おいしいコーヒーを飲むために、豆の種類や入れ方だけでなく、商品が生産されるプロセスにこだわるという方法がある。フェアトレードだ。
モノを買うときに、消費者がいかに安いかだけに目を向けるのではなく、生産者にとって「フェア」な買い物をしようというもの。特にコーヒーなどは発展途上国の生産者から不当に安く買い叩いて成立している場合があるという。簡単に言えばコーヒーを飲めば飲むほど、生産者を貧しくさせるビジネスに加担している場合もあるということだ。正直、これまでモノを買うときにそんなことにまで気を配っていなかった。
消費者である私たちが商品を買うという行為は、その商品を支持し、その商品に投票するということでもある。商品の安さの限界は、生産者に対して生活の安定を保証する価格で取引することだ。モノの値段が安いのは消費者として私も歓迎だけれど、それによって不幸になる人がいるのは歓迎できない。
「そんなのは自分の生活が豊かな人の言うセリフで、貧乏な人はそんなぜいたくは言っていられない」
という人がいるかもしれない。たしかに。
しかしだからといって、フェアではない社会の様々な仕組みについて、消費者が消費という投票をしていかなければ、「豊かな人」と「貧乏な人」との努力ではとうてい埋めきれないアンフェアな条件を変えていくことができないことも事実だ。
私はこの世の中のあまりに不公平で理不尽な仕組みの多さに辟易することがある。
けれどなさけないことに、その中のひとつも変えていくことはできない。そこで庶民のささやかな抵抗として「お金」を使うことで社会に意思表示していくことができるんだという風に考えると、たとえそれが100円であっても違った価値観が見えてきそうな気がする。
コーヒーを飲むとき、
「俺は社会を変えている、俺はこのこだわりコーヒーで世界に鉄槌を食らわせてやる!」
というささやかな自己満足に浸りながら、朝の一時を過ごしてみたい。今はまだ引き出物などでもらったコーヒーが余っているけれど、今度買い物に行くときは妻に相談してみよう。
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