ムネオの厠

ほぼ後期高齢者の平凡なブログですぅ・・。

§102 エベレストへ(3)・・!

2005-07-09 19:39:45 | 旅行記

mt_everest 昨夜のカジノでの勝利に気分も上々で、朝、ニタリ顔で5時起床でございます。^^)     

今日はいよいよルクラ(Lukla)へ出発でございます。

ルクラに飛ぶ飛行機の天候や順番の都合で、朝7時には空港に行かなければならず、朝食は5時半に食堂に集合でございます。

朝食を済まし、不要な荷物はホテルに預けまして、トレッキングで必要な物だけをバッグに入れましてトリヴヴァン国際空港へと向かったのでございます。

空港に7時に到着したのですが、どうもルクラの天候が悪いらしく、中々我々のフライトの順番が来ません。

結局、7時に空港に着いたのですが、出発したのは午前10時でございまして、3時間も待たされたのでございます。

hikouki ルクラへの飛行機は、Yeti Airwaysの15人乗りのプロペラ機で、カトマンズからルクラまでは35のフライトでございます。

この飛行機に限っては窓側がベストでございます。ヒマラヤの山々がすぐ目の前に迫ってまいりまして、それはもう絶景でございます。

Luklaairport <ルクラ>Lukla標高2,827m         

ルクラはエベレスト街道の玄関口でございます。ダートの滑走路が山に向かって斜に延び、飛行場の周りには大勢の見物客や、ポーター達が飛行機の離発着に歓声をあげて、送迎してくれるのでございます。

Lukla01 Lukla02

ルクラに到着しますと、サーダー(シェルパのリーダー)と同行するポーターやコックと合流いたしまして、先ずは屋外で昼食でございます。

食事は野菜中心のヘルシーメニューでございまして、一週間ほどは美味しく食べられたのですが、やっぱりだんだんと飽きるというか、これが美味しくなくなるのでございます。^^;)

トレッキング初日は、昼食の後、ルクラからパクディンまでの約2時間ほどの下りコースでございますが、途中の休憩やら、足慣らしと言う事もあって、4時間ほどの行程でございます。

    Lukla04        Lukla05          滑走路の上端部に密集したロッジやバッティ(茶屋)、土産物屋の間を抜けまして、 メンダン(マニ石の長い壁)のある村外れから段々畑、石積み家といった山村風景が広がるのでございます。                   

<バクディン>Phakding標高2,652m     

バクディンには夕方4時頃到着しまして、最初のテント泊です。テントの設営もトイレの準備も全てポーターがやってくれまして、我々は荷物を自分のテントに入れて、夕食の準備が出来るまでのんびりと景色を眺めたり、写真を撮ったりして時間を過ごします。

バクディンでは、トレッカーを狙ったドロボーも多いらしいので、ポーターが一晩中ランプを点けて警戒しておりました。

パクディンから松や杉の樹林帯を歩きまして、しばらく川沿いに登って行きまして、何度か吊り橋も渡り、トクト(Tokuto)、チュモア(Chumoa)と進み、その先にモンジョ(Monjo)でトレッキング・パーミットのチェックを受けることになりました。

トレッキング許可証は、6,000m以下の山の通行税みたいなものでして、一週間で5$で我々は12日間なので10$だったと思います。     

6,000mを超えると登山として認定され、税金がメッチャクチャ高くなるようでございます。

( ゜∀℃( `Д´)マヂデスカ!?

<ナムチェバザール>Namche Bazar標高3,440m                  3日目は高度順応の為に、ナムチェバザールに2泊滞在でございます。何だかやけにノンビリした旅になりそうでございます。

この写真はやっとナムチェバザールの村に到着した時の写真です。              

    Namche02                  ホテルエベレストヴューのテラスで、同行者と コーヒーを飲んでいるところです。このホテルは確か、日本人が経営しているはずです。

ナムチェの近くのシャンボチェまでは飛行機で来れますので、お金持ちと時間の無い人は一気に上がって来ることが出来ます。 

    Namche03                  サーダー(シェルパ頭)のアウヌーン氏は、実に優秀なガイドで、日本のエベレスト遠征隊にも参加したシェルパで、少しは日本語も出来るし、英語が出来るガイドでもあります。エベレストには8回遠征し、1回だけ登頂したことがあるそうです。

ヒマラヤトレッキングは、とにかくマタ~リとゆっくりゆっくりと時速で2km/h以下ぐらいで登って行きます。

日本の山では考えられないぐらいのスローペースでございます。

トレッキングに参加する方は、やはり素人の山好きが多いですし、お年寄りの方も多いので高山病に対して十分に配慮してのことでございます。

途中で脱落者が出ますともう大変なのでございます・・。

毎日、夕食の後、血液中の酸素濃度を測定しまして、参加者の体調をツアーリーダーのO原氏がチェックしてくれます。

私は高度順応も早いようで、まったく異常はありませんでした。

翌日、1日中休養日でございますが、全員で3,800mまで高度順応のトレーニングとして登り、午後はナムチェの村を独りで見学です。(富士山は3,776mですから、既に富士を越えました)ヽ(´ー`)ノ

<タンボチェ>Tyangboche標高3,867m

Tyangboche01 4日目はナムチェバザールからタンボチェへ約6時間の行程です。タンボチェにはゴンパ(僧院)がございまして、我々はキャンプサイトにテントの準備が出来た後、全員で見学に出掛けたのでございます。

私は、日本である年配の女性に頼まれまして、日本酒の小さな瓶を日本からタンボチェに運んでまいりました。

このタンボチェには加藤保男と小林利明の慰霊碑がございまして、加藤保男氏の知り合いの方に是非、慰霊塔に好きだった日本酒を捧げて欲しいと頼まれていたのでございます。

私は約束どおり、慰霊塔に日本酒をかけてまいりました。

加藤保男氏はヨーロッパ・アルプス三大北壁の登攀及び、エベレストへ三度の登頂を果たした世界的クライマーなのです。

また、優れた山岳写真も沢山残しています。

そして彼が有名になったのは、実績も凄いのですが、凍傷の為、両足指全部と第1関節から先の右手中指・薬指・小指を切断したにもかかわらず、更に登山家として活躍されたのでございます。

昭和55年(1980)、中国側よりチョモランマ(エベレスト)に再度登頂。昭和57年(1982)12月厳冬期のチョモランマに東西稜から登頂を果たしましたが、下山途中遭難、行方不明となりました。

私が地元のある飲み屋さんに出入りしておりまして、そこのママさんが2回ほどヒマラヤへ行ったことがある方なのでございます。

又、生前の加藤保男氏と知り合いだったそうでございます。

いよいよ4,000mを超える頃になりますと、高山病の影響が出始めたのでございます。

先ず、山岳部OBのOさんが、タンボチェで遂に脱落でございます。

ポーターが1人付き添ってナムチェまで戻ることになりました。

果たして、何人が目的地であるカラパタール(5,545m)まで行けるのか・・?

そして意気揚々のムネオは最後まで登ったのか?

あの血のにじむようなトレーニング?は効果があったのか?w

乞うご期待ということで、ひとまずオシマイでございます・・。w

                          続く・・。(多分w)

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