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《福島の現実ー福岡百子の声》 2019年7月7日 福岡百子

2019年07月07日 | 日記

下記、記事はブログ管理者の愛和さんの許可をいただき転載しています。
福島の現実を知ってほしいです「福岡百子の声  福島の現実」


                                                                                                           《福島の現実ー福岡百子の声》
                                                                                                              2019年7月7日     福岡百子

 

 


昨年、台風7号と梅雨による集中豪雨で甚大な被害に遭った 北海道 、中部地方、西日本 に9000人以上、
今なお避難生活をしておりますのに、今年も又鹿児島に集中豪雨災害がありました。

今も鹿児島、宮崎、熊本の3県に避難指示勧告が出ており、3県の196万人超の方が不安にさらされています。
皆様方に支援の手が及びます様に、1日も早く安心した生活が出来ますように、ご支援を宜しくお願い申し上げます。



さて、今日も「福島の今」をお伝えさせていただきます。

*来年始まるオリンピックの出発拠点となる、聖火ランナーは、広野町のサッカー場( Jビレッジ)から出発します。 
この場所は昔は山でした。第1原発に働きに行く人は、ここで防御服に着替えて第1原発に出向いて行った所との事です。
第1原発に出向く拠点、そこが今は聖火ランナーの拠点、復興の拠点となりました。
福島原発被災者方は全く復興していないのに、国から放置された状態なのに復興したと世界に発信して、原発は無かった事にしたい日本政府。 
これで良いのでしょうか? 複雑な心境ですね。




*福島原発被災者のほとんどが、農家だった人が多いです。
特に山村地帯の方々は風雪に耐え、山菜や川魚を食し、食費も生活全般に、お金がかからない質素な生活をしていました。 
現金収入が少い為、又病気になるなど年金を納め切れなかった人も居られます。その為に今、年金の金額が2万円という人もいました。

お金が無くて困って居られました。当然かと思います。災害前は自分で野菜を作るなど、食費にほとんどお金がかかりませんでしたが、
災害後の8年間の仮設生活で4畳半の狭い部屋に居た為、運動不足となり、農業から離れていた為に、体が悪くなり、幾つもの病気を抱え、農業の仕事が出来なくなった人が多いです。 
また8年過ぎた今では皆様が75歳~90歳の高齢者が多く、ほとんどの方が農業も出来なくなってました。自宅の農機具も8年間の間に、錆ついてしまい、使えなくなりました。

もう自分で農業は出来ません。自分が食べる野菜さえ作ることか出来くなってました。
国はこういう被災者に救いの手を差しのべて欲しいです。生活保護は家、土地が有れば適用外となります。何とか救う方法はないでしょうか?


*「夫が鬱病になりました」こういう知らせが多いです。女性でも鬱病の方は居られますが、男性の方に鬱病になられた方が多いです。 
仮設で自治会長としてバリバリしてた方だったのに。何故?と思うことが多いです。話を聞くと、「先祖代々の土地が汚染土(フレコンバック)の置き場になった。」と言う人が多いです。

「我が家の農地が一生使えない」 「先祖様に申し訳ない」 「我が家の放射線量が高くて、寝泊まりが出来なくなった」鬱病にかかった方に慰める言葉はありません。

黙って心の痛みに心を合わせるのみです。生きる力を天に願うのみです。



*1人の被災者の手紙をご紹介致します。
「こんにちわ、ご無沙汰致しております。私も山形に縁があり家を建て落ち着いたと思った矢先、主人が鬱になり大変でした。 お陰様で良くなりましたが、国が避難解除をしたので、
浪江に帰ると言い出し、私は山形にも慣れ友達も出来てホッとしてたので反対しても言うことを聞きません。 仕方ないので復興住宅に応募したら当選してしまい帰ることになりました。 
私としては複雑な気持ちですが、これも私の運命と思い、前向きに進むしかありません。3・11以来自分の人生が劇的に変わって、不安も有りましたが、その時々に助けてくれる人がいたり、
自分なりに出来る事を一歩ずつやって来たら今日という日まで来れました。  この先も焦らず自分らしく回りに振り回されずに、自然に生きて行きたいと思います。 
主人は自分の生まれ育った町に帰れるとウキウキしていますが、昔の浪江ではありませんので私はそんな気分にはなれません。でも夫が楽しく毎日過ごせればいいと思います。  
国は復興は進んで原発も大丈夫だと住民を返す方向です。原発は安全と言えず、若い人、子供達は帰りません。現状の町は元の町ではありません。そんな中でも光はあるはずなので、
それを見つけたいです。やっぱりふる里は好きです」



*浪江の自宅に帰ったけれど、回りに知人、友達も居ない、猪が出て、店も何も無い不便な所に1人帰った奥さんの言葉です。
「小さい犬を飼いました。人と会わなくても我が家にいるだけで違う。やっぱり浪江はいいな~。生まれ育った所なので、気分が違う。 
娘の旦那、鬱病になった。そして離婚してしまった。現状を知ると大変な事がある。この震災は何だったろうね。」


あまりにも福島原発被災者の現状はあらゆる面で酷過ぎ、此の世での地獄の様に感じます。少しでも救いの手は無いものでしょうか?
どうか国は、被災者の悲しみを自分の悲しみとして、痛みを分かち合う日本となりますように。