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いのっちのブルースは絆

ブルースハープを吹きながら歌う「いのっち!」のブログです。音楽と関わりながら家族や友人達と楽しむ日々を綴ります。

ライブスケジュール

1月17日(土)13:00~14:00 新潟ジャズストリート          ふくわうち滋烈亭◆新潟市中央区西堀通3番町258       TEL025-229-6700                         料金◆1,000円(フリーチケット)

マインド・ゲームス

2006-03-24 22:57:40 | スポーツ

Tocp53474  近所のショッピングモールで買い物をしていたら、ふっと、ジョンレノンのマインド・ゲームスが流れてきた。イマジンならまだしもマインド・ゲームスとは珍しい。このタイトル曲の収められたアルバムは小品揃いで、発売当時どちらかといえば世間の評価の低いものだった。でも自分自身をもてあまし内にこもりがちだった思春期の僕には、かえってその地味な雰囲気が身近だった。周知のことだけど、ジョンの歌はいつもストレートで誰にでもわかりやすい。そして、時々うざったくなるほど青臭い。そんな思わず顔を赤らめてしまうぐらい純粋な言葉に心動かされた時期が確かに僕にもあった。ところが最近の僕はすっかり何事にも動じない大人になってしまって、常に平然を装って暮らしている。それでも時折、些細なことに熱くなってしまったり、場違いな人生論を語ってしまったとき、不意にあのころのたよりない少年時代のほろ苦い記憶が蘇ってきたりする。今、図らずも肩書きや立場がすっかりとれてしまった僕は、ビートルズのフール・オン・ザ・ヒルのように、丘の上でぼんやり風に吹かれているただの阿呆になった。この不思議な心の軽みと足元の不安定さが意外に心地いい。このままスナフキン(ご存知ムーミン谷の吟遊詩人)よろしく旅をねぐらに生きたくなる様な、怖いくらい澄み切った空気の中に自分がいる。以前は、相談を受けた後輩に「自分以上でもなく、自分以下でもない、等身大の自分自身を精一杯生きろ!」なんて立派なことを言ったものだ。無責任かもしれないが、今、等身大の自分とは何だろうと思う。自分らしいってどういうことだろう。ひょっとしてあの頃の役立たずな僕のことか。まさか。でも思い巡らすとそこへ行き着いてしまう。将来への得体の知れない怖れを感じながら、込み上げてくる胸騒ぎを押さえきれず、何も出来ない自分と何か出来そうな自分がせめぎあっていた時代。ジョンの歌声に乗って運ばれてくる、自由、平和、愛、真実なんて言葉を、恥ずかしげもなく口にしていた、まさに青臭い時代の僕。でも、そんな自分に立ち返ってどうなるのだろう。今更愛だ平和だと叫びたいのか。それこそダサくてウザイ。けれど否定すればする程、そういう居心地の悪い自分に、敢えて再会したい気がしてくる。残念なことに人の心が荒んでしまった今この時代。最後に人や世を動かすのは、やはり人間の心から発する純粋な言葉の力なのではないか。

 2006032200000002maipspoview000 巷では、WBCで大活躍したイチローの情熱的な一面が、意外性をもって熱烈に歓迎されている。寡黙に我が道を行く彼に、どこか近寄りがたいものを感じていた人は少なくないだろう。ところが、あのすさまじい攻撃的なプレー、そのパフォーマンス、その言動。いままで誰にも見せたことが無かった彼流の熱血野球。皆がそれに驚き感動している。今、自分の立場は何なのか。自分に課せられたものは何か。自分は何をしなければならないのか。それを解き明かす為に遭えて恥ずかしげもなく、ありったけの力で動き、叫び、怒り、笑い、語る。むき出しの彼自身がそこにいる。その真剣さにいつの間にか仲間が引き込まれていく。やがて大きな力となり、予想も付かない結果を成す。そしてそれが更に多くの人々に勇気をもたらす。何か事を動かすのに、必要なものはやはりそういう情熱。ときに恥ずかしく、うざったいもの、やはりそういう青臭さなのだろう。お金や物質のみに執着し、人の言うきれいごとが鼻に付いてしまう現代。丸裸の人間の発する真実。それに勝るものは無いのかもしれない。本当は皆がそれを待っていたに違いない。


ジャネット・リン!

