近所のショッピングモールで買い物をしていたら、ふっと、ジョンレノンのマインド・ゲームスが流れてきた。イマジンならまだしもマインド・ゲームスとは珍しい。このタイトル曲の収められたアルバムは小品揃いで、発売当時どちらかといえば世間の評価の低いものだった。でも自分自身をもてあまし内にこもりがちだった思春期の僕には、かえってその地味な雰囲気が身近だった。周知のことだけど、ジョンの歌はいつもストレートで誰にでもわかりやすい。そして、時々うざったくなるほど青臭い。そんな思わず顔を赤らめてしまうぐらい純粋な言葉に心動かされた時期が確かに僕にもあった。ところが最近の僕はすっかり何事にも動じない大人になってしまって、常に平然を装って暮らしている。それでも時折、些細なことに熱くなってしまったり、場違いな人生論を語ってしまったとき、不意にあのころのたよりない少年時代のほろ苦い記憶が蘇ってきたりする。今、図らずも肩書きや立場がすっかりとれてしまった僕は、ビートルズのフール・オン・ザ・ヒルのように、丘の上でぼんやり風に吹かれているただの阿呆になった。この不思議な心の軽みと足元の不安定さが意外に心地いい。このままスナフキン(ご存知ムーミン谷の吟遊詩人)よろしく旅をねぐらに生きたくなる様な、怖いくらい澄み切った空気の中に自分がいる。以前は、相談を受けた後輩に「自分以上でもなく、自分以下でもない、等身大の自分自身を精一杯生きろ!」なんて立派なことを言ったものだ。無責任かもしれないが、今、等身大の自分とは何だろうと思う。自分らしいってどういうことだろう。ひょっとしてあの頃の役立たずな僕のことか。まさか。でも思い巡らすとそこへ行き着いてしまう。将来への得体の知れない怖れを感じながら、込み上げてくる胸騒ぎを押さえきれず、何も出来ない自分と何か出来そうな自分がせめぎあっていた時代。ジョンの歌声に乗って運ばれてくる、自由、平和、愛、真実なんて言葉を、恥ずかしげもなく口にしていた、まさに青臭い時代の僕。でも、そんな自分に立ち返ってどうなるのだろう。今更愛だ平和だと叫びたいのか。それこそダサくてウザイ。けれど否定すればする程、そういう居心地の悪い自分に、敢えて再会したい気がしてくる。残念なことに人の心が荒んでしまった今この時代。最後に人や世を動かすのは、やはり人間の心から発する純粋な言葉の力なのではないか。
巷では、WBCで大活躍したイチローの情熱的な一面が、意外性をもって熱烈に歓迎されている。寡黙に我が道を行く彼に、どこか近寄りがたいものを感じていた人は少なくないだろう。ところが、あのすさまじい攻撃的なプレー、そのパフォーマンス、その言動。いままで誰にも見せたことが無かった彼流の熱血野球。皆がそれに驚き感動している。今、自分の立場は何なのか。自分に課せられたものは何か。自分は何をしなければならないのか。それを解き明かす為に遭えて恥ずかしげもなく、ありったけの力で動き、叫び、怒り、笑い、語る。むき出しの彼自身がそこにいる。その真剣さにいつの間にか仲間が引き込まれていく。やがて大きな力となり、予想も付かない結果を成す。そしてそれが更に多くの人々に勇気をもたらす。何か事を動かすのに、必要なものはやはりそういう情熱。ときに恥ずかしく、うざったいもの、やはりそういう青臭さなのだろう。お金や物質のみに執着し、人の言うきれいごとが鼻に付いてしまう現代。丸裸の人間の発する真実。それに勝るものは無いのかもしれない。本当は皆がそれを待っていたに違いない。