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いのっちのブルースは絆

ブルースハープを吹きながら歌う「いのっち!」のブログです。音楽と関わりながら家族や友人達と楽しむ日々を綴ります。

ライブスケジュール

1月17日(土)13:00~14:00 新潟ジャズストリート          ふくわうち滋烈亭◆新潟市中央区西堀通3番町258       TEL025-229-6700                         料金◆1,000円(フリーチケット)

ドクトル浅沼のこと

2006-02-04 12:14:13 | ともだち

 1日、2日と東京出張だった。初日は一日中強い雨で足元がずぶ濡れになってしまった。よりによって履いていってしまった皮底の靴。不覚。翌日郡山に帰ったら雪。駅前の暖かなネオンに誘われてラストワルツに寄り道。カウンターの止まり木に止まって疲れを癒す。穏やかな物腰の店主の和泉、スタッフのマリちゃんの優しい笑顔。こういうときにこそありがたい(ちょっと宣伝しちゃいました)。いつものように、一杯目のビールから後はライム抜きのラムソーダ。よもやま話の果てにほろ酔い気分で帰宅。家の玄関の前は雪にすっぽり埋もれていた。雪かきなんぞしたら、せっかく出来上がった良い心持に冷水を浴びせるようなものだから、見ぬふりして就寝。それからそのままこもりっきりのだらしなさ。11月の紅葉美しい頃、一念発起して毎朝颯爽と一時間ウォーキングしていたのが嘘のよう。12月の大雪と寒波に縮み上がり、腰の抜けた番犬の如く尻尾を巻いて丸くなってしまった。おかげで引き締まりかけたお腹や喉元が更にぼってりと見苦しい。口やかましく育てられなかったせいか根性というものが無く、まったくのマイペース。そういう性格をこの期に及んで恨んでみても後の祭り。毎度毎度のケセラセラである。愚痴をこぼしても仕方が無いので、以前、世話になったバンド仲間のことを思い出してみる。 

Pic00011_edited_1  最近リンクを貼って周知になった「山形ブルース研究会」。その事務局の浅沼さんは、僕のブルースの師匠だ。5、6年前にバードランドの前身Maxwell Streetで、偶然知り合った。その当時のMaxは、カウンターとわずかな小上がりだけの和風居酒屋に機材を押し込んだだけのお店で、畳敷き二畳ほどのステージで、押しくら饅頭しながら熱気溢れるセッションを繰り広げていた。定員10名ほどの店内に倍近いお客がひしめき、足の踏み場もなく、すぐにハウリングを起こすアンプの爆音と人いきれ。音楽というより増幅された情念が渦巻くるつぼのような場所だった。そこで彼はだれかれかまわず話しかけていた。「ブルースを知ってるかい?」「1863年、奴隷解放宣言ののち・・・・」といった調子で。銀縁の眼鏡にぱりっとしたスーツといういでたちでストラップを肩に掛け、大きなあたりに翻弄される釣り人のように小刻みにギターを立てる。当時から髪に大分白いものが入っていたので、僕の最初の印象は、「ずっと年上の変てこなオッサン」。のちにひとつ年長だと知って驚いた。

 程なくしてマスターの清水さん率いるMaxwell Street Bandに共に参加。そしてそこから割って出て新たな仲間を募る。僕は本格的ブルース・バンドは初めてだったので、既にブルース・ギタリストとしてのスタイルを身に着けていた彼の胸を借りることになる。彼が酔いに任せてブルースの歴史を講釈する姿に、敬愛を込めて僕がつけたバンド名が「ドクトル浅沼のBlues History 1863」。いつの間にかブルヒスと呼ばれるようになっていた。彼のギター・パフォーマンスは最高だった。テクニック云々よりも、どうすれば格好が良いか、どうすれば聞き手が喜ぶかを知っていた。ステージの上で何をすべきか、何をさせるべきかを理解していた。ライヴでは、彼がネックをタクトのように振り回しバンドを操り、あとはお客が歓声を上げ、拍手するだけで良かった(ちょっと持ち上げ過ぎか?今度遊びに行ったときにおごってね!)。彼からは多くのことを学んだけれど、煎じ詰めると「めりはり」ということになる。ひとつの曲を演奏するなかで、フレーズごとにしっかりと強弱をつけて、物語りの起承転結をドラマチックに描く。この事は僕の音楽観に深く根ざし、その後の演奏活動に大いに影響を及ぼす事になった。2時間練習して6時間酒を飲むような恐ろしいバンドだったが、それすら結束を第一義とする彼の音楽哲学。紳士を気取ってはいたが、ギターを持てば神も恐れぬ傲慢バンマス、酒瓶を抱えれば歯止めを知らない自堕落な大酒飲み。しかしてその実体は、家族思いで負けず嫌いの仕事人間。愛すべきオヤジである(今度はこき下ろし過ぎ。陳謝!)。「浅沼さん!僕は芭蕉の弟子の曾良よろしく、奥の細道ブルース行脚に末永く付き合う覚悟でおりますよ!」

