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いのっちのブルースは絆

ブルースハープを吹きながら歌う「いのっち!」のブログです。音楽と関わりながら家族や友人達と楽しむ日々を綴ります。

ライブスケジュール

1月17日(土)13:00~14:00 新潟ジャズストリート          ふくわうち滋烈亭◆新潟市中央区西堀通3番町258       TEL025-229-6700                         料金◆1,000円(フリーチケット)

久しぶりにジブリ!

2011-08-04 14:22:27 | 映画・演劇・アート

Photo 7月31日、ひいちゃんのご用命で、ジブリの『コクリコ坂から』を観に福島のワーナー・マイカル・シネマズまで行ってきた。ジブリ・ファンは良いのだけれど、彼女は最近流行りのシネマコンプレックス方式の映画館じゃないといけない。ショッピングセンターに併設されいて、沢山のスクリーンがあって、様々な映画が上映されて、テーマパークにあるような華やかな売店で、お好みのお菓子や飲み物を買い込み、座席の肘掛けのホルダーに大きな紙コップを置いて、これまた大きなポップコーンの紙カップを抱えながら映画を楽しむというスタイル。ほんまアメリカンですや~ん。
 ・・・思えば30年前、東京の名画座の硬い椅子に腰掛け、難解な前衛作品をなまくら頭で鑑賞して、居酒屋で受け売りのうんちくを語るような、少々勘違いな学生だった僕としては、この変わり様は想像もつかなかったことだけれど、一度極楽なスタイルに浸ってしまうともう元には戻れないらしい・・・。

 ・・・そして2年前。どこから観ても完全なオッサンに成ってしまった僕は、ひいちゃんが友達の披露宴で演奏するのを待つ間、ここに『沈まぬ太陽』を観に来ていた。久々に独りの時間を満喫すべく、準備万端、コーラのLカップとレギュラーサイズのポップコーン(と言っても湯桶ぐらいはある)をトレイに乗せて、ウキウキとシアターの中へ。

 指定席に座ろうとすると、奥に年配の2人連れ。団塊の世代あたりか。すると、その奥さんとおぼしき白髪交じりの女性が「まったくっー!」と吐き捨てるように呟いて、こちらを睨んだ。「だから・・・なのよ。まったくっー。」何かトゲのある言葉が響いてくる。横の旦那らしき男は困ったような顔をしして、こちらに一瞥くれてから目を反らした。一瞬、“なにをーっ!”と癇癪を起こしそうになったが、向こうの意図が読めてバカらしくなった。

 要するに、“私のような教養人が文芸作品を鑑賞しようとしているのに、この下品な男はなに?!だからこんなところに来たくなかったのよ!”ってことなんだろう。“ならば尼寺へ行けーっ!じゃなくてフォーラムへ行けーっ!TPOも理解出来ない中途半端なエセ文化人め!”こういう傲慢で鼻持ちならない輩が一番始末が悪い。腹立ち紛れにポップコーンをお代わりしてボリボリ食ってやった(それだって、今は大いに改善されて、ポリ袋をガシャガシャさせる必要もなく、飲み物の瓶や缶が階段を転げ落ちることもない)。まあ、こちらも大人げないと言えば、大人げないが・・・
 さて、大分遅れて中央のフロアに入ると、いつにも増して大賑わい。夏休み真っ直中で天気の悪い日曜日ときたものだから、家族連れが大挙して押し寄せて、売店付近にわんさと群がっている。この列に並んだらもっと遅れるなぁと思っている間に「あたし買ってるから。」と言ってひいちゃんはさっさと人垣の中に消えていった。
 そこで僕はチケット売り場に向かう。既に定刻から20分近くは過ぎていた。「もう始まっていますがよろしいですかぁ?」と若い男の店員がすげなく応答する。口開けの予告編を差っ引いても、既に本編に入っているのは間違いない。しかしここまで来たら引き下がる訳にはいかないのだ。

 チケット握りしめてひいちゃんを捜すと、売店カウンターの中央、一組手前に後ろ姿を発見。声を掛けたら、彼女は「あ~遅くなっちゃうよねぇ。でも、お腹空いてんだぁ。」と板挟みの自分を嘆いてみせた。結局2人でポップコーンとホットドックとナチョスとコーラを買った。

