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indigo YOKOHAMA

横浜を拠点に活動する社会人JAZZ FUNK BAND "indigo YOKOHAMA"のバンドブログです。

歴史の無い国の欲しがり方

2012-09-16 23:05:40 | 徒然日記
映画の『ダイ・ハード3』だったと思うが、トンネル工事の作業員がサラリと歴代大統領に関するクイズに答えてしまうシーンがあった。
『ナショナル・トレジャー』も歴史オタ的なエンターテイメント作品である。
アメリカの人はこういう知識に物凄くこだわっているような気がする。
特にそれを感じるのはスポーツ・トリビアだ。
デビューから連続先発しているクォーターバックで○○勝以上挙げたのは彼が何番目だとか、まあそういう細かいデータが大好きだ。
NFLの試合などを見ていると1試合に必ず1度はその手の情報が紹介されるプレーが出てくるくらいだ。
このオタぶりは半端じゃない。
なぜアメリカ人はそういう記録にこだわるのだろうか。

私は、アメリカ合衆国が『歴史に憧れている』と考えている。
アメリカ大陸がコロンブスによって『発見』されたのが1492年(いよ~国が見えたとコロンブス、とゴロで覚えた)
ネイティブ・アメリカンから土地を奪って植民地化したあと、独立戦争を経て独立宣言を出したのが1776年。
建国してから250年にも満たない、歴史の浅い国なのである。
それに対してヨーロッパ諸国はギリシャやローマ帝国で考えたら紀元前からの歴史を誇る。
ゲルマン系の国でも1500年くらいはある。
私はこれがアメリカにとっての大きなコンプレックスだったのではないかと考えている。

歴史の無いものをつくる事はできない。
そもそも他人の土地を奪って作った国だからインフラも何もない。
遺跡だってもちろん残っていない。
だから、彼らは浅い歴史の中で『記録されるもの』をアウトプットするのにこだわったのではないか。
その中でも4大プロスポーツは他国とのハンデが無い。
いやそれどころか独自に発展させてきた文化なのだ。
だからこそ、彼らはスポーツ・トリビアには特に熱心なのだ。
他国からみたら正直なところ『ど~でもいい』話だが、それを歴史として祭り上げる事で彼らの自尊心を満たした。
そんな気がするのである。
まあ、中には自国に無い歴史を捏造する国もあるのだから、それと較べたら可愛いものだが。



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フェスティバルの作法

2012-08-26 01:34:30 | 徒然日記
近年、地域振興のための手段として市民参加型の音楽フェスティバルが増えている。
特にジャズ・フェスティバルは、中にはジャズの範疇を超えたジャンルも取り込んだ一大音楽イベントになっている。
我々indigo YOKOHAMAも最近はジャズ・フェスでの演奏が主体となってきているのだが、そういう中でフェスに参加する演奏者としての作法、心構えみたいなものがあるなと感じている。
参加経験者ならもうご承知の事ばかりだが、これから出てみたいと考える人向けにちょっと書いてみるとこんな感じ。
参考にしてください。


**********************

1.演奏者もスタッフの一人である。
基本的な話だけど、市民参加型のフェスってのは手弁当。
皆がやれる事をやっていこうという事です。
だから、フェスの企画担当や現場の運営担当があるように、自分達は演奏を担当するスタッフなのです。
フェスに出るならそういう気持ちを持って臨みたいもの。
ただ演奏するより、その方が楽しいでしょ?
間違っても周りをただのお手伝いさんと思っちゃちゃあいけません。
感謝の心は忘れずに。

2.制約がある事は承知しておこう。
野外が主体となるフェスの場合、地域住民の全てが快く思っているとは限りません。
だから、フェスの存続を危ぶませるような行為は絶対NG。
特に音量問題は周辺住民のクレームに繋がる可能性が高いです。
場所によっては電波もヤバイ。
ワイヤレスは要確認。
それと、全ての機材が準備されていると思ってはいけません。
ビッグバンドの全員に譜面台やマイクが欲しいとか、シールドの貸出はないのかとか、信じがたい質問・要望の実例もありますが、もう少し考えましょう。

