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ロハ好き!

~地球と仲良くできるやさしい暮らし

勝ったぞ、日本サッカー!

2005年02月09日 | 気になる話題
大興奮でしたねぇ、北朝鮮戦。
引き分けムードが漂う中、ロスタイムでよく決めてくれました大黒様!
「誰、この黒田って?」
とかいうにわかサッカーファンの妻にアチョー!ととび蹴りをいれ(頭の中で)
「彼が決めるよ、37分に右足で」
と途中交代の黒田を解説していたら見事的中(46分に左足でしたが)、感動!
それにしても国内組みは緊張で調子がイマイチでした。北朝鮮が強く見えたのも日本の調子がよくなかったせいでしょう。これぞW杯最終予選。一方で高原・中村は途中で出てきても仕事するなぁと関心。
いずれにせよ勝ち点3ゲット。マンセー!
次はイラン・ダエイのひげ面張り倒せー!オー!

ヨン様・クマのぬいぐるみ

2005年01月25日 | 気になる話題
昨年から最ヒットの韓流。まだまだ人気は衰えないようですね。
昨日のテレビではヨン様のクマぬいぐるみが発売されていました。
なぜヨン様がクマなのか?
いまだ「冬ソナ」を一度も見たことのない私にはわかりません。
でも私は韓国の友人も多いので、日韓の距離が近くなるのは大歓迎です。
このヨン様ブームは各方面に影響をもたらしている模様。
氷川きよしのファンがすべて韓国に移ったと「ギター侍」は切っておりますし、韓国のロケ地には日本人が殺到しているとか。
個人的にはお笑い芸人「スマイリー菊池」さんがヨン様のそっくりさんとしてTVに出ていて、それ以降ヨン様を見るとすべて「スマイリー菊池」に見えてしまいます。

そんぽ24のCMソング

2005年01月21日 | 気になる話題
話題にするにはかなり遅れていますが、そんぽ24のCMソングが耳から離れません。
まだCMやっていたので嬉しくなりました!
あのコアラの微妙にタイミングがずれた踊りといい、鼻かと思ったら「ケータイかい!」とつっこみたくなるような展開といい、これを考えた人の戦略にまんまとハマってしまいました。家の犬を捕まえて
「♪モカ次郎、モカ次郎~、オゥ!」
と踊りをつけながら歌っています。子供さんを持つ親はみんなやってんだろうなぁ。
そんぽ24の宣伝はかなり成功していると思うのですが、情報ございましたらコメントください。
それに引き換え、3月から始まる「愛・地球博」のキャラクター・モリゾーとキッコロの哀れなこと。特にモリゾー。
着ぐるみなんかカワイイを通り越してこわいよ。
「でもあんた、ポンキッキのムック緑にしただけですからー、残念!!(byギター侍)」
・・・と、万博応援する立場にもかかわらず、こんな毒舌かましてもいいんだろうか?

眞鍋かをり

2005年01月20日 | 気になる話題
ブログ勉強中の私。
ネットでヤクルトの古田敦也選手がブログをはじめたと言うことで早速サイトを見てみると
「眞鍋かをりがブログの女王」
であるとの情報をゲット!早速ブログを拝見し、今後の勉強にとお気に入りに登録しました。眞鍋かをりさんってそれまであんまり興味なかったのですが、「目の付け所がシャープです」というか、こういうファン密着型の芸能活動もありなのだと感心すると同時に高感度UP。
コメントやトラックバックなどもいただき、ブログのオモシロさなども少しずつわかり始めています。みんなが夢中になるのもわかるなあ。
さて、昨夜仕事から帰ってくると、妻が私に突然言うのです。
「で、いつから眞鍋かをりのファンになったの?」
??、す、するどい、なんでわかったの?なに?この高圧的な質問?なに?オドオドしながら言い訳している私?
家庭内トラックバック状態になり、妻の私に対するセキュリティは万全であることが私の記憶のなかにログされた。
▽リンク:眞鍋かをりのここだけの話
▽リンク:古田敦也公式ブログ

阪神淡路大震災から10年

2005年01月17日 | 気になる話題
1995年に神戸をおそった地震[1・17]から10年が経った。
あの日、あのとき、自分は何をしていたのか、事件や災害と重ね合わせて記憶されている場面がある。この震災はそのひとつだ。
私は当時大学の3年で、1ヶ月後の海外留学への準備を進めていた。同じ時期に留学する仲間はすぐに現地に飛んだが、私はテレビ画面に映し出されたすさまじすぎる映像を、ただ呆然としながら見ていることしかできなかった。
1995年という年は、そのほかにもサリン事件など大きな出来事があった。その年を海外で過ごした私は英語の勉強に苦しみながらも、野外教育学やNPO活動にガムシャラにとりくんでいた。日本では、阪神大震災で被災した人を支えようという個人や団体のうねりがひろがり、やがてNPO法成立への流れを作っていった。
あれから10年-。
震災を受けた神戸は、建物の復興はすすんだものの、人々の結びつきはすたれたままだという。どんなに道や建物がキレイでも、そこに住む人々の見えない絆を断ち切ってしまっては、町に活気はでないことが証明された。その教訓は、昨年の新潟中越地震で活かされている。
震災をきっかけに生まれたNPO法へのうねりの結果、現在2万弱のNPO法人が生まれた。しかし、ボランティアや市民団体がより活動しやすくするための社会的な位置づけを、という当初の目的とはかけ離れ、NPO法人を獲れば何とかなるという幻想を抱く市民団体や、悪用するケースや、行政の下請け的な便利屋にされる状況が生まれ、理想との乖離も見られはじめている。
私は環境をテーマに地域コミュニティづくりのNPOをはじめ、日々の何気ない活動を通じて、「人々の見えない絆」を少しずつ育もうとしている。
10年前、私は何もできない学生だった。その頃の自分と何がどれくらいかわったのだろう?あれからの10年で世界はどれほど変わり、これからの10年でどれほど変わるのだろう?
ふとそんなことを思い返す1日となりました。