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間もなく病気や死はなくなる! ~ 聖書

2021年08月06日 | 日記

間もなく病気や死はなくなる!


だれもすき好んで病気になっているわけではありませんし,死にたいとは思いません。医療社会学の一教授はこう述べています。
「長寿の追求は,歴史を通じてほとんどの社会で行なわれていたと言ってよいようだ。それは,自己保存という本質的な衝動と関係がある。……非常に有名なポンセ・デ・レオンも,長寿の探求に一生をささげた大勢の人々の中の一人に過ぎない。医学の大半は病気や死との闘いによって寿命を延ばすことを目的としている」。

友人や家族の死に直面するとき,わたしたちは心の奥で余りにも深い苦しみを味わうため,ほとんど無意識のうちにその衝撃を和らげようとします。「世界の葬儀習慣」という本はこう述べています。
「どれほど原始的な集団でも,どれほど文明の進んだ集団でも,自分たちの裁量でできる範囲の葬儀を行なわずに仲間の死体を処分することはない。……そのようにして人の深層にある共通の衝動が満たされる。葬儀を執り行なうことは“正しい”ことに思え,葬儀を行なわないことは,家族のきずな,感情的なきずな,一緒に暮らしたり同じ経験をしたりしたことから生じるきずななど,様々なきずなで結ばれた親しい人々にとって特に,“間違った”こと,不自然な省略,謝罪すべき事柄,恥ずべき事柄に思える。……人間は儀式を行なって死者を葬る生き物である」。


病気と死の起源

ですから,病気や死がいつの日かなくなるという考えは人々に強く訴えるものがあります。しかし,それを信じてもよい根拠がありますか。確かにあります。
しかも,それは道理にかなっていて,信頼でき,絶対に確実な根拠です。その根拠とは,創造者の霊感による言葉,つまり聖書です。

聖書は人間の不幸の始まりをはっきりと説明しています。聖書によると,最初の人間アダムは神によって創造され,中東のどこかの場所にあった楽園のような住まいに置かれました。
アダムは完全な人間として創造されたので,病気や死を知りませんでした。やがてアダムに,同じく完全な妻が加わり,二人は共に地上でとこしえに生きる見込みを持っていました。

『神である主は人を取ってエデンの園に置き,そこを耕し,守るようにされた。神である主は人に命じて仰せになった,「お前は園にあるどの木の実を食べてもよい。しかし,善悪を知る木の実は食べてはならない。それを食べると,必ず死ぬ」』。
(創世記 2:15~17)

『そこで神である主は人を深く眠 らせ,眠っている間にそのあばら骨の一つを取り,その所を肉でふさがれた。神である主は人から取ったあば ら骨を一人の女に造りあげ,人の所に連れてこられた。すると人は言った,「これこそ,わたしの骨からの骨,わたしの肉からの肉。男から取られたのだから,これを女と名づけよう」。それ故,男は父母を離れて,妻に結ばれ,二人は一体となる』。
(創世記 2:21~24)

この牧歌的な状態は長くは続きませんでした。なぜでしょうか。アダムが利己的な態度をとり,神から独立した生き方を選んだからです。そのため,過酷な労働,苦痛,病気,そして最後には死という結果を招きました。

『アダムにはこう言った。「あなたが妻の言ったことに従い,『食べてはならない』と私が命じた木の実を食べたので,あなたのせいで地面は災いを被った。それであなたは,地面から食物を得るために生涯ずっと苦労する。 
地面にはいばらとアザミが生え,あなたは野の草木を食べなければならない。 あなたは額に汗して食物を得,やがて地面に戻る。そこから取られたからだ。あなたは土なので土に戻るのである」』。
(創世記 3:17~19)

アダムの子孫は,アダムが選んだ不幸な生活を受け継ぎました。ローマ 5章12節は,「一人の人を通して罪が世に入り,罪を通して死が入り,こうして死が,すべての人が罪をおかしたがゆえにすべての人に広がった」と説明しています。またローマ 8章22節は,「わたしたちが知るとおり,創造物すべては今に至るまで共にうめき,共に苦痛を抱いているのです」とも述べています。

 

地上で,それとも天で?

しかし聖書は,神が従順な人類のために,アダムとエバが失った幸せな状態を間もなく回復してくださることを保証しています。
啓示・黙示録 21章3節と4節にはこうあります。
「神みずから彼らと共におられるであろう。また神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死はなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」。


昔の預言者も同様に,『「わたしは病気だ」と言う居住者がいなくなる』時を予見しました。

『「私は病気だ」と言う住民はいなくなる。その土地に住む人々は過ちを許される』。
(イザヤ 33:24)

病院も遺体安置所も墓もない世界を想像できますか。苦痛や死さえ恐れずに,いつまでも生き続けることを想像できますか。そうです,神の約束はわたしたちすべての心の奥にある感情を揺さぶります。
とはいえ,このすばらしい見込みが,天ではなく,わたしたちの地球に対する見込みであると断言できるのはなぜでしょうか。先ほど取り上げた聖書の言葉の文脈に注目しましょう。
啓示・黙示録 21章の最初のほうの節は,「新しい天と新しい地」について述べています。神が人と共にいて,彼らは神の民となる,とはっきり書いてあります。だれも病気にならないというイザヤ書の約束の後には,「その地に住んでいる民」が「自分のとがを赦され」ているとあります。

ですから,勇気を与えるこうした約束は,地上での生活に関するものなのです。しかも,それらの約束は,イエスがみ父にささげられた,「あなたのご意志が天におけると同じように,地上においてもなされますように」という祈りとも調和します。
「あなたの王国が来ますように。あなたの望まれることが,天と同じように地上でも行われますように」。
(マタイ 6:10)