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科学的な正確さ ~聖書

2020年09月10日 | 日記

科学的な正確さ

 

現代,科学は飛躍的に進歩しています。その結果,古い学説が次々と新たな学説に置き換えられてきました。
かつて事実として受け入れられていた事柄が今では俗説とみなされることもあります科学の教科書にはしばしば改訂が必要です。

 

聖書は科学の教科書ではありません。しかし,科学的な事柄に関して,聖書が述べている事柄だけでなく,述べていない事柄も注目に値します。

 

非科学的な考えはない。
古代には,多くの間違った事柄が広く信じられていました。地球は平らだとか,何らかのしっかりとした物の上に載っているなどと考えられていました。

病気の伝染と予防を科学者が理解するようになるまでの長い間,医師たちは,効き目がなく時には命を奪いかねない治療を行なっていました。

一方,聖書の1,100以上の章のどこにも,非科学的な考えや有害な行為を支持する箇所は全くありません。

 

科学的に確かな記述。

今から3,500年ほど前に聖書は,地は「無の上に」掛かっていると述べていました。

「神は北の空を何もない所に広げ,地球を空間に浮かせている」。
(ヨブ 26:7)

西暦前8世紀にイザヤは,「地の円[または球]」と,はっきり述べました。

地の円の上に住む方がおられ,地に住む者たちは,ばったのようである。その方は天を目の細かい薄織りのように張り伸ばしておられ,それをその中に住むための天幕のように広げ」
(イザヤ 40:22)

 

丸い地球が何の支えもなく空間に浮かんでいる ― この説明は驚くほど現代的ではないでしょうか。

 

聖書の最初の五つの書にはモーセの律法が含まれています。西暦前1,500年ごろに書き記されたその律法には,病人の隔離,死体の扱い方,排泄物の処理に関する適切な規定が収められていました。

『神(エホバ,ヤハウェ)は続けてモーセとアロンに言った。「人の皮膚に腫れ物やかさぶたや斑点ができ,重い皮膚病かもしれない場合,その人を祭司アロンか,祭司であるアロンの子たちの1人の所に連れていかなければならない。祭司は皮膚の患部を診る。患部の毛が白くなっていて,見た目からして皮膚の下まで及んでいるなら,重い皮膚病である。祭司は患部を診て,その人のことを汚れていると宣言する。しかし,斑点が白く,見た目からして皮膚の下まで及んでおらず,毛が白くなっていないなら,祭司は患者を7日間隔離する。祭司は7日目にその患者を診る。患部が元のままで,広がっていないようなら,もう7日間隔離する」。
(レビ記 13:1~5)
 

『主(神)はモーセとアロンに告げて仰せられた。「主(神)が命じて仰せられたおしえの定めは,こうである。イスラエル人に言い,傷がなく,まだくびきの置かれたことのない,完全な赤い雌牛をあなたのところに 引いて来させよ。あなたがたはそれを祭司エルアザルに渡せ。彼はそれを宿営の外に引き出し,彼の前でほふれ。祭司エルアザルは指でその血を取り,会見の天幕の正面に向かってこの血を七たび振りかけよ。その雌牛は彼の目の前で焼け。その皮,肉,血をその汚物とともに焼かなければならない。祭司は杉の木と,ヒソプと,緋色の糸を取り,それを雌牛の焼けている中に投げ入れる。祭司は,その衣服を洗い,そのからだに水を浴びよ。その後,宿営にはいることができる。しかしその祭司は夕方まで汚れる。それを焼いた者も,その衣服を水で洗い,からだに水を浴びなければならない。しかし彼も夕方まで汚れる。身のきよい人がその雌牛の灰を集め,宿営の外のきよい所に置き,イスラエル人の会衆のため,汚れをきよめる水を作るために,それを保存しておく。これは罪 のきよめのためである。この雌牛の灰を集めた者も,その衣服を洗う。彼は夕方まで汚れる。これは,イスラエル人にも,あなたがたの間の在留異国人にも永遠のおきてとなる。どのような人の死体にでも触れる者は,七日間,汚れる。その者は三日目と七日目に,汚れをきよめる水で罪の身をきよめ,きよくならなければならない。三日目と七日目に罪の身をきよめないなら,きよくなることはできない。すべて死んだ人の遺体に触れ,罪の身をきよめない者はだれでも,主(神)の幕屋を汚す。その者はイスラエルから断ち切られる。その者は,汚れをきよめる水が振りかけられていないので,汚れており,その汚れがなお,その者にあるからである』。
(民数記 19:1~13)

用具類に小べらを含めておき,外でしゃがむ時にはそれで穴を掘り,後で排せつ物を覆うべきです。あなたの神(エホバ,ヤハウェ)は,あなたを救い出して敵をあなたに渡すために,あなたの陣営の中を歩き回っているからです。陣営は聖なる状態でなければなりません。神が見苦しいものを見て,あなたに伴うのをやめて引き返してしまわないためです」。
(申命記 23:13,14)

科学者たちは,強力な望遠鏡による観測などに基づいて,宇宙は突如“誕生”したと考えるようになりました。この説の“含み”が気に入らない科学者もいます。ある教授はこう述べました。
「宇宙に始まりがあったのであれば,その第一原因がどうしても必要に思われる。十分な原因なくしてそのような結果が生じることは想像できないからだ」。
とはいえ,望遠鏡が発明されるよりずっと前に,聖書冒頭の言葉は簡明にこう述べていました。
「初めに神は天と地を創造された」。
(創世記 1:1)


聖書は非常に古い本であり,様々な分野について論じていますが,科学的に不正確なところは一つもありません。

そのような本は,少なくとも研究の対象とする価値があるのではないでしょうか。