 お後がよろしいようで・・。つづきはまたの機会に。http://blog.livedoor.jp/blues66yamagata/


チームVACANCY再会

2006-01-30 21:11:13 | ともだち

Pict0006_128日、三年ぶりにチームVACANCYが集まった。場所は郡山市朝日の焼肉「牛豊」。上の写真後列中央の宮澤さんが店長をしている。チームVACANCYとはバイクのツーリングチームで宮沢さんが以前開いていたbarVACANCYの常連達を中心に結成されたのだ。10年ほど前殆どが20代前半で、僕は30代後半でちょうど音楽活動を始めた頃。みんなオートバイやボードや音楽や恋やお酒や色んなことに夢中になったいた。エネルギー120%、朝まで遊んでもへっちゃらだったねー。Pict0002それが今はみんな30代以上、女性陣の殆どがお母さんなのだ。それでも全員元気一杯!歯に衣着せぬ過激なやりとりが続く。お店に鳴り響く大盛り上がりの笑い声は大迷惑だったろう。本当にゴメンナサイ。昔話に花が咲いてあっという間に三時間半。飲んで食べて喋って大満足でありました。みんなまたいつか会いましょう。そのときまでくれぐれも元気でね!いのっち!は、ビールをやっつけた後調子に乗って芋焼酎のロックを三杯ほど飲んで、トロ~ンとなってしまったのだ。


オジサンのよしなしごと

2006-01-28 16:20:43 | ともだち

昨晩、同じ会社だった山岡くんとセキハンに会った。僕が辞めてしまってその関係は少し変わったのだけれど、実は三人とも同じ高校の同級生。山岡は会社に入ってから同級だったことが判明した。なにせ一学年400人の男子校だったので知らない人のほうが多い。というか400人のむくつけき男子に興味を持つわけが無い。そしてセキハンというのは在日モンゴル人のような響きだけど、関根くんのあだ名なのだ。つまり「赤飯」、おめでたくておいしそうで良い呼び名。

セキハンの希望でかわいらしくお好み焼きをたべる。三人とも47歳のオジサンなんだけど、若かりし頃の話題で盛り上がる。よくある風景。それにしても子供時分に見たオジサンは、果てしなく大人で想像もつかない別世界の人種だった。いつどこでそのハードルを越えたのか記憶に無いが、今自分達がその立場になってみてそれぞれ複雑な思いでいる。立場によっていろんな顔を使い分けてはいるものの、こうして一杯飲みながら、頭寄せ合って、お好み焼きをつまんでいると、子供時分の心のままの三人がいる。一般にこんな様子を子供に戻るというけれど、実は子供心とは胸の奥にいつも住んでいて、笑ったり、泣いたり、浮かれたり、落ち込んだりする自分を支配している性質そのものなのではないか。生前に父母から受け継いだ遺伝子と世に出でて享受した身の回りの環境が、天から恵まれた慈雨のように降り注ぎ体に染込んでいる。そういう性質が時に自分を助け、またある時足を引っ張る。そうやって騙しだまし付き合ってあっという間に数十年。いつになっても変わらない、変われない自分がやっぱりそこにいる。目の前に待ち受けている未知のものへの期待と不安でいっぱいだった子供が、今、困難や軋轢のなかで恐れおののきながら、ささやかな幸せを噛みしめている。子供の目で見つめていたオジサンは完全な大人どころか、不安定な塀の上をよろよろしながら必死に歩く、少しやつれたやじろべのようにも見える。

そんなことをふと思いながら午前様。これまた中学時代の同級生の和泉くんのお店ラストワルツに河岸を変えて、恋愛がどうの、子供がどうの、定年後がどうのと果てしなく続く。気付けば朝方。「なごり雪」を歌うつい最近の伊勢正三がプラズマ大画面に映し出され、セキハンは嬉々としている。へたばってうたた寝している山岡が起こされた。僕もいよいよ限界のようだ。他のお客は皆とうに帰ってしまった。和泉には申し訳ないけど、このだらしなさが心地よい。しみじみと楽しい飲み会だった。

こうしてつらつら思い巡らせ書き込んでいたら、例のお店の和泉から電話。買ったばかりのCDをカウンターに忘れてしまったらしい。またそのうちと答えると、これから届けてくれるという。ありがたや、合掌。