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いのっちのブルースは絆

ブルースハープを吹きながら歌う「いのっち!」のブログです。音楽と関わりながら家族や友人達と楽しむ日々を綴ります。

ライブスケジュール

1月17日(土)13:00~14:00 新潟ジャズストリート          ふくわうち滋烈亭◆新潟市中央区西堀通3番町258       TEL025-229-6700                         料金◆1,000円(フリーチケット)

東京日記3その3・北村先生のこと

2006-04-14 02:38:20 | ともだち

 明けて8日の午後、町田から蕨へ。学生時代の友人である北村先生宅に伺う。昨日の朝から携帯に見捨てられた僕は、桜散る時候に似合わない薄ら寒い風にあおられながら、蕨駅前の公衆電話で彼の携帯に留守電を入れ、ドトールで一息入れる。暫くして彼がやってきた。「いやいやど~も。」と懐かしい京都弁。彼は同じ学年でひとつ年上。飄々として騒がず、仙人のような風貌から先生と呼ばれた。大学の新入生オリエンテーリングで隣り合わせたのが彼。正真正銘最初の学友である。学生時代から口髭と顎鬚がトレードマークだったが、随分白いものが混じって、ますます世事を超越した宗教家のような顔付きになっている。だからと言って、実のところ深刻なところがあまりない。温厚そのものの性格で、学生時代は傲慢でうぬぼれの強い若輩者達の良き緩衝役だった。

Pict0006  彼のマンションに着くと、まず先に僕の床の準備。いつものゲストルームが様々な凧で溢れていて、その片付けから始める。彼は人知れず凧の収集家なっていたのだ。仕事でタイに赴任していた頃、現地の知り合いに誘われて凧揚げを始めたと言う。それ以来数々の凧を集め、帰国してからも沖縄まで行って凧揚げに興じたりしている。趣味とは恐ろしいもので、各々の部屋には見たこともないデザインの凧が飾られている。今片付けている凧の山は、仕事先で凧博覧会を開いた時の展示品だそうな。まー、凄いもんですなぁ。まさに凧博士。ここまできたら死ぬまでやったんさい。準備が整うと「これで、酔っ払って帰ってもすぐ寝られますぅ。」と、はんなりおっしゃる。

 家を出て向かったのは、最近先生が開拓した焼き鳥屋。「えいっ、いらっしゃいー!」店頭で兄さんが鳥を焼いている。遠慮の無い煙と香ばしい匂いに誘われて店内へ。引き戸はどこを空けてもいきなりカウンターと言う具合で、客入りを確認して空いたところから入っいく。うなぎの寝床のような極端に細長い店内に、大蛇が店一杯にとぐろを巻いたようなカウンター。内側の狭い厨房の中を、店員が舞台の袖から袖に駆け回る役者のように動いている。客席の背中は人が一人やっと通れる程の隙間しかない。タバコのヤニと焼き物の煙に燻されて渋く変色した柱と壁。タールのような汚れでこっぺこぺになった招き猫、頭上の梁から一枚一枚ぶら下がったお品書きは、しょっぱく焼けている。んー、このしみったれた塩梅がええなぁ。庶民の社交場ですわぁ。こんなところにぷらっと寄らはる先生も、随分おっさんが板についてきはりましたんやねぇ。そん昔、新宿西口のしょんべん横丁で、酎ハイ飲んじぁ酔っ払って騒いだ頃の勢い思い出しますなぁ。そんな具合に学生時代に戻って盛り上がりましたんや。って変な関西弁。

