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アガペー/神の愛・不朽の愛:無限にして無償~聖書

2020年07月05日 | 日記

 

「アガペー/神の愛・不朽の愛」

無限にして無償


愛がクリスチャンにとって不可欠な特質であるのはなぜでしょうか。
第一に,イエスが追随者たちに,愛し合うようお命じになったからです。
イエスは,「わたしが命令していることを行なうなら,あなた方はわたしの友です。わたしがこれらのことを命じるのは,あなた方が互いに愛し合うためです」と言っておられるのです。
(ヨハネ 15:14,17)

第二に,神は愛を体現しておられ,神を崇拝するわたしたちはその方を見倣うべきだからです。
「それゆえ,愛される子供として,神を見倣う者となりなさい」。
(エフェソス・エペソ 5:1)
「それでわたしたち自身,神がわたしたちの場合に抱いておられる愛を知るようになり,それを信じたのです。神は愛であり,愛にとどまっている者は神とずっと結ばれており,
神はその者とずっと結びついておられます」。

(ヨハネ第一 4:16)

神(ヤハウェ,エホバ)とイエスについての知識を取り入れることは永遠の命を意味する,と聖書は述べています。
もし神に似た者になろうとしないとしたら,どうして神を知っていると言えるでしょうか。
使徒ヨハネはこう論じました。
「愛さない者は神を知るようになっていません。神は愛だからです」。
(ヨハネ第一 4:8)

 

愛が重要である第三の理由は,生活の様々な面の平衡を取る助けになり,自分の行ないの良い動機づけにもなる,という点です。
一例を挙げましょう。
神の言葉についての知識を取り入れ続けることは極めて重要です。
クリスチャンにとって,そのような知識は食物のようです。これは,円熟へと成長するのに,また神のご意志にかなった行ないをするのに役立ちます。
「また,幼い時から聖なる書物に親しんできたことを知っているのです。その聖なる書物はあなたを賢くし,キリスト・イエスに関する信仰によって救いに至らせることができます。
聖書全体は神の霊感を受けたもので,教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに有益です」。

(テモテ第二 3:15,16)

しかし,パウロは警告として,知識は人を思い上がらせるのに対し,愛は人を築き上げますと述べました。
(コリント第一 8:1)

 

もちろん,正確な知識に悪いところはありません。問題はわたしたちにあります。わたしたちには罪深い傾向があるのです。
『主は宥めの香りをかいで,御心に言われた。「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは,幼いときから悪いのだ。わたしは,この度したように生き物をことごとく打つことは,二度とすまい」』。
(創世記 8:21)

もし平衡を取らせる愛の影響力がないなら,知識を得たことで思い上がり,自分は他の人たちより優れていると考える可能性があります。
基本的に愛が動機となっていれば,そのようなことは生じません。
「愛は辛抱強く,愛は親切です,それはねたみません。愛は誇ることがなく,思い上がることもありません」のです。
(コリント第一 13:4)

 

愛に動機づけられているクリスチャンは,奥深い知識を得たとしても,誇りません。
愛を抱いていれば,謙遜さを保つことができ,自分の名を揚げようという気にはなりません。
「神(ヤハウェ,エホバ)は高い所におられますが,それでも,謙遜な者をご覧になるからです。しかし高ぶった者については,ただ遠くから知っておられるにすぎません」。
(詩編 138:6)

 

『しかし,神が与えてくださる過分のご親切はそれに勝るのです。ですから,こう述べられています。「神はごう慢な者に敵し,謙遜な者に過分のご親切を施される」』。
(ヤコブ 4:6)

 

 

 

                     

2017-08-09の補記