ハニカム薔薇ノ神殿

西南戦争の現地記者の歴史漫画を描いてます。歴史、美術史、ゲーム、特撮、同人誌の話他

法事だった

2019年07月24日 | 雑記
義理の父の初盆で浄土宗のお寺へ。

実家は浄土真宗だから、あまり経験が無い儀式の連続で
同じような系であるとはいえ大変だった。

宗教といえば
なぜか私には少し「キリスト教」がちょっぴり微妙にインストールされている。
英語の塾のせいかもしれんし、少女の頃に流行った漫画のせいかもしれんし
そもそも熊本って所は、歴史上熊本バンドやらあるわけで割と多かったのかもしれないんだけど。

聖書は、西洋美術史をやりたいなら基本的に読んでないとかなり厳しい。西洋美術はニーチェの後も
いやそのニーチェすらも、聖書からは出て行けないのだよ。

聖書アプリを一部に入れたようなかんじかも。

でもガチでカトリックやプロテスタントではないという…
そうでないと日本に生きる限り困難な事が多い。なんせプロテスタントに改宗すれば、仏壇すら取り払われるから。宗派の問題で葬式で揉める。

日常的には、人間関係もあって自分の宗派信仰よりは周囲の宗教に合わせる。

法事は、最寄りのお寺で
複数の檀家まとめて集まって
親族ごとに順番に供養。

お経読み上げながら
毛氈の中に詰めこまれた親族を囲んで
坊さんがぐるぐる回ったり
歌が歌われたり
卒塔婆を笹だか?で水つけてなでる。
何かの丸いカードがばらまかれ(名称知らない)
ジャンジャンと銅鑼やら鳴らされる。

浄土真宗では卒塔婆供養はやらないのでよくわからない。撫で物や、先の法事でやった、お餅を人型に切り分けて持ち帰るのも知らなかった。

ダンナの親戚ある和歌山の方に行くと更に、その土地だけに残った熊野信仰のようなのもある。日本の中世文化が残っているけど、熊本には無いからなあ。

そのような場合は
わけわからんでもとにかく前の人の真似をし
「さもその土地に10年以上います」程度の馴染みっぷりを示さねばならない。

私はこの土地は知らない、だって嫁だからなどと言おうものなら、たちまち先輩方の怒りを買い、超村八分状態がまっているからだ。

日本というのはどこへ行っても「村」である。村を出ては生きられない。

というのは心得ていて損は無い。
それがミュージシャンのファンクラブであろうが会社であろうがコミケであろうが
ある家族的な共同体意識で出来ている。

「部外者なんでわからない」という
「私は異端児」を見せると大変生きづらくなる。好奇心とイジメが待ちうける、と長い学校生活叩きこまれている。
しかし逆に、村には「自己責任」は無かった。
人類皆兄弟にするとキャパオーバーだけど
小さい集団に帰属する事がセーフティーネットになってきたんだと思う。


知らない宗派や信仰と文化を知るのは面白い。
どれ、という宗教を信仰しないのでなく、嫁は基本的に嫁ぎ先の宗教とその村に入らない限り、余計なトラブルを巻き起こしてしまい、嫌がられるので選ぶ権利を主張したければ戦闘モードになってしまう。自由度はそんなに無い、って所だ。

でもそれはさほど不満ではないよ。

まあつい、念仏を唱えながらも
心の小さいキリスト教アプリが起動して
「なぜアーメン…」ってなったりするけどね。

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