 北村先生は仕事場の傍にあるひなびた定食屋の話を始める。そこの女将の聞くも涙の物語。食えない役者夫婦と出来の良い息子の人間模様なんだけど、いつの間にか学生時代に観たお芝居の話にすり替わってしまった。実は先生、僕のお芝居の師匠でもある。とは言っても観る側の方だけど。渋谷公園通りにあったジァンジァン、新宿シアター365、千石三百人劇場、新宿紀伊國屋ホール、渋谷パルコ西武劇場、六本木俳優座劇場などいろんなところに連れて行ってくれたものだ。もともと先生は、京都のさる貿易商のご子息だったかな?小さな頃からおばあちゃんに連れられて歌舞伎見物をしていたという。そんな具合で凧にはまる以前から根っからの芝居狂い。東京の大学を選んだのも観劇のためだって。おかげさまで僕は、あっという間に引きずり込まれてしまった。Shntk 別役実にこだわった現代劇センターやグループ・ナックにはじまり、寺山修司の天井桟敷、唐十郎の状況劇場(出演・根津甚八ほか)、東 由多加の東京キッド(柴田恭兵、坪田直子)、出口典雄のシェイクスピア・シアター(佐野史郎)、「熱海殺人事件」のつかこうへい事務所(加藤健一)、作家の安部公房スタジオ(山口果林)、清水邦夫の木冬社(清水綋治、吉行和子)、気鋭の演劇集団円(橋爪功)、イヨネスコの「授業」にこだわった中村伸郎、そして数多の無名のアマチュア劇団。東北の田舎育ちの僕にとって、それは想像を超えた刺激だった。受験戦争に疲れ、安穏と卒業単位を取るためだけに、枯れ木のような年老いた教授たちのカビ臭い講義を聞いている生活。そのすぐ外側に、驚くべき躍動感に溢れた情熱的ステージがあった。唐突に「役者になりたい!」と野望を抱いたりもしたが、生来の臆病がそれをさせなかった・・・。何か観るたびに、喜んだり、怒ったりしている僕の心を知ってかしらずか北村先生、いつまでたっても飽きもせず、せっせと芝居見物。そして「よかったですねぇ」「おもしろかったなぁ」と例の京なまりでほのぼの感じ入っている。それはまるで数寄屋造りの茶室で、床の間の四季折々にあつらえた掛け軸や花を楽しみながら、抹茶でも頂くような、そんな風流な姿。師匠!風の吹くままケ・セラ・セラでやすなぁ。

 学生時代からユニークな行動をとった先生。入学早々「日本あんみつ党」を旗揚げしてひとり甘味どころで悦に入り、当時早くも嫌煙運動を展開し、KMI(けむい)通信という怪しげな新聞を刊行。自分の物好きを追及し、他人のわがままをやんわりたしなめた。ある時はタバコの煙だけ出てくる自販機の発明のほら話、またあるときは、新幹線のトイレの前に張り込んで、洗面所で手を洗わない人の統計、なぜかNHKドラマ「おしん」の撲滅運動だったり、水戸黄門の印籠と銭形平次の寛永通宝についての考察だったり・・・。当時の僕の日記にこんなくだりがあった、「・・・新宿での待ち合わせに北村が遅れ・・・いつものように、ニコニコと、"実はロンドンで買い物をしていたら、あっという間にアラブの宮殿が現れて、捕らえられてしまって、デブッチョの大様に危うく食べられるところだった。という夢をみていて、つい遅くなりました"とまったく彼らしい・・・」なんともすっとんきょうな先生。ひょっとすると、未だに夢の中を徘徊しているのかもしれない。

 授業をサボってばかりで単位がとれず、留年の挙句に父が急に亡くなって実家に戻ってしまった僕が、なんとか卒業できたのは、大学院で教授と懇意にしていた北村先生の口添えのお陰だった。先生本当に感謝しています。これからもその不思議な雰囲気をかもしつつ、せいぜい長生きしていただいて、浮世の移り変わりを面白おかしく批評してくださいな。


たいこや・アッキー!

2006-03-30 17:07:49 | ともだち

Pict0007_edited  遅くなったけど、先週ドラムのアッキーのお誕生会にお呼ばれした。相変わらずチョーわかり易い人で、愉しい宴席に好きな仲間と一緒にいたいのだ。仲間の一人に加えていただいて光栄であります。行ってみれば旧知のバンドつながりが沢山集まっていてお久しぶりでした。僕は無精ひげのままだらしない姿で行ってしまったので、なかば貸切状態のにぎやかな店内に少し面食らってしまった。殆どが、以前駅前にあったMaxwell Streetで出会った気の置けない面々。みんなとは12月のバードランド以来だったので、懐かしかった。中にはそれ以前からご無沙汰の方もいたので、来てみるもんだなぁとしみじみ思う。