2006-02-24 13:14:44 | スポーツ

 今朝方、眠い目をこすりながら、フィギュアスケート女子フリーを観た。荒川静香さんの演技すばらしかったです。村主章枝さんも良く頑張ったし、ミキティもプレッシャーのなか良い経験が出来てよかったと思う。僕なんかがミキティなんて言うと多分キモイんだろーな。でも、中継のNHKアナが「オリンピックの女神が荒川にキスしました!」と言ったのは、もっとキモイんじゃない?いい歳のオジサンが世界に向けて「キス!」って叫ぶのはいささか恥ずかしいよねぇ。最近の話なんだけど、上京して蕨の友人宅に世話になったときのこと、駅前で夕食にラーメンを食べようと思って店頭のメニューを眺めていたら、背後から「こんなトコでメニュー迷ってるオヤジ、キモーイ。」と言う声がした。振り返ると学生風のにいちゃんが2人通り過ぎた。突然の失礼な言葉に腹が立ったけど、遣り合っても分が悪いので我慢した。後で友人にぶちまけたら、「オジサンなんだからしょうがないんだよ。」と諌められた。やっぱオジサンって辛いのねー。

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そんな事はさておき、ミキティの4回転ジャンプ惜しかったです。彼女の愛くるしい笑顔が見られなかったのがとても残念です。でも、ずうーっと考えてたんだけど、前日の練習でも7回のうち1回しか成功しないような技に挑戦するって言うのはどうなんでしょうね。テレビを観てても、総ての人が期待していて、なんだか違和感があった。確かに、4回転でもやらなければメダルに手が届かない状況だったかもしれないが、全体をひとつの演技として見ると、やはり自信のある技でかためたほうが良かったんじゃないのか。ああいう大舞台ではベテラン選手でさえ、成功率99%の技を思いがけず失敗している。やっぱり鍛えに鍛え抜いて自信を持った技が、技と呼べるんじゃないかな。やってみなけりゃわからない技って、単なる偶然の産物になってしまうのでは?こんなことを言うと特に若い人に叱られるだろうけど、人生のなかで何かに挑戦することはすばらしいけど、本当は、そのために努力してベストを尽くすことが一番大事なのだと思う。いちかばちかやってみて、出来ちゃったらそれでよし、出来なかったら残念では、ちと短絡的ではないか。もちろん彼女もいままで何百回となく挑んでみたに違いない。かすかなメダルへの期待が心を突き動かしたのかもしれない。ただ、どうしても挑んでみたかっただけなのかもしれない。でも僕はあえて言いたい、「今回は失敗して良かったんだ。次回の完璧な兆戦のためにね。」と。

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 ミキティがトリノ入りするとき、ショートカットに変身していたが、マスコミはこぞってジャネット・リンに生き写しと褒め称えたらしい。彼女自身も尊敬しているそうなんだけど、実際に見たことは無いはずだ。そして、若い人の殆どが知らないだろう。ジャネット・リンが日本で爆発的人気を得たのは、1972年の札幌オリンピックのときである。僕が中学2年生のころ。彼女はミキティと同じ18歳。唯一当時の僕にとってのアイドルで、雑誌の写真を切り抜いたり、ポスターを部屋に貼ったりしたものだ。左の写真はモノクロだけど、実際は、美しい金髪に澄んだ青い瞳、鮮やかなサーモンピンク(当時そう呼ばれていた)のコスチューム、真っ白なブーツ。まだうぶな少年には、崇拝するにふさわしい対象だった。ちょうどビートルズにも夢中になっていた頃だから、彼女を讃える歌まで作って、家族の失笑を買っていた。そういうときのバカさ加減だけは今も変わらないらしい。彼女の魅力は容姿の可憐さもあるが、一番は天使のような笑顔だった。フリーの演技中、ジャンプに失敗してしりもちをついてしまったが、笑顔で立ち上がり、そのまますばらしい演技をやり通して、最高点を取った。審査員の中には、そのミスにもかかわらず満点を付け人もいた程。総合3位で銅メダルだったけど、人気は一番。人を魅了するというのはまさにこういうことなのだろう。その後僕は、映画館に通い、記録映画の中でしりもちをついても微笑んでいる彼女を繰り返し観たものだ。テーマ曲でトワ・エ・モアの「虹と雲のバラード」(いいデュオなんだよねぇ)が流れていたなぁ。現在の技術レベルに比べると当時はずっと低いけれど、やっぱりジャネットは格が違います。ミキティが次のオリンピックまでに心技ともに成長して、本当の意味でジャネットを超えることを期待します。

 敬謙なクリスチャンだったジャネットが選手村の壁に落書きしていった"PACE+LOVE"は当時話題になった。今、僕は携帯の署名に"LOVE&PEACE"と入れているんだけど、それはまったく同じ頃、もう一人夢中になっていた「ジョン・レノン」のメッセージだった。懐かしい、あの時代。