 150名程の小さなシアターはほぼ満員で、前列の隅しか空いていなかった。スクリーンを斜め下から見上げるようなポジション。今日はとことん運が悪かったかなぁ・・・残念!
 ・・・映画はというと、導入部は見逃したものの、そこそこ良かったように思う。宮崎駿版『青い山脈』とでも言おうか。昭和30年代の清廉な青春群像。時代考証もしっつかりしていたし、それぞれの個性豊かなキャラクターも丁寧に描き込まれていた。テレビのインタビューで、監督の宮崎吾朗氏が「しばらくはファンタジーから離れようと思う。」と語っていたが、大震災、貧困、テロ、先の見えない世界情勢など厳しい現実を目の当たりにして、賢明な舵取りなのかも知れない。それにしても大変な時代になってしまった・・・。
 「ダイユーエイトMAXが入ったんだってぇ。」帰りがけにひいちゃんが誘う。テレビで見たらしいが、ついでにそのMAXなるものを一度見てみようと、エスカレーターで下る。どうやら1~2階が店舗らしい。ひとまず2階で降りてみると、広いフロアの半分は100円ショップのダイソー。残りの半分がOne's MAXというエリアになっていた。生活雑貨、文具、そして・・・化粧品?!沢山のメーカーの陳列棚がどこまでも連なり、赤だのピンクだのカラフルな商品が所狭しと山積みされている?!案の定。ここでひいちゃんしばし釘付けとなる。
 仕方がないので僕は所在なくそぞろ歩き。見ればそれぞれの棚に試供品が用意されているではないか。これだけのアイテムがあったら、一通りお試ししていけば、完璧なメイクが仕上がるんじゃないだろうか・・・。なあんてつらつら考えていると、いつの間にかひいちゃん何やらかき集めて、上目遣いですり寄ってきた。BBクリームだとか、グロスだとか、マスカラだとか色々必要なんだそうで、一生懸命説明している。ん~、良く解らんけど、まんまとおねだりに遭ってしまったのは間違いない。
 会計を済ませると、ご満悦のひいちゃん、「郡山にも、こんなトコあればいいのになぁ。」なんぞと宣う。・・・えっ?そ、そうかもねぇ~、ハハハァ。1階も食品、日用品、薬品、フードコートと満載らしい。ん~、恐るべしダイユーエイトMAX・・・。


婦系図

2006-09-06 00:56:49 | 映画・演劇・アート

 テレビのチャンネルボタンを押すと、BSで「婦系図」を流していた。市川雷蔵の奥深い眼差しについ引き込まれた。62年大映のリメイクだった。舞台風に言えば人情物、世話物の原点。泉鏡花作、三大国民的通俗小説のひとつとか。残りの二つは尾崎紅葉の『金色夜叉』と徳富蘆花の『不如帰』になるらしい。いわゆるコッテコテのメロドラマだ。雷蔵演じる早瀬が義理のために、恋するお蔦に別れを告げるシーン。有名なきめ台詞。『切れるの別れるのって、そんな事は、芸者の時に云うものよ。……私にゃ死ねと云って下さい。』よよと泣き崩れる万里昌代のお蔦の不憫さ、可愛さに、胸が締め付けられた。図らずも涙ぐんでしまった。定石とは恐ろしいもので、ここは紛れもなく「泣くところ」、ご多分に漏れずやられてしまった。聞けば、この話しが書かれたのは明治40年の新聞小説、舞台は大正2年。立身出世や恩師の恩義なんかと、情を交わした女とが真面目に天秤にかけられ、語られた時代。今でこそ有り得ない幸薄き日陰の女のいじらしさ。可憐さ・・・。感じ入っている俺って相当古いのかなぁ。でもねぇ、どうにもならない窮屈な時代ほど人の情念がくっきりと浮き彫りになる。なんでもありの現代は、ややもするとドラマのほうが陳腐だ。

 それにしても、和服に日本髪の万里昌代はいい。にわかに憧れてもろもろ辿ってみた。すると意外や意外。いきなり大胆な水着姿、果てはネグリジェにガーターベルトの写真に遭遇。彼女、高校時代からモデルで、映画界に入ってからはグラビアアイドルだったそうな。鼻筋の通ったエキゾチックな美貌と、当時の世界の恋人、マリリン・モンローを髣髴とさせるようなグラマラスな肢体。娯楽TVドラマ「プレイガール」では、惜しげもなくミニスカ、パンチラまでサービスしていたらしい。なるほど、そういうことでしたか。落胆したような、改めて喜ばしいような。彼女が活躍したのは、ちょうど僕が生まれた頃からだから、血気盛んな父も雑誌の綴じ込みなんか開いて、ご利益を得ていたのかもしれない。二代に亘って色香にやられるなんて、男って馬鹿ねぇ。草葉の陰でお怒りか?そんなこんな、昔の映画って想像力かきたてられるなぁ。

Sp_15  劇中別れの場面は「湯島の白梅」として知られる。湯島天神の境内、寄り添う二人に梅の花がかぶってはかなく美しい。昨年まで僕は東京で営業をしていたんだけど、ちょうど湯島、本郷あたりの明治の文学の舞台になった街を歩いていた。天気の良い日は湯島天神の梅の木の下、石造りのベンチに腰掛けてのんびりほか弁を食べていた。あの界隈、世知辛い大都会ながら、喧騒を忘れさせてくれるようなホッとする場所が幾つかあった。歴史を感じさせる空間だった。


ゲド戦記、無残!