 それにしても、彼とはもう10年来の付き合いで、バンド仲間としてはDEEP BLUEのメンバーと同じくらい古い。Pict0001_edited 最初に会ったのは駅前のBar VACANCY。のちにこのお店の閉店パーティーでも共演することになるのだ。当時の彼は、一番の目立ちたがり屋で、そのいでたちはいつも衆目を集めていた。世間を賑したカリスマ美容師を先取りするように、インパクトのあるファッションと気さくな性格で女性に大人気の美容師。街の情報誌の美容師紹介のコーナーには、ハサミならぬドラムスティックを持って得意満面な顔で載るようなお茶目さもある。早々に僕たちがマスターの宮沢さんを巻き込んで新しいバンドを始めた頃から仲良くなった。そして記念すべきラストワルツでのライヴ。お互いにそれぞれのバンドで出演。Black Musicをこよなく愛するアッキーが率いるのはスーパー・キャブという、主にブルース・ブラザースをカバーする総勢7、8人のR&B集団。かっこよかったねぇ。転勤していった半田さんや新ちゃんがホーンセクションまでやってた。そのハイレベルなテクニックと爆発的音圧に僕等は圧倒されてしまった。そして最後に全員で奏ったセッションは感動ものでした。全50席のお店に100人近い観客がつめかけて、立ち見で聴いてくれたあのライヴの熱気を今でも忘れない。あとになってアッキーが、僕達が演奏したレイボーンのチック・タックが「原曲より良かった」と褒めてくれたのには、感激だったなぁ。その後アルチスタでのマルチプレーヤー半田さんの送別会で、アッキーのドラムをバックに「ドック・オブ・ザ・ベイ」などのR&Bの名曲を歌った。あれも素晴らしい機会でとても楽しかった。あの時のソウル・メイツというユニットには今のDEEP BLUEのメンバーもいたんだよね。

 その後清水さんのMaxが開店すると、毎夜熱いセッションを繰り広げ、アッキーはおもにウィル・バンド、僕はDEEP BLUEとブルヒスのメンバーとして活動していくことになる。彼は珍しく歌うドラマーで、ライヴでは決して黙っちゃあいない。房之助バージョンで唄う"Same Old Blues"はいいよぉ。何時だったか、夕ちゃんが海外旅行中だったウィル・バンドにテナーの清美くんとスポット参加して、ジョン・レノンのメモリアルイベントで盛り上がったことがあった。そのユニットは"パワー・ステーション"。案の定清美くんのテナーはエネルギー炸裂で、テンションが異常につり上がった。そして僕が唄ったのは"Power To The People"と"Cold Turkey"。両方とも憧れの曲だったけど、特に"Cold Turky"のラストのジャンキーの壮絶なうめき声は一生出来ないと思っていた。気持ちよかったー。そして忘れられないのは、大御所古川、川名両氏と結成したオーバー・ロード。始まりは古川さんの「ポール・ロジャース好きかい?」だった。僕はその言葉でやられてしまった。そして居合わせたアッキーと三人で、今は亡きピエロの爺さんの所へ行って、1970年のワイト島ミュージック・フェスティバルの映像を見ながらフリーの雄姿に大喜びしたものだ。"シラフの"古川さんのギターは、本当に研ぎ澄まされていて鳥肌が立った。川名さんのひねり出すベース音も玄人はだしで思わず唸ってしまった。アッキーも持ち前の感の良さであわせてきた。僕はひたすら絶叫した。いい経験になった。振り返ってみると、アッキーの晴れ姿は数え切れないけど、僕が一番かっこいいと思ったのは、実はあのTAD三浦さんのステージ。押し殺した飾り気のないなかに凄みがあり、絶妙なための利いたドラム。元来の力強い派手なドラムもいいが、あん時はほんとに渋かったよぉ。

 今、アッキーは"Trippin' Out"という大好きな甘茶系のソウルバンドを率いて意気揚々としている。甘茶系といっても彼は、気取り屋のハウスも意味不明なラップも受け付けない。直球のソ・ウ・ルや!まさに一本気な竹を割ったような気質で、小田原育ちのやんちゃ坊主。良くも悪くも嘘がつけない。そんなところが僕と気の会うところなんだろう。今年もお互いのバンドで定禅寺に出る予定だ。くんずほぐれつ男同士の押しくら饅頭。いつまでも、よき仲間、よきライバルでいましょう。

 ところで、宴会後のアッキーというと、毎度のように気持ちよさそうに飲いつぶれて、母親の如き恭子ちゃんに支えられながらご帰還。最近めっきりオヤジが板について仕様が無い。でもなんかとっても幸せそうなんだなぁ。


悠馬くん!