3.掛け持ちはほどほどに。
最近、市民参加型フェスは増加傾向にありますが、それにも増して参加希望者が激増しています。
事務局としては嬉しい反面、悩みも増える事になります。
限られたステージの中で何割かのバンドを落とすか、演奏時間を短縮して出演枠を増やすか。
しかし、希望者の中にはいくつかのバンドを掛け持ちしたり、別名義だがメンバーのほとんどが同一であるなどの事例もあるとか(いくらなんでもこれはマナー違反でしょうが)。
調整に頭を悩ますブッキング担当者は『掛け持ちによるダブルブッキングの調整はしません』と宣言してはみるが、それでも案外気にかけてくれたりします。
しかし、あまりそういう事に気を使わせるってのは演奏者側の我儘だと思うわけです。
より多くの人に参加してもらいたいという主催者の気持ちを汲み取るならば、あまり露骨な掛け持ちはすべきでないのではないでしょうか。
それに、いくつも掛け持ちしてると、どの打ち上げに参加するかって話になりますね。
まあこれはご当人の問題ですが、他所の打ち上げに行きますって言われちゃったメンバーの気持ちぐらいは察してみては?

4.お客様が楽しんでナンボ。
自分たちの演奏が『音楽』か『騒音』かを判断するのはお客様です。
もちろん全てのお客様に受け入れてもらえるなどというのは、おこがましい話。
それでも、公共の場をお借りして演奏させて頂いている以上、道行く人へのホスピタリティは持っていたいものです。
お客様が楽しんでくれるようなステージが一杯あれば、そのフェスは来年も開催される可能性が高まるでしょう。

5.オカネは大事。
最後に、フェスが継続するにはオカネも欠かせない要素。
財務体質の脆弱なフェスも少なくなく、主催者の中には赤字の補填は自腹覚悟という方もいたりします。
最近はTシャツを制作して収益を経費に充てるケースも多いですが、そういうのはなるべく協力したいものです。
記念にもなりますからね。



以上、『フェスティバルの作法』5カ条を挙げてみました。
要は、一人でやってるもんじゃないよって話なんですけどね。
演奏者にとって、フェスティバルは通常のステージとはまた違う喜びが得られるもの。
そういうイベントがいつまでも続くように、我々も努力しなきゃいけないのだと思います。



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コストを覚悟するかという話

2012-06-11 23:17:23 | 徒然日記
※以下の文章は一般の人向けに確信犯的にぶった切って書いているので、業界の人は訳知り顔で重箱の隅をつつかないでね。

産業が成り立つためには、経済的効率は避けてはならない命題である。
それはコンテンツ・ビジネスにおいても同じこと。
作品が売れるか、利益率が高いか、いずれにしても儲けを出さなければビジネスとしてやっていけない。
制作、製造、流通、小売、どの立場になっても変わらない絶対的な真実である。
もし、経済的効率を無視してでも作品を出し、流通させたいなら、それはそれなりのコストを覚悟をしなければならないという事だ。

このコストを前にして揺れに揺れているのが出版業界である。
出版業界は96~97年にピークを迎えた。
その時の市場規模が2兆6千億円である。
しかし、その後売上は減少し、今では2兆円を下回ってしまった。
24~5年前の規模まで縮小したことになる。

出版業界は一見、音楽業界や映像業界と近いように思われているが、根本的に構造が異なる。
こう書くと委託流通制度だろ?と一言で片付けてしまう事が多いが、もっとぶっちゃけて書いてしまおう。
出版業界とは『チラシを撒く』業界なのである。
(この点で新聞とテレビは同類だ)

つまり広告に裏打ちされた定期刊行物を大量にローコストで多数のチャネルにバラ撒く流通の仕組みなのだ。
この定期刊行物『雑誌』は撒く事が大事であって、さらに売れ残りを回収し、その分を差し引いて売上金を回収する事も仕組みの一部になる。
小説とかビジネス書といった広告の無い『書籍』は、利益の薄い商売。
作業工程こそ違うが『雑誌』と同じ流通に載せるから機能する。
そうでなければ10冊送って4冊返品なんて商売を続けられる訳がないのだ。
(ただし専門書はそれなりに高くて利益も取れるし、買切りだったりする)
作るのにも、運ぶのにも、返ってきたものを保管するにも、あるいは処分するにも全てコストがかかっているのだ。

ところがである。
出版物の売上が減っていった。
返品は増える。
利益は減り、損益分岐点が上がり、資金繰りは苦しくなる。
そこでキャッシュ・フローを生み出すために出版社は本を出しまくった。
書籍の刊行点数は20年前の倍になった。
ただでさえ売れないのに拍車をかけるように『無駄な』本が出版された。
これに出版業界の広告収入の減少が追い打ちをかけた。
雑誌の休刊(実質の廃刊)が相次いだ。
これこそがパラダイムの転換点である。