2006-08-26 18:03:44 | 映画・演劇・アート

P1  昨日、友人のK原くんを誘って「ゲド戦記」を観た。四十路のオジサン二人が連れ立ってアニメを鑑賞する姿は、どこから見ても奇妙なので少し気恥ずかしかった。K原くんは「映画館なんて息子と来て以来、十数年ぶりだ。」と感慨深い一言を発した。そういうものか・・・。

 平日の為か、館内は大変すいている。子供とお母さん、カップル、若い女性の二人連れがまばらに席を埋めている。予告編が終わり映画が始まると、間もなく食べ物の包みをガサゴソする音が四方から聞こえてくる。最近これが多い。気になって仕方がない。二時間ぐらい我慢できないものか・・・。スタジオジブリのクレジットの後、唐突に竜が現れる。これがラストシーンに繋がるのだが、あまり必然性を感じさせないまま物語は進行して行った。ストーリーは、よこしまな魔女の仕業により世界の秩序が乱れ、大賢人と呼ばれる魔法使いが立ち上がる。そこに悩める王子が現れて、不思議な力をもつ少女とともに魔女を倒し平和をもたらすというもの。だが、序盤、王子が実の父親である王を刺して逃げ、魔法使いと出会って以降、特段刺激的な展開がないまま、僕は眠りの国との境でさまようことになる。気がつくと、斜め前の席では何やら発光体。女の子が携帯で遊んでいるのだ。この時ばかりは腹を立てる気になれなかった。実に退屈なドラマ運び。主だった登場人物もさして魅力もなく、過去に使い古されたキャラクターまでずうずうしく登場する。作画の精密度の低さといったら、四十年前の低予算TVアニメ並みの荒っぽさ。クライマックスに変身する魔女に至っては、「妖怪人間ベム」にも及ばない陳腐な姿。挙句に王に対する王子の暴挙の落し前はいっこうにつけられない。謎は謎のまま幕は閉じられた。手嶌葵の「テルーの歌」だけが美しく清らかに響いた。これだ、これに引き寄せられてしまったのだ。言いようのない虚しさが込み上げてきた。K原くん、すまぬ。君の言うとおり「スーパーマン」を観たほうが得策だったかもしれない。

 僕は、熱烈なジブリファンではない、それでも「風の谷のナウシカ」で図らずも胸を打たれて以来、一連の作品を歓迎してきた。少なくとも「千と千尋の神隠し」までは。だか「ハウルの動く城」の脚色の消化不良にはさすがに疑問を持ち、次回作を待った。そしてその密かな願望もこうして裏切られることになった。監督は、宮崎駿の長男吾朗氏と聞く。父はその起用に反対したという。プロデューサーの鈴木敏夫はそれをあえて推した。責任は誰にあるのか知れないが、スタジオジブリの冠が付いていることに違いはない。少し前、NHKの人気ドキュメント、「プロフェッショナル」に颯爽と登場した鈴木プロデューサーは、これまでの賞賛を背景に自信に満ち溢れていた。その時まさに、「ゲド戦記」の追い込み。宣伝用のキャッチコピーを若いスタッフに起こさせているシーンだった。まさに勝ち組の勢い。しかして鈴木敏夫よ、ジブリよ、君たちはどこへ行こうとしているのか。遠い過去に逆戻りして、低予算、低賃金で粗悪な商品を大量生産する現場に戻ろうとしているのか。忘れないで欲しい。ピアノ線に吊られたウルトラマンの特撮が、スターウォーズのCGによって飛躍的に夢を広げたように、ジブリ作品は、そのクオリティの高さでアニメ界に新たな息吹を吹き込んだのだ。そしてその熱意に満ちた功績に多くの者が感嘆した。ジブリよ、原点に立ち返って熟慮することを望む。更なるアニメの傑作を世界中の人々が待っているのだ。

