朝6時に大阪を出て和歌山に向かった。
今回は海側の和歌山と大阪の境の大川峠を越えて、加太経由、和歌浦のコースだった。
30号線を抜けて、砂川の手前を山側に入らず、旧道を通った。
途中同行者とはぐれて、その人は関空が出来てから整備された道を通り途中合流出来たけど
その間私は昔の紀州街道の町並みが残る狭いローカルの道を通り、小学生の頃、父と車でこのへん走ったなーとか、思い出していた。
和泉砂川から鳥取に抜ける道を京都の人に説明するのはかったるくて、箱作で集合と言う事で好きに走った。
集合地点前に私が追い付き合流した。
そのあたりからは海が見えかくれしながら走れる道で深日のロータリーを過ぎ、小島儀漁港に入り、海岸線、いよいよ大川峠のトンネル越えだった。
昔バイク(エンジン付き)で夜中に走った大川峠の道は入り口、出口をトンネルの出入りの時に確認し、懐かしかった。
小島から加太に続く海岸線はきれいだった。
海を見るとすっきりする。
市内を少し走り、和歌浦についた。
漁港にある魚のおいしいごはんやさんでたくさんのお魚とビールを飲んだ。
走行距離は100キロだった。
今回は海側の和歌山と大阪の境の大川峠を越えて、加太経由、和歌浦のコースだった。
30号線を抜けて、砂川の手前を山側に入らず、旧道を通った。
途中同行者とはぐれて、その人は関空が出来てから整備された道を通り途中合流出来たけど
その間私は昔の紀州街道の町並みが残る狭いローカルの道を通り、小学生の頃、父と車でこのへん走ったなーとか、思い出していた。
和泉砂川から鳥取に抜ける道を京都の人に説明するのはかったるくて、箱作で集合と言う事で好きに走った。
集合地点前に私が追い付き合流した。
そのあたりからは海が見えかくれしながら走れる道で深日のロータリーを過ぎ、小島儀漁港に入り、海岸線、いよいよ大川峠のトンネル越えだった。
昔バイク(エンジン付き)で夜中に走った大川峠の道は入り口、出口をトンネルの出入りの時に確認し、懐かしかった。
小島から加太に続く海岸線はきれいだった。
海を見るとすっきりする。
市内を少し走り、和歌浦についた。
漁港にある魚のおいしいごはんやさんでたくさんのお魚とビールを飲んだ。
走行距離は100キロだった。