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1914年何がありましたか Ⅰ 聖書

2020年07月21日 | 日記

福音書が4つあるのはなぜか
神がイエスの地上での生涯と教えについて4人の人に書かせたのはなぜだろうと思うかもしれません。複数の書がイエスの言葉や活動を記録していることには利点があります。
例えば,有名な教師の周りに4人の人がいるとしましょう。
教師の前にいるのは,税務署の人(マタイ)です。右側には医師(ルカ)が,左側にはこの教師の親しい友人である漁師(ヨハネ)がいます。
教師の後ろにいるのは,4人の中で一番若い人(マルコ)です。4人とも正直で,その人なりの視点を持っていて,興味を抱くポイントもさまざまです。
それぞれが教師の言葉と活動を書き記すなら,詳しく書く点や取り上げる出来事は違っているでしょう。
観点の違いを意識しながらその4人が書いたものを読むなら,教師が話したことや行動の全体像をより正確に把握できます。
ですから,素晴らしい教師であるイエスの地上での生涯について4つの記述を読めることには,確かに利点があります。

もう少し考えてみましょう。
税務署の人(マタイ)は,ユダヤ人の心に響く内容にしたいと思い,教師の教えや出来事をユダヤ人に分かりやすいようにまとめます。
医師(ルカ)は,病気の人や手足の不自由な人が癒やされた出来事を強調します。
それで,税務署の人が書いている事柄を省いたり,税務署の人とは違う順番で記したりします。
教師の親しい友人(ヨハネ)は,教師の気持ちや人柄をメインに描写します。一番若い人(マルコ)の記述は,さらに簡潔で明快です。
このように違いはありますが,内容は正確です。4福音書を読むなら,私たちはイエスの活動や教えや人柄をよく知ることができます。

 

 

【1914年,何がありましたか】




今日,私たちが「終わりの日」

生活してることを何が示していますか


聖書は,この重大な期間をしるしづける出来事や状況を述べています。

その「しるし」は,数多くの証拠からなる複合的な「しるし」です。 

したがって,
「しるし」が成就するには,「しるし」のすべての面が一世代の間に,明白に現れていなければなりません。

その「しるし」の様々な面は,マタイ書24.25章,マルコ書13章及びルカ書21章に記載されており,テモテ第二書3章1~5節,ペテロ書第二 3章3.4節,及び黙示録・啓示の書 6章1~8節に,
記されています。

 

マタイ書 24章(24:1~24:51)

さて,イエスが神殿から去っていく時に,弟子たちが近づいてきて神殿の建物を指し示した。
それでイエスは言った。「この全てを見ているのですか。はっきり言いますが,石がこのまま石の上に残って崩されないでいることは決してありません」。
イエスがオリーブ山の上で座っていると,弟子たちが自分たちだけで近づいてきて,言った。「教えてください。そのようなことはいつあるのでしょうか。あなたの臨在と体制の終結のしるしは何ですか」。そこでイエスは言った。「誰にも惑わされないように気を付けなさい。私の名を使う人が多く現れ,『私がキリストだ』と言って多くの人を惑わすからです。 
あなたたちは戦争の音や戦争の知らせを聞きます。動揺しないようにしなさい。これらのことは必ず起きますが,終わりはまだなのです。国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がり,
あちらこちらで食糧不足や地震があります。これら全ては苦しみの激痛の始まり
です。
その時,あなたたちは苦難を味わい,殺されます。私の名のために全ての国の人々から憎まれます。
またその時,多くの人が信仰を捨て,互いに裏切り,憎み合います。
多くの偽預言者が現れ,多くの人を惑わします。不法なことが増えるために,大半の人の愛が冷えます。しかし,
終わりまで耐え忍んだ人が救われます。
そして,王国の良い知らせは,全ての国の人々が聞けるように世界中で伝えられます。それから終わりが来ます。