一部の出版社と出版取次(卸会社)が事態打開のため、徹底的な効率化を進め始めたのが数年前である。
それは以下のような形で現れた。
 ・POSデータを駆使して売れるモノを適切に仕入れる仕組みの提供。
 ・一定の販売条件をクリアした書店をグループ化し、今後の優越的な商品供給を保証する(ラノベやコミックの強い出版社に多い)。
 ・ある特定のタイトルを買切り条件にする代わりに卸値を安くする。
 ・返品業務を行う会社を共同で作り、アウトソーシングする。
 ・実売率を上げ返品を減らしたら、浮いたコストをシェアする。
ざっと挙げるとこのようなところだろうか。

それでも善良なる読書好きたる業界人は怨嗟の声を上げる。
大抵の場合、多様で奥深いコンテンツの取扱いを縛り、業界を潰す行為だと。

だが、ここで忘れてはいけない事がある。
自分たちの好きなように作り、好きなように仕入れ、好きなように売ることを誰も禁止している訳ではないのだ。
ただ、そのためには今まで必要とされなかったコストを払わなければならない、という話なのである。

自分がどんなにその作品を愛していようが、経済的合理性に見合わないものは淘汰される。
もし、どうしてもそういう作品を作り、販売したければ、そのものの値段を上げるか。そこで発生するコストを吸収できるだけの大きな利益を別に稼ぐか、ニッチなマーケットに徹底して確固たる地盤を築き独立採算できるようにするしかないのだ。
もしそれが出来ないのであれば、利益度外視の趣味でやるしかないだろう。

広告料と大量生産、ローコスト流通とキャッシュフローでどうにかなっていた出版業界。
実態として『バラ撒き』と『棚貸し』で生きてきたこの業界が、本気で『多様で奥深いコンテンツ』を扱いたいならコストを覚悟する。
読者がそのコストを甘んじて受けた時、初めて良質のコンテンツと言えはしないか。


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プレゼン資料をつくってみる

2012-05-22 22:54:33 | 徒然日記
ちょっと前に日経BP社から『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』という本が出版された。
いかにもなサイケな装丁だが、ざっと読んだところ中身は案外オーソドックスなマーケティング研究本である。
詳しくは実際に手にとって読んで頂きたいのだが、この本のポイントはグレイトフル・デッドというバンドそのものを一つのビジネス・モデルとして考えているところにある。

私も以前よりバンドをビジネス・モデルと捉えてきた。
別にプロである必要は無い。
この事自体はアマチュアでも全く同じなのである。
およそバンドとは、余暇において最大幸福を生み出すための『ビジネス』モデルに他ならないからだ。

とりあえず、プレゼン資料を作ってみてはどうだろうか。
実は私の頭の中には常にindigo YOKOHAMAのプレゼン資料がイメージとして存在する。
実際につくるかどうかはともかく、パワーポイントで作成し、プロジェクターで投影し、クライアントに説明する事をイメージする。

この作業で得られる事が3つある。
1)自分達のバンド活動のエッセンスが抽出される。
2)自分達の活動の目指す先(ヴィジョン)が見出せる。
3)他人(オーディエンスやメン募相手)を意識して自分達の立ち位置を定義づけられる。

プロジェクターで投影する事を前提にすると、必然的に内容は簡潔にわかり易くなる。
ここまでやってみて、自分達のバンドが客観的に魅力があるか検証してみると良いだろう。

もっとも、バンド活動のあり方は様々である。
中にはスタジオでジャムるのを楽しみにする場合もあるし、演奏よりもリハの後の飲み会がメインというバンドも実際ある(笑)。
だが、それなりにライヴもやる事を想定しているなら、ライヴを聴きにくる人など、他者の目にどう見られるかは意識する価値はあるのである。

そしてもう一つ忘れてはいけないのは、バンドのビジネス・モデル像を必ずメンバーで共有する事である。
共有するためにもこのプレゼン資料化は役に立つだろう。
もちろんバンド・メンバーの中でのみ共有するべき事もある。
そういうものは『社内資料』としてイメージしておくのだ。

社会人の方なら普段の仕事の延長線上で、学生さんなら部活や学園祭の延長線上で出来る簡単な事だと思う。
実際、私はそんな感覚でやっている。


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ありがとう! 150000PV突破!

2012-05-05 00:17:30 | 徒然日記
ども、管理人です。

おかげさまで当ブログが連休中に150000PVを突破しました。
どうも有り難うございます。
今後もよろしくお願いいたします!


