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聖書の音信、日々のニュース関連を書いています。

苦難の多い世界で希望を見いだす~聖書

2020年04月26日 | 日記

 

私は,エホバの証人ではありませんが,時々,
エホバの証人より配布いただいてる,「目ざめよ」誌・「ものみの塔」誌,パンフレット等より引用の記事もあります。
(どこの宗教,宗派にも属していません)
*いろんな宗教にも交わりました(立正佼成会,創価学会,キリスト教のカトリック,プロテスタント等)
その中で,聖書に忠実に教えてるのは,エホバの証人と思います。

*私が用いる聖句は,新世界訳,新共同訳,新改訳,口語訳,回復訳(新約聖書のみ)


《苦難の多い世界で希望を見いだす》

アメリカの元大統領ビル・クリントンは,2006年3月にカナダのオタワで開かれた会議の席上で,こう語りました。
「一般市民は,歴史上どの時代にもまして,公共の利益を図り,日常的な問題を解決する上で大きな力を持つようになった」。
クリントンはさらに,2004年に生じた津波以来,国家間の善意の輪が広がったと結論し,将来をやや楽観して,今や世界は「かつてない相互依存の時代を迎えた」と述べました。

しかし,自然災害によって世界各地の人々がより良い将来のために一致して努力する,と期待してよいのでしょうか。
「かつてない相互依存」を確かな根拠として,将来に真の平和と永続的な安全が実現するという希望を持てるのでしょうか。


「真の希望の源」

これまで6,000年余りも続いてきた人間の営みは,人間が互いを絶えず失望させてきたことを示しています。
ですから,霊感を受けて書き記された聖書が,
「高貴な者にも,地の人の子にも信頼を置いてはならない。彼らに救いはない」と述べているのは当然のことです。
(詩編 146:3)

この世の組織や物質的な事柄,この世が提供する夢に希望を置いても,失望に至るだけです。なぜでしょうか。
「世は過ぎ去りつつあり,その欲望も同じ」だからです。
(ヨハネ第一 2:17)

しかし神はこれまで何世紀にもわたり,義なる者たちの確かな希望となってこられました。
書はを,「古代イスラエルの望み」「イスラエルの父祖たちの望み」と呼んでいます。
聖書には,神に対する希望と信頼と確信の表明されている箇所がたくさんあります。

「イスラエルの希望,苦難の時の救い主よ,なぜあなたはこの土地でよそ者のように振る舞っているのですか。なぜ一夜を過ごすためだけに立ち寄った旅人のようなのですか」。
(エレミヤ 14:8)
「イスラエルの希望である神(ヤハウェ,エホバ),あなたを捨てる人は皆,恥をかきます。背教してあなたから離れる人たちは,土に書かれた文字のように消え去ります。生きた水の源である神を捨てたからです」。
(エレミヤ 17:13)
「彼らを見つける者たちは皆,彼らをむさぼり食い,敵たちは言った。『われわれに罪はない。彼らが神(ヤハウェ,エホバ)に対して罪を犯したのだ。正しさの源であり,
父祖たちが希望を抱いて待った神(ヤハウェ,エホバ)に対して,罪を犯したのだ』」。

(エレミヤ  50:7)

実際,聖書はわたしたちに,「神(ヤハウェ,エホバ)を待ち望む」よう勧めています。
「主(神)を待ち望め,強く,かつ雄々しくあれ。主(神)を待ち望め」。
(詩編 27:14)

箴言 3章5,6節はこう命じています。
「心をつくして神(ヤハウェ,エホバ)に依り頼め。自分の理解に頼ってはならない。あなたのすべての道において神を認めよ。そうすれば,神ご自身があなたの道筋をまっすぐにしてくださる」。

そのような約束に絶対的な確信を抱ける理由は十分にあります。神は変わることがなく,信頼でき,約束を果たす方だからです。

「まことに,主(神)であるわたしは変わることがない。あなたたちヤコブの子らにも終わりはない」。
(マラキ 3:6)
「良い贈り物,完全な贈り物は全て,天から,光の父から来ます。父は移り変わる影のように変化したりはしません」。
(ヤコブ 1:17)

神はあなたにとって最善の事柄を望んでおられます。ですから,み言葉 聖書に常に注意を払うなら,不安なことの多いこの時代を切り抜けるための導きが得られます。
「イスラエルの聖なる神,あなたを贖う主(神)はこう言われる。わたしは主,あなたの神,わたしはあなたを教えて力をもたせ,あなたを導いて道を行かせる。わたしの戒めに耳を傾けるなら,
あなたの平和は大河のように,恵みは海の波のようになる」。

(イザヤ 48:17,18)

神の導きに心から従う人は,次の約束に頼ることができます。
「恐れてはならない。わたしはあなたと共にいるからである。周りを見回すな。わたしはあなたの神だからである。わたしはあなたを強くする。わたしはあなたを本当に助ける。
わたしはわたしの義の右手であなたを本当にしっかりととらえておく」。

(イザヤ 41:10)

 

本当に神様を愛する人たちにとって,真剣な祈りをささげつつ,この保証の言葉を黙想することは,大きな慰めになります。

困難な状況や心配事に対処する助けが得られるからです。