2006-03-01 15:42:23 | ともだち

Pict0001  またもや赤ちゃん特集。ここのところ僕は、なんだかおせっかいな親戚のおばさんか、孫の顔を見るのが楽しみなおじいちゃんのようです。昨日、ツーリング仲間であり音楽仲間である論子さんの2人目の出産祝いに行って来た。論と書いてトキと読む。珍しい名前。思えば最初に出会ったのは「太陽」というライヴ・バーだった。僕が今のバンドのメンバーの湯浅くんに連れて行かれて、生まれて初めて生演奏で唄ったお店。トキちゃんはドラムを習っていました。あの頃はバンド演奏できるところなんか殆ど無くって、貴重な場所だった。10年以上前のこと。DEEP BLUE誕生のきっかけだねぇ。何年か後にトキちゃんがツーリング・チームに入ってくれて、裏磐梯に遊びに行ったことがあった。あの時、彼女の中古のホンダGBクラブマンがひきつけを起こして、ガソリンが漏れ出しちゃって、みんなで大慌てしたんだ。僕なんかどうしたら良いかわかんなくっておろおろしてたら、「スローハンド」のマスターやってた水沼さんがすっ飛んできて、あっという間に直しちゃった。普段寡黙なのに、いざというとき頼りになる。男らしー。僕なんかいつもおしゃべりで調子のいい事言って、肝心なときに役立たずだもんなー、情けねー。そんな出来事を知ってか知らずか、そん時の不機嫌クラブマンが錆付いて玄関の前におかれていました。なんか捨てられないのよねー。僕のGB400とおんなじです。ちよっと胸が痛みます。

 写真の中で抱かれているのが悠馬くん。かっこいい名前です。僕らの世代はみんな平凡な名前で、思い当たるところでは漫画の主人公の「星飛馬」ぐらいですかね(古いねー)。悠馬くんはまだ2ヵ月なのに、しっかり首が据わっていて、抱っこしてもびくともしません。頑丈な男前になりそうです。お母さんに寄り添ってピースしているのは楓果(ふうか)ちゃん。愛嬌のある可愛い子です。会った瞬間に「こんにちわー!」と元気にご挨拶してくれました。前に見たときはまだ生まれたばかりの赤ちゃんだったのに、もう一昨日で3歳になったそうな。お誕生日プレゼントの赤ちゃん人形やキャラクターの自転車を自慢げに見せびらかしてくれた。もうすっかり女の子で、お母さんの真似をして悠馬くんの面倒を見たがるおしゃまさんであります。あたりまえの話だけど、子供って生まれたときから男の子は男らしく、女の子は女の子らしいんだよなぁ。誰も教えないのに、ヒーローに憧れてとび蹴りしたり、お人形の着せ替えしたりする。遺伝子の力はすごいです。トキちゃんと四方山話をしながら、楓果ちゃんに誘われるがままに、ままごと遊びのお相手。気がついたら2時間も経っていた。そういえば子供の頃、妹のままごと遊びに付き合わされて、仕事から帰ってくるお父さん役になって「ただいまー。」なんて言ったり、砂をよそったご飯や、泥水のコーヒーを「どうぞ。」と出されて、「いただきまーす。」とやってたなぁ。遠い記憶が40数年ぶりによみがえってしまった。なんだか照れくさいね。

 帰りがけに、楓果ちゃんが「また遊ぼーねー!」と手を振ってくれた。もうすっかり友達になっちゃった。相変わらず僕はなついてもらえる年齢が低いのだなぁ。トキちゃんも忙しそうで幸せそうです。そのうちみんなで息抜きしましょう。


湧介くん!

2006-02-22 15:59:37 | ともだち

Pict0002_2  今日、遅ればせながらユキちゃんに出産祝いを届けた。抱っこされているのが、湧介くん。お利口そうな男の子だ。先月、久しぶりにバイクチームVACANCYの仲間が集まった折、お祝いをすることになり、一番暇な僕が代表して行ったのだ。母子ともにすこぶる健康、大変幸せそうでありました。    

 10年ほど前、BarVACANCYで出会った頃、ユキちゃんはまだ子供のように可愛らしかったのにねぇ。もうお母さんになっちゃって。僕なんかどんどんお爺さんになってくね。あの頃、宮澤さんになついて、よくお店に来てた。三春の娘さんで素朴で純粋、朗らかで妹のように思えた。バンドを始めた僕達に向かって、「何でもやりますから、入れてください。」と言って律儀に頭を下げたのを覚えている。何せ思いっきりへなちょこ揃いだったので、こちらの方が恐縮してしまった。練習も本当にまじめに取り組んでいた。「スイート・メモリー」、「上を向いて歩こう」、"You're So Vain"なんかを唄ってもらったね。当時の譜面を探してみたら"Loving Foot~恋する右足、左足"というのも出てきたけど、どんな曲だったかな。声量があるほうでは無かったので、練習中ちょっと厳しくしてしまった。ゴメンね。ツーリングでは、いつもたくましいオフロード・スタイル。幹事をやってくれたときの三春ダム近辺のワインディング・ロードは、なかなかの穴場で気持ちよかったよ。飲み会では、大して飲まないのに、結構大胆発言してたなぁ。大島くんなんかケチョンケチョンにやられてた。みんなそれを見るのが面白くて、いつも大笑い。本当に愉快だったなー。

 しばらくは子育てに専念するのでしょうけど、少し手が離れたらまたみんなでバーベキューでもやりましょう。きっと女性陣は、こぞって子連れで来るんだろうな。今からとても楽しみです。


マキッポ来たる!

