毎日のようにテレビで放映されている新人議員の研修会の模様を見ていますと、私は新入社員時代を思い出してしまいました・・。w
昭和47年(1972)4月、私は東京に本社がある中堅の某建設会社に就職したのでございます・・。
もう33年も前になりますが、何故か私は未だにその当時の事を鮮明に覚えていますね・・。w
3月25日の卒業式に出席した後、御殿場にある建設大学校へ、新入社員の研修会に出席したのでございます。
同期生は約200人ほどいましたが、新入社員の研修会は、前日から既に始まっておりました。
しかし、私は大学の卒業式に出席したかった為に、研修には1日遅れで参加したのでございます。
(私だけじゃなくて今日からの参加者大勢いましたけど。w)
1週間の日程は建設大学校で、社会人としての心得やら、会社の社歴、会社の組織なのど説明を役員から受けたり、何故か土嚢運びをやらされたり、班毎に測量の実習などをやらされたのでございます・・。
(富士山麓30km行軍も予定されていましたが雨で中止に。w)
それが終りますと、今度は茅ヶ崎のチサンホテルで又、1週間の職種別の研修会がありました・・。w
私は、建設会社の中でもマイノリティーの設備工学を専攻していたものですから、同じ職種の同期生は2名でございました。
我々のクラスには、本社から講師として、主任クラスが講義に来るのですが、それがもの凄くいい加減な講師でございまして、緊張している我々に対して、開口一番、
「君たちは麻雀できるの・・?ニタッ」
でございました・・。w
"( ゜,_ゝ゜)バカジャネーノ"
結局、この麻雀キチガイの不真面目な主任さんは、数年後、会社を辞めていきましたね・・。w
(自分で工事会社を作るためでしたが・・。w)
4月10日の創立記念日に合わせて2週間の新人教育の研修会も終了しまして、配属が決定したのでございます・・。w
私が最初に配属され、辞令をもらったのは、東京支店の建築部設備課でございました。
最初からこの部署に配属されるのは分かっていましたが、やっぱり東京で働けるのでホッとしたものでございます・・。w
この部署は課長が37歳で、主任クラスが30代前半で数名、その他の社員は20代ばかりでしたから楽しかったですね・・。w
毎日、遅くまで残業して先輩たちの仕事を手伝うのですが、8時頃になりますと、3年先輩のI本さんが言い出します・・。w
「そろそろ止めて行こうかぁ?」と・・。
会社の前からタクシーを拾いまして、行く先は新宿でございます。
それもいきなり、キャバレーでございます・・。w
(´∀`*)ウフフ
オイルショック前のゼネコンは、最も良き時代でございまして、もう下請け業者とは癒着だらけでございます・・。w
新宿のキャバレーに行きますと、ちゃんと下請けの営業マンが先に待っているのでございます・・。w
毎晩のようにキャバレーへご接待でございます・・。
新宿が多かったんですが、昔ながらのグランドキャバレーで、バンドが入っていてダンスをしたり、有名人のショーがあったり、昭和の良き時代の名残を2年だけ味わえました・・。
(昭和49年のオイルショックでガラッと様相が変わりましたが。w)
下請け業者が居ない時は、もちろん業者へ付け回しです。w
その頃は、30代でも相当羽振りが良かったですねぇ・・。😅
新入社員でも下請け業者からは、チヤホヤされまして、社会人になったんだなぁ?と実感したものでございます・・。w
あのまま土建業界として、下請け業者と元請の癒着構造が続いていたら、何人かは勘違い人間になってしまい、犯罪でも犯しそうでございます・・。w
オイルショックがきっかけで、どこのゼネコンも構造改革になったのでございます・・。(多分・・。w)
ゼネコンは何かと悪徳業者のように見られる事がありますが、ほとんどの社員は大真面目でございまして、日夜、必死に技術向上、品質保持に真剣に取り組んでいます・・。
(世の中にはいい加減な会社も当然ありますが。w)
これだけは、元ゼネコン出身者として、断言出来ますね・・。w
政治の世界でも議員に当選してセンセー、センセーって呼ばれてチヤホヤされますと、やっぱり勘違い人間が出てまいりまして、税金の無駄遣いをやらかしたり、汚職をしちゃうのでございます。w
今回の新人議員さんたちも、初心を忘れずに、一生懸命勉強して、国民の為に働いて欲しいのでございます・・。w
楽しそうですねえ。
古きよき時代。。。。。。。。
オイルショック前は本当にゼネコンの良き時代だったと思いますよ・・。w
現場の所長を張れば、ローンを組まずに30代で家が建つと言われていましたし、40代の大所長は運転手付きのベンツで会社に来ていましたからね・・。w
今のゼネコンから比べると信じられないぐらいの、いい加減さと言うか、デタラメぶりだったと思いますね。w
でも、全員がデタラメとは言いませんよ。真面目な人も沢山いましたが、その気になればあんな事やこんな事が出来ちゃう時代だったようですね・・。w
そのもっと前にも、有名ブランドのお店へ私を連れて行き店員さんに「上から下まで揃えてくれ」と言ったこともありました。
若手社員を何人も引き連れて横浜まで車を飛ばして飲みに行くのが常で、帰りはそれぞれにタクシーチケットを配る。。。私が見たゼネコンの良き時代です。
(ちなみに誕生日の前後3日間はナニもありませんでしたよ。ホントです。チョット怪しかったですが)
いくら所長でも自分の給料じゃそんなことは無理ですね・・。w
会社の金や下請けとの癒着が無いと出来ない大盤振舞いですなぁ・・。w
私は自慢じゃぁありませんが、そういうことは一度もしていませんよ・・。多分?w
後輩や先輩に奢ったのはあくまでもバイト代からですよ・・。w