かります。
神様の愛ある関心がなければ,創造物すべては存在し続けることができないからです。そして何よりも,神様は自分の名前を知ってほしいと願い,それを知らせてくださいました。
わたしたちが尋ねる前から自己紹介してくださっていたのです。ですから,自分を遠い存在ではなく,身近に感じてほしいと思っています。
「私にとって,神に近づくのは良いことだ。私は,主権者である主エホバのもとに避難した。その方の行い全てを知らせるために」。
(詩編 73:28 新世界訳)
「神にちかづき奉(まつる)は我(われ)によきことなり,われは主ヱホバを避󠄃所󠄃(さけどころ)としてそのもろもろの事跡(みわざ)をのべつたへん」。
(詩編 73:28 文語訳)

名前を使うことは親しくなりたいという気持ちの表われ。
例えば,友達になりたい人に「名前で呼んでほしい」と言うとします。でも,いつまでたってもそうしてくれなかったら,どう感じますか。

「友達になりたくないのだろうか」と感じるかもしれません。神様も同じです。エホバはわたしたちに自分の名前を教え,その名前を使うことを望んでいます。
そうするなら,エホバと親しくなることができます。エホバは「み名を思う[または,大切にする]者たち」に目を留めてくださるのです。
「その時,エホバを畏れる人たちが仲間と語り合っていた。エホバはじっと耳を傾けていた。エホバを畏れる人と神の名について思い巡らす人のために,神の前で記録の書が記された」。
(マラキ 3:16 新世界訳)
「その時ときヱホバをおそるる者互いに相(あい)かたりヱホバ耳をかたむけてこれを聽ききたまへり,またヱホバを畏(おそれ)る者およびその名を記憶(おぼゆ)る者のためにヱホバの前󠄃に記念(おぼえ)の書をかきしるせり」。
(マラキ 3:16 文語訳)


神様に始まりはありますか
このような疑問を多くの人が抱いてきました。あなたもそうかもしれません。宇宙やその中のすべてのものに始まりがあるなら,神様にも始まりがあるのでしょうか。

多くの科学者たちは宇宙に始まりがあると考えています。聖書もこの言葉で始まっています。
「初めに神は天と地を創造された」。
(創世記 1:1 新世界訳)
「元始(はじめ)に神天地を創造󠄃(つくり)たまへり」。
(創世記 1:1 文語訳)


宇宙が,何もないところから偶然に生まれることはありません。原因のないところに結果は存在しないのです。もし宇宙が始まる前に何もなければ,宇宙は存在していなかったでしょう。
完全に理解するのは難しいですが,宇宙の始まりにはすべてを超越した存在が必要でした。エホバ神は無限の力と知恵を持った,目に見えない存在です。
「神は目に見えない方であり,神を崇拝する人は聖なる力と真理に導かれて崇拝しなければなりません」。
(ヨハネ 4:24 新世界訳)
「神は靈(れい)なれば、拜(はい)する者も靈(れい)と眞(まこと)とをもて拜(はい)すべきなり」。
(ヨハネ 4:24 文語訳)

聖書は神様についてこう述べています。
「山々が生まれる前から,また,あなたが地と産出的な土地を産みの苦しみによるかのように生み出される前から,実に,定めのない時から定めのない時に至るまで,あなたは神です」。
(詩編 90:2 新世界訳)
「山いまだ生(なり)いでず汝(なんぢ)いまだ地と世界とをつくりたまはざりしとき,永遠󠄄とこしへよりとこしへまでなんぢは神かみなり」。
(詩編 90:2 文語訳)

神様は常に存在してきました。そして,聖書で言う「初め」の時に宇宙を造りました。
「エホバ,わたしたちの神よ,あなたは栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方です。あなたはすべてのものを創造し,あなたのご意志によってすべてのものは存在し,創造されたからです」。
(啓示・黙示録 4:11 新世界訳)
「我らの主なる神よ、榮光と尊崇と能力とを,受け給(たま)うは宜(うべ)なり。汝は萬物(ばんぶつ)を造りたまひ、萬物は御意(みこころ)によりて存(そん)し、かつ造られたり」。
(啓示・黙示録 4:11 文語訳)