2006-02-13 17:59:31 | ともだち

 11日のライヴではもうひとつのサプライズがあった。東京から中央線の歌姫キャンディ宮原(ちょっとつくり過ぎ?)ことマキッポが遊びに来てくれたのだ。郡山駅前の車止めで待っていると、小柄な女の娘がダウンのポケットに両手を突っ込んで近づいてきた。アップにした髪をてっぺんで留め、後れ毛が風に揺れている。懐かしい姿、相変わらず水森亜土の描く少女(ちょっと古い?)みたいにキュート。マキッポである。「いのっちー!」「黒磯で30分ホームのベンチで待ったのー、寒かったー。」「機車でずうーっとお菓子を食べてたー。」「窓から観てたらどこまでも山と畑と田んぼばっかりだったー。」(日野もけっこう山じゃない?)聞けばなんと在来線を乗り継いで、5時間かけてたどり着いたと言う。そんなことを試したやつが今までいただろうか?日野を出発して中央線で西国分寺、武蔵野線に乗り換えて武蔵浦和、そして埼京線で大宮、さらに宇都宮線で宇都宮、東北線で黒磯、黒磯から郡山。ほとほとおそれいりました。車内は一気に盛り上がり、お店へ。ゲストとしてステージにも立ってほしかったので、音出しで軽く打ち合わせる。僕らの持ちネタでもあるAl right, OKay,You Winで遊んでもらうことにした。マキッポは、High Heal Sneakerのネタで、居眠りをしてしまう僕をアイコンタクトの合図で起こしたり、Al right, OKay,ではアドリブで歌った上に僕のHarpにスキャットで絡んでくれたりと、とっても無邪気にこなしてくれた。楽しかったねー。おかげでステージに可愛い花が咲きました。それにしても、次からのライブでまたむさいおっさん達だけに戻るのが怖いなぁ。演奏後、しばらくお客さんと歓談してお店を後に。彼女の胃袋がスタート前に出してもらった焼きうどんをとっくに消化してしまったらしく「お腹が空いたぁ。」というので、駅前のラストワルツへ。深夜にふたりでフルサイズのピザを2枚平らげてしまった。小柄なのに気持ちが良いくらいたくさん食べるんだけど、僕みたいに太ることがない。羨ましい。そのうちにセキハンも合流し、朝方の5時ごろまでわいわいやってしまった。彼女は、素朴で人の良い仲間達と、郡山のなまりとイントネーションがいたく気に入ったらしく、ケラケラといつまでも喜んでいた。僕が酔ってしまったので、帰りの運転はマキッポに代わってもらった。「えーっ、いいのぉーっ。」彼女は車庫入れで自宅と車を大破させた前科があるらしいが、飲んで気が大きくなっていた僕は気にしない。とにかくバックさえしなければ良いのだ。雨も降らないのに、度々ワイパーを動かしては慌てているのを見て、思わず笑ってしまった(僕の車はフランス車でワイパーとウインカーが逆についているのだ)。家に着いて駐車場に入れる時だけはさすがに僕が代わった。

 翌日、11時頃に僕が起き出すと、マキッポはもううとっくに起きてさっぱりしていた。亡くなった僕の父親が残していった「のらくろ」(戦中の子供向け人気漫画)の復刻版を読んでいたと言う。お昼になったので近所の東茶寮でゆっくりご飯を食る。「なんかずうーっと食べてるよね。」と彼女が笑った。3時間近く話し込んだ。遅くなるので駅まで送って、ビッグアイの展望台に上ったり、お土産を探したりした。「またみんなに会いたいな。」と彼女は名残惜しんだ。長距離バスを待つ数分間、どうしてか互いの口数が減った。バスが到着すると、彼女はとっとこ乗り込んで窓際に座った。ガラスの向こうで子供のように一生懸命手を振っている。そうしてバスが発車した。マキッポ!今度は東京で会おう。それまで元気でね。さようなら・・・。バスが見えなくなって、冷たい北風が吹きつけた。ちょっぴりセンチな気分になった。

Pict0025_1 メンバーの皆さん、セキハン、和泉!また会いたいってさ。そう、僕もまた会いたい。月末にでも行こうか。なんて、もう東京行きの算段をしている始末。彼女が置いていったバレンタイン・クッキーをほおばる。ありがたや。http://www.crazyjam.com/