163・164社寺目です。
大阪府富田林市「願昭寺」、
奈良県桜井市、「法起院」。
古い朱印帳で紹介してなかった社寺が登場します。
平成8年5月18日と、
平成8年7月6日御朱印いただいております。
ウィキより、
「願昭寺(がんしょうじ)とは、大阪府富田林市伏見堂にある寺院。山号は淨心山。本尊は目白不動。真言宗系の新宗教である八宗兼学真修教(はっしゅうけんがくしんしゅうきょう)の大本山であり、信者達の手作りによる寺院として知られている。」
・・・瀧谷不動さんの護摩祈祷受けた帰りに立ち寄りました。
「法起院(ほうきいん)は、奈良県桜井市初瀬にある真言宗豊山派の寺院。総本山長谷寺の塔頭。本尊は徳道上人像。西国三十三所番外札所。
寺伝によれば奈良時代の天平7年(735年)に西国三十三所を創始したと伝えられている徳道がこの地で隠棲したことに始まるとされる。徳道は晩年、境内の松の木に登り法起菩薩となって遷化したといわれる。」
・・・小さな御堂ですが・・・ものすごいオーラが出ていました。弁財天さんをお祀りするお堂があったと記憶しています。
伽藍画像もウィキより、
〇 知る人ぞ知る、徳道上人は、「西国観音霊場」の開祖です。
上人は、斉明天皇の御宇二年(西暦六五六年)、播麿の国矢田部の里で誕生なさいました。養老二年の春、突然の病のために仮死状態にあった上人は、夢の中で閻魔大王にお会いになり、悩める人々を救う為に三十三ヶ所の観音菩薩の霊場を広めるように委嘱され、そして三十三ヶ所の宝印を与えられて仮死状態から解放されました。
上人は三十三ヶ所の霊場を設けましたが、人々は上人を信用しなかったので、やむなく宝印を摂津中山寺にお埋めになったと伝えられています。
二百七十年後の永延二年(西暦九八八年)に、花山法皇がこの宝印をお掘り出しになり、今日の三十三ヶ所を復興なさいました。」
弘法大師も、ご入定後だいぶ経ってから、その真価が評価を受け始め、今日の信仰に至っています。興教大師など、今でも一部の人にしか知られていない。比叡山の元三大師も、天台宗以外では、最近ようやく脚光を浴び始めた・・。昔から、この国では、「本物の人は目立たず」。
ではまた。
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