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一年が過ぎて

2012-03-10 23:39:18 | 徒然日記
あの震災から1年が過ぎた。
テレビや新聞、雑誌では様々な形、切り口で特集を組んでいる。
そういう鎮魂や追悼の声とはおよそかけ離れた言葉も世の中には溢れている。
あまりにも複雑な要素が絡んでいて一口には語れないが。
他人事だからできる無責任なものだったり、ヒステリックなものだったり。
そう言えば、なんだかあの時と較べて道行く人から優しさが消えた気がするのはなぜだろうか。

震災をキッカケに覚えた『ディスる』という言葉。
反射的に発せられる感情は、ときに剥き出しの刀を振り回しているかのような。
日本は言霊の幸ふ(さきはう)国である。
公の場で発せられた言霊は、周りにさまざまな影響を与えるのだと自覚する事。
それはディスるという事だけではない。
善意や博愛の押し付けも行き過ぎればエゴになる。
言葉を発する先にも人がいる。
人の思いは千差万別、受け取り方もまた然り。
発する前に思いを致す。
そういう事に努めていきたいものだと思う。


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バレンタイン・デーに対する雑感

2012-02-15 00:03:33 | 徒然日記
バレンタイン・デーにチョコの個数という『実績』があるなら、いよいよ壊滅的な状況になってきた今日この頃、皆様いかがお過ごしですか。

この時期になると必ずといって良いほど『バレンタイン・デー』って何?というネタをTVとかでやりますな。
その起源は、ローマ帝国時代に結婚を禁じられていた兵隊の結婚式を密かに挙げてやっていた聖バレンティヌスが処刑された日というのが定説という事になってるようだけども、どっかのネット・ニュースでは『実はローマで裸の男が未婚女性を鞭で叩く祭り』というのが起源だと書いてあった。
未婚女性を鞭で叩くと言うのも別に変態プレーをしてる訳ではなくて、将来子宝に恵まれるように的な意味のようである。
これはこれで面白い話である。
ここでバレンタインから脱線するのだが、裸の男が鞭で未婚女性を叩くという、ちょっと変態チックな風習は日本にも似たのがあるなと思い出した。
日本では鞭ではなく『粥かき棒』である。
うろ覚えなのだが、平安時代に粥かき棒で女性の尻を叩くと言う遊びだか風習だかがあったらしい。
ちょっとふざけた感じでその『儀式』をやっている話が誰かの日記にも書いてあったとか。
これもやはり妊娠・出産への祈りに繋がるものがあるようである。
この風習は都から地方に徐々に波及していく。
面白いのはこの『粥かき棒』が次第にその形を変え、粥かき棒としての機能が失われ、様々な装飾を施した意匠に変化していくのである。
時が移り場所が変われば本来の形は失われ、『儀式』として進化していく、という事か。
某菓子メーカーの『陰謀』でバレンタイン・デーの意味も日本独自の形になったりする(欧米では男性が女性にプレゼントする)。
と、最後は無理矢理バレンタイン・デーに話を戻してみたり。
特に意味のない話である。


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仕分けるという事

2012-01-22 21:14:53 | 徒然日記
昔、学生時代の友人が『周りがどう言おうと、○○(有名な作家)が自分はハードボイルドを書いていると言えば、それはハードボイルドなのだ』と言った事がある。
今では雑誌などで書評も書いているその人物は何気なく発しただけであるが、この言葉は私の頭に強烈に刻み込まれた。
こんなのファンクじゃねぇとか自分が思っていても、作り手はファンクと考えているかも知れない(そういう意識すら無い事もあるだろうが)。
以来、ジャンル分け、カテゴライズとは何か、と考えるようになったのである。

音楽や出版物の世界ではジャンル分けというのは必ず行われる。
これはユーザーの検索が楽になるという事だけでなく、経済活動上の要請でもあるのだ。
(むしろそちらの方が大事なのだ、現実は)
だが皆さんもご承知の通り、この作業は案外難しいのである。
そもそも音楽は演奏者が吸収してきた様々な音楽が複雑に絡み合って出来上がっている。
最近のオルタナティヴ・ロックにはスラップバキバキでラップをかました奴等がいるが、ファンクの方は逆にギターがガンガンに歪んでいたりする。
70年代のクロスオーヴァー~フュージョンとR&B、ジャズ・ロックの境界線などはとても曖昧だった。
とは言え、である。
どんなにアップテンポの歌を歌っても坂本冬美は演歌歌手だし、水樹奈々がどんなに新しい事をやっても多分アニソンという括りは消えない。