 24日の新聞記事を発見。『映画「ゲド戦記」、原作者がHPに批判的「感想」・・・公開中の映画「ゲド戦記」について批判的な「感想」を原作者のアーシュラ・K・ル・グウィンさん(76)=米国在住=が自己のホームページに掲載し、話題を呼んでいる。「ゲド戦記」は、68年~01年にかけて出版された全6巻のファンタジー。多島世界アースシーを舞台に、魔法使いのゲドや王子アレンが、世界の均衡を回復するために奮闘する姿などを描く。「千と千尋の神隠し」などを製作したスタジオジブリが原作者の許諾を得て、アニメ映画化。宮崎駿監督の長男・吾朗氏が監督し、7月29日に全国公開された。ル・グウィンさんは「Gedo Senki」と題した文章の中で、「8月6日にアメリカで完成した映画を見た」とした上で、「絵は美しいが、急ごしらえで、『となりのトトロ』のような繊細さや『千と千尋の神隠し』のような力強い豊かなディテールがない」「物語のつじつまが合わない」「登場人物の行動が伴わないため、生と死、世界の均衡といった原作のメッセージが説教くさく感じる」などと記した。また、原作にはない、王子が父を殺すエピソードについても、「動機がなく、きまぐれ。人間の影の部分は魔法の剣で振り払えるようなものではない」と強い違和感を表明している。一方、菅原文太さんが吹き込んだゲドの声と挿入歌の「テルーの唄」については「特に良かった」とした。』asahi.com.


芝居見物

2006-08-24 19:59:59 | 映画・演劇・アート

06do_chirashi_1_2  昨晩、LABOのバッキーの誘いで、黒テントの「ど」を観た。アングラ系の老舗は、学生時代にかじったつもりだったが、なぜが黒テントだけはお目にかからなかった。血の気の多い時分、伝説の赤テントと天井桟敷の乱闘騒ぎなんぞに胸躍らせていたくらいだから、武闘派の唐や前衛の寺山のように、より過激なものを求めていたのかもしれない。

 場所は近所の公会堂。ホールの真ん中に簡単な舞台が設えてある。装置の上から古めかしいシャンデリアがひとつ吊りさがる。その先に見える建物の内装が、レトロな明治の洋風建築だから、あえてこの場所を選んだ理由が分かったような気がした。

 話は、1960年、名曲喫茶に集まった三人の吃音(どもり性)者たちが語り合う、悲しくも可笑しな苦難の体験談。それぞれのエピソードの主役が話し始めると、他の一人は別の登場人物にすりかわり、もう一人がナレーションを始める。そんな風に役者たちだけで、小説や戯曲を代わる代わる読み進めていくように演じる。想像していたよりはるかに地味だが、綿密に描かれた物語、厳選された文言、役者の丁寧な演技は良かった。安易に道を踏み外すことなく順繰りと演技が織りこまれていく。意外に芝居らしい芝居だと思った。時はあの「三丁目の夕日」と同じ昭和三十年代初期。ちょうど僕が生まれた頃、戦後高度成長の出発点だ。そして微かな光を求めて貧しさから立ち上がった父母の時代でもある。

 三人の役者が演じる、吃音者が言葉につまった時の必死さ、極限の表情は見事だ。特に役者を志す者にとってはかなり美味かもしれない。劇中の歌や踊りも自然に入ってくるし、めまぐるしく入れ替わる役柄もこんがらがって見失うことはない。欲を言えばもう少しメリハリがあったらと思う。30分じっとしているとウトウトしてしまう体質の僕にとって、いささか上品過ぎた。先日久しぶりに観た「つかこうへい」は相変わらず下品だったが・・・。結局好みだけれど、やっばり黒より赤かなぁ。なんて酒の品定めでもあるまいに。

 役者が語る社会的政治的背景は少し硬くるしくて、かえって観客を遠ざけてしまったかもしれない。いささか見当がちがうが、同じく昭和30年代の匂いを醸し出すのなら、電信柱の裸電球、豆腐屋のチャルメラ、煙突から吹き零れる火の粉のような、別役実的なセンチメンタルな感性の方が僕は好きだ。