ですから,荒廃をもたらす極めて不快なものが,預言者ダニエルが語った通り,聖なる場所に立っているのを見掛けるなら(読者は識別力を働かせなさい), 
その時,ユダヤにいる人は山に逃げ始めなさい。屋上にいる人は,家から物を持ち出そうとして下りてはならず, 畑にいる人は,外衣を取りに帰ってはなりません。 
その期間,妊娠している女性と赤ん坊に乳を飲ませている人にとっては悲惨なことになります! 逃げるのが冬や安息日にならないように祈っていなさい。 
その時,世界の始めから今まで起きたことがなく,いえ,二度と起きないような大患難があるからです。 実際,その期間が短くされないとすれば,誰も救われないでしょう。
しかし,選ばれた者たちのために,その期間は短くされます。その時,『見なさい,ここにキリストがいる』とか,『そこに!』とか言う人がいても,信じてはなりません。 
偽キリストや偽預言者が現れ,できれば選ばれた者たちをさえ惑わそうとして,大きな奇跡や不思議なことを行うからです。私はあらかじめ警告しているのです。 
ですから,人々が,『見なさい,彼は荒野にいる』と言っても,出ていってはなりません。『見なさい,奥の部屋にいる』と言っても,信じてはなりません。 

人の子(イエス)の臨在は,東から出て西に輝き渡る稲妻のようだからです。 どこでも死骸のある所にはワシが集まります。その期間の患難のすぐ後に,太陽は暗くなり,月は光らず,
星は天から落ち,天の力は揺り動かされます。
その時,人の子のしるしが天に現れます。そして,地上の全ての民族は胸をたたいて悲しみ,人の子が力と大きな栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見ます。そして人の子は,大きなラッパの音と共に天使たちを遣わし,天使たちは,四方から,天の果てから果てまで,選ばれた者たちを集めます。

イチジクの木の例えから学びなさい。若枝が柔らかくなって葉を出すと,すぐに,夏が近いことが分かります。同じように,これら全てを見たら,人の子が近づいて戸口にいることを知りなさい。 
はっきり言いますが,これら全てが起きるまで,この世代は決して過ぎ去りません。天と地は過ぎ去りますが,私の言葉は決して過ぎ去りません。その日と時刻については誰も知りません。
天使たちも子も知らず,父だけが知っています。人の子の臨在の時はちょうどノアの時代のようになります。 洪水前のその時代,ノアが箱船に入る日まで,人々は食べたり飲んだり,
結婚したりしていました。
そして,洪水が来て全ての人を流し去るまで注意しませんでした。人の子の臨在の時もそのようになります。 その時,2人の男性が畑にいて,一方は連れていかれ,
他方は捨てられます。
2人の女性がひき臼を回していて,一方は連れていかれ,他方は捨てられます。それで,ずっと見張っていなさい。主がどの日に来るかを知らないからです。しかし,
1つのことを知っておきなさい。
家の主人は,泥棒がどの夜警時に来るかを知っていたなら,目を覚ましていて,家に押し入らせはしなかったでしょうですから,あなたたちも,
用意ができていることを示しなさい。人の子は予期しない時刻に来るからです。
主人が,召し使いたちに適切な時に食物を与えるため,彼らの上に任命した忠実で思慮深い奴隷はいったい誰でしょうか。主人が来て,そうしているところを見るなら,その奴隷は幸せです! はっきり言いますが,主人は自分の全ての持ち物を管理させるためにその奴隷を任命します。しかし,
もしその奴隷が邪悪で,『主人は遅れている』と心の中で言い,仲間の奴隷たちをたたいて,酔っぱらいたちと共に食べたり飲んだりし始めるなら,
その奴隷の主人は,奴隷が予期していない日,
思ってもいない時刻に来て,最も厳しく彼を罰し,偽善者たちと一緒にならせます。奴隷はそこで泣き悲しんだり歯ぎしりしたりします。


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