では出版物ではどのように行っているのか。
出版物においては『日本十進分類法(NDC)』という分類法があり、図書館で本を借りようとすればほぼ間違いなくNDCで分類したナンバーがどこかに記載されている。
しかも、全国どこでもほぼ同じナンバーが付いているはずである。
現在では流通業者が分類作業をやってくれるという面もあるのだが、仮にこれが個々の図書館で行っても、ほぼ同じ分類になるようになっている。
それは、分類における基準が明確に定められているからである。
これは非常に重要な点である。

仕分けるというのは、ただ区別することではない。
そのもののエッセンスを抽出し、本質を突く作業なのである。
そのために、いろいろな考え方があるが我々はこの考え方で仕分けをするよ、というロードマップを描く。
極論すれば、ロードマップさえあれば、どんな素人でも同じ結論が得られるはずである。
大事なのは、どういう考え方をするか決める事なのだ。

どこかの国で独立行政法人を仕分けるという作業をやったが、ただの政治ショーで終わった。
彼らは仕分ける事の本質を全く理解していなかったのではないだろうか。
仕分けるという作業こそ、その人の意思の表明であり、決断なのである。
とすれば、それは為政者の行動基準、国家戦略にも繋がるのだ。
どうやら、あの人たちにはそういうものが何も無い事だけがバレてしまったようである。


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謹賀新年

2012-01-03 21:23:24 | 徒然日記
明けましておめでとうございます。

indigo YOKOHAMAは今年も楽しい音楽をお届けしていきます。
横浜を中心にいろいろな場所にお邪魔しようと思っています。
見かけたら是非立ち止まって聴いてやってください。
今年もよろしくお願いします。
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2011年を振り返る

2011-12-31 02:49:23 | 徒然日記
今年は社会的には東日本大震災という大災害、そしてそれに伴う原発事故などが、人々の意識に様々な影響を与えた年であった。
晩秋に入った辺りから一つの現象が私の職場で起きていた。
産休に入る女性が増えたのだ。
同じフロアで二人、他にも数名知っている。
女性が産休を取り易くなったとか、不況による経済的な不安から女性が辞めなくなったとか、そういう背景もあると思うが、妊娠・出産が増えたというのは明らかに震災の影響によるものだと思う。
『11人もいる!』や『妖怪人間ベム』のようなドラマがヒットしたのも、もっとも基本的な絆である家族のあり方を見つめなおす人が増えたからではなかろうか。

2011年は嘘つきが増えた年でもあった。
正確には立派な人格者のフリをしていた連中の化けの皮が剥がされた。
政府然り、電力会社然り、官僚然りである。
民主党の、あのマニフェストは一体何だったのだろうか。
嘘つきは泥棒の始まりというが、日本国はいつから泥棒の支配する国になったのか。
そんな泥棒達に任せていても碌な事にならないから、一般市民は自分達で力を合わせながらコツコツと努力しているのである。
以前、NHKスペシャルで放映された、震災で孤立した漁村のドキュメントは正にそれであった。
政府の協力を得られないから、ボランティアや寄付の力を借りながら自分達で道を作り、船を買ったのである。
日本はやはり民の自助努力で成り立っている国なのである。

音楽シーンに眼を転じると、AKB48がチャートをほとんど席巻してしまった状況だが、裏を返すと音楽産業が死に物狂いで(K-POPも含め)アイドルにしがみついているように見える。
10年前と較べて、アーティストを育成しようという気持ちは明らかに萎えているようだ。
産業と言う視点で捉えると、普通に音楽でプロとして食っていこうという人の環境は厳しさを増している。
むしろ『セミプロ化』がどんどん進んでいくのだろう。
デジタル化の容易な音楽は、もはやパーソナルに発信できるコンテンツに変貌しているからだ。
産業としては成り立たなくても音楽の裾野は広がっていくのかも知れない。
アニメの『けいおん!』ブームや初音ミクに、数年後のバンド復権やネット発信系アーティストの登場を夢見る事もできるだろう。

バンドに関して言うと、今年は本当に沢山のイベントに出させて頂いた。
なかなかメンバーが全員揃わず、準備が充分とは言えない中、ひたすら突っ走った感がある。
ただ、おかげでいろいろと勉強もさせて頂いたし、不特定多数の方々に多少なりとも喜んでもらえた事は大きな収穫だった。
私達のバンドの音を少しでも聴いてくださった方々に、この場を借りて深く御礼申し上げます。

さて、あと一日で新しい年を迎える。
天下り官僚にも、被災者にも、ヘッジファンドのマネージャーにも、ニートにも、IT社長にも、ボケ老人にも等しく新年は訪れるのである。
2012年がより良い年である事を祈ろう。


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