 また吃音者という設定は、それなしには語れないし、もちろん、人間性の本質に迫るための仮衣であることは誰にでも理解できる。しかしどうしてもそれを素直に笑えないわだかまりが心の隅に宿った。たとえば僕は小学校の中学年まで、大勢の人前で声を出すことが出来なかった。極度の内向的性質で、火のように赤面してどもってしまう。また僕の母は現在、脳梗塞の後遺症で右半身がほぼ全廃し、ろれつが回らない。そんなことが僕の心象をよぎる。そして同様に感じた人、または途方にくれた傍観者が他にもいたのではないかと推察する。この物語は人間という不恰好な存在を笑い飛ばしながら、勇気づけている。だが「本当に笑っていいの?」という逡巡が最後までつきまとった。単に僕が集中できなかっただけなのか。作品が日常を忘れさせる程の力を持たなかったのか。自由な想像力と頑なな常識を内包する心の引き出し。そのそれぞれの在りかは案外近いところにあって、時として干渉し合う。創作する意志とは、その脆弱な心の垣根を軽々と乗り越えて圧倒的に迫り、説き伏せる力を持たねばらないのではないか。特に他意はないけれど、つらつら思うことがあった。ここのところの暑さで大分ボケしまった頭に、少し栄養をやったような気がする。


ダーク・ボガード

2006-02-08 02:43:01 | 映画・演劇・アート

 一昨日、NHKのBSで「カサブランカ」を流していた。たまにはコッテコテのハリウッド映画も良いかと、なんとなく眺めていた。考えてみると、いっとう最初から観たことが無かったのでちょうど良かった。中盤、裏切られた彼女と偶然に再会したリックは、断ち切れぬ思いにさいなまれ、深夜に飲んだくれる。なんだー、ハンフリー・ボガードだっせーなー。と、思ったらどんでん返しの末に、危険にさらされる彼女とその旦那をアメリカに逃がす手引きをする。ん~。男の中の男。やっぱりカッコイイじゃん。今でこそありふれた筋書きだけど、さすがしっかり書けている。お見それしました。それにしても「君の瞳に乾杯。」なんてセリフ、3回も出てくる。もうとっくに死語だけど、当時は粋なくどき文句の代名詞だったんだろうなぁ。そんな風に観るとなんだか面白い!

B0007piolk09 そんなことをぼんやり考えていたら、ダーク・ボカードという役者を思い出した。ボガードつながりだけど、名前の方が既に道を踏み外している。僕がちょっとひねた学生だった時分、心引かれたおじさん。初めて観たのは「暗殺の森」というじっとりと暗い映画の中だった。それは中学生の頃、「ローリング・ストーンズのギミー・シェルター」と二本立てになっていたような気がする。あの独特の湿気っぽい不安定な佇まい。くそ生意気な屈折したガキには恰好の興味の対象だった。その後に観た「愛の嵐」、ヴィスコンティの「地獄に落ちた勇者ども」、「ベニスに死す」などに出演していた。世紀末にふさわしい、退廃と没落という甘美な香りのする作品があんなに似合う役者も珍しい。現実から逃れるように、悪事や危険な女や美少年に溺れ、果てしなく落ちて行く。あの不安に怯えながら、敢えてそれを受け入れてしまう絶望的な眼差しがこの上なくセクシーだった。断っておきますが、だからといって僕は男色ではありません。誓って!

 最近の僕は、とうにヤキが回って、ブルースにハッピー・アンド・ハートウォーミングなポピュラーソングなんかを取り混ぜて唄っている。それはそれで、我がままで未発達な少年時代の三倍以上の歳を重ねた結果なのだから、言い訳なんかしなくてもいい。ただ、ふっと、懐かしい匂いが蘇っただけなのだ。筋肉が落ちて下がった肩と、だらしなく突き出たビールっ腹と、特に深い意味の無い皺と、侘しく後退した生え際を、半ば受け止めながら憂う今日この頃。誰にだって、恥ずかしくて仕方ないけれど、切ないくらいいとおしい時代があるものだ。 

 ちなみにダーク・ボガードさんは、写真後方の眼鏡に口髭のおじさんです。

 後で解ったこと。 「ダークの綴りがDarkだと思い込んでふざけたら実はDirk。女優だった母方のスコットランド北部高地地方に伝わる『短剣』を意味する由緒ある名前とのこと(陳謝!)。本名はDerek Jules Gaspard Ulric Niven van den Bogaerde。驚くほど長いが、下の方が、TIME誌の美術編集者だった父方のドイツ系を示している。『暗殺の森』と言う作品名は検索しても見つけられないが英題『エスピオナージ』ではないかと思われる。舞台美術出身の彼は、映画デビュー直後は美形のアイドルとしてもてはやされたが、やがて個性的な役柄を演じるようになる。『愛の嵐』当時は相手役ランプリング28歳の倍の56歳で偏執的愛の虜を演じた。20代の後半から肺結核に悩まされ、医師の管理下で生涯独身を通した。1999年5月8日に78歳で心臓発作のため死亡。『死んだら忘れてくれ』という意向のもと、葬儀などは行われなかった。」http://www.allcinema.net/prog/show_p.